BMJ(海外の医学ジャーナル)にレター投稿してみてわかったこと。どんな記事だと通らないのか?

BMJ(海外の医学ジャーナル)にレター投稿してみてわかったこと。どんな記事だと通らないのか?

最近私は田無北口鍼灸院で得た知見を基にフリーランス研究者として活動しています。2025年4月はプレプリント(査読前の論文)を2本、BMJ(海外の有名医学ジャーナル)に7本rapid responses投稿、そのうち6本採用。Nature誌に2本レター投稿(4/30日現在掲載可否の返事待ち)、BMJ analysis(査読ありの分析記事)に1本提出といった活動をしました。まあまあ良いペースで活動できました。私が書いたプレプリントやレターを読んでみたい方はこちらORCIDという国際研究者アカウントにまとめてあります。随時更新しているのでよかったらご覧ください。すべて英語での記事になります。

私が投稿して採用されたrapid responsesの投稿は以下のような内容です。1本目EBM(エビデンスに基づく医学)の批判、2本目AI時代の医療、3本目トランプ大統領への批判・メタモダン思想、4本目障害と社会のあり方(マイケルサンデルと立岩真也の能力主義批判)、5本目EBMの批判その2(構造的世界観提示)、6本目ADHD診断アウトソーシング批判(フーコー・イリイチ・グッドハートの思想)です。通らなかった記事はどんなことが書いてあるのか?ここに公開したいと思います。ニュースはこの記事(マラリアはアフリカの「25年間で最悪の時期」に壊滅的な再来の危機に瀕している)に関してでした。

Dear Editor
In resource-limited settings, culturally rooted embodied practices offer critical alternatives for health education and promotion. A randomized trial from Uganda demonstrated that adjunctive moxibustion improved tuberculosis outcomes without major adverse events【1】. Physical, hands-on interventions like moxibustion go beyond cognitive teaching: they activate relational, embodied communication essential for health behavior change, especially in underserved communities. As Whitehead【2】noted, effective health promotion must engage people socially and politically—not just inform them. Benner and Wrubel’s phenomenological analysis【3】further suggests that care emerges through embodied concern, not mere instruction. Moxibustion exemplifies how traditional embodied practices can address modern health challenges. Integrating culturally meaningful, body-based interventions could reshape global health education—making it not only effective, but profoundly human.
Kenjiro Shiraishi
301 Nozaki Bldg, 2-9-6 Tanashicho, Nishitokyo-shi, Tokyo, Japan ORCID: 0009-0003-2550-7385
References
1. Ibanda HA, Mubiru F, Musiba R, et al. Adjunctive moxibustion treatment for tuberculosis: A randomized clinical trial investigating potential efficacy and comparative safety. Complement Ther Med. 2020;52:102518.
2. Whitehead D. Health promotion and health education: advancing the concepts. J Adv Nurs. 2004;47(3):311-320.
3. Benner P, Wrubel J. The Primacy of Caring: Stress and Coping in Health and Illness. Addison-Wesley; 1989.

 

こちらの投稿を見て頂けるとわかりますが、一見特に問題はないように思います。では、なぜ採用されなかったのでしょう?あくまで予想にすぎませんが私の主張が「感染症予防にお灸を使うのはどうか?」というあまりにもニッチな話題で、また私自身が鍼灸師であるために「鍼灸の効果を過剰見てバイアスがある」と判断されたのかもしれません。はっきりとはわかりませんが今の話題はEBM再考、AIと医療、トランプ大統領のようなホットトピックの方がいいように思われます。BMJにしろNatureにしろ世界中の医療者が見ていることを考えると、やはりトレンドを読む必要があるかもしれないということです。またレター投稿にしろ論文投稿にしろ、基本は専門知よりもリベラルアーツ的ないわゆる教養が重要視されるでしょう。この2点(トレンドと教養)がないと欧米のトップジャーナルは相手にしてくれないかもしれません。これからもチャレンジしながら学んでいきたいと思います。

それから日本ではBMJはとても敷居が高い学術ジャーナルというイメージをお持ちの医療従事者も多いのですが半分正解で半分は間違いです。たしかにBMJのインパクトファクターは107で世界最高峰の学術ジャーナルであることは間違いないのですが同時にかなり広い間口で読者の意見を取り入れています。私のような人文社会学に興味ある鍼灸師の投稿を受け入れてくれたりもします。決して医学や薬だけの研究を載せているわけではありません。例えばWhat Your Patient Is Thinkingという患者さんが体験談を投稿するコーナーまで用意されています。こちらは査読論文ではありませんが医療現場の声を拾いあげ、より良い医療を世界に発信しようとしている懐が深いジャーナルなのです。BMJは記事の種類についても詳しく解説し情報を出しています。研究だけではなく、様々な記事を出してます。analysis(分析)という項目は以下のように書かれています。これはまさにクリティカルレビューのような手法がベースになるでしょう。掲載までに査読もあります。

分析論文は、医師、患者、そして医療政策立案者にとって重要な、臨床、科学、倫理、そして政策に関する時事的な問題を取り上げます。これらの論文は、明確な根拠に基づいた議論を提示し、エビデンスを公平に検証し、明確な主要メッセージを伝えています。仮説を提示する論文は、それを検証するための説得力のある試みが含まれていない限り、適切ではありません。

BMJはレター投稿にしても寛容です。私のようにrapid responsesの投稿ならば6/7採用、とかなり広く受け付けてくれます。しかし仕組みが秀逸でここから正式にレターになりDOIが付与されるのはなんとわずか7%だということです。この間口が広くそこから厳選させるというやり方はいかにもイギリス的だと感心してしまいます。*調べていたら、正式にレター論文として採用された例を分析した結果、人種の偏りがあったとする報告もありました。この辺がもしも差別的な事実であれば変わることを願います。しかしこれは単に語学の問題である気もしますし今はAIや翻訳サービスがここを補ってくれます。

またBMJはプレプリントの発信を昔から推奨しておりジャーナル自身もプレプリントサーバ運営に関わっています。このようにオープンサイエンスの時代をリードしまた新規研究者へのサポートも手厚いです。ここには

  • どうやってレター送るか

  • どうやってAnalysis書くか

  • プリプリント出してもいいよ

  • 著作権の扱いはこうだよ

  • リジェクトされてもめげないで

  • 編集者がどう考えてるか

などが親切丁寧に書かれています。なぜBMJはこのようなスタンスなのでしょうか?それはBMJが世界中から現場の声を集めたいからにほかなりません。上記のリンクを見るとわかりますが

  • 「論文なんか誰でも出していいよ」

  • 「一発アクセプトなんか滅多にないよ。普通はリバイスして採択されるよ」

  • 「いいアイデアなら立派な施設に属してなくてもOKだよ」

  • 「プリプリントも推奨してるよ」

  • 「失敗を恐れるな!」

みたいなことが、明言されてるのです。こんな医学ジャーナル、は世界でもBMJだけかもしれません。本当に素晴らしいジャーナルであると感じます。今回BMJに初めて論文投稿してみましたが1回でアクセプトされることはまずないでしょうし、手続きは大変でしたが学びが多かったです。自分で論文を出してみる、レター投稿してみるということを実際にやってみなければわからないことだらけでした。

ということで今後の私の動きは1,BMJNatureを毎日チェック。2,どうやってレターを送るか?考えながら読み世界のトレンドを読む力をつけつつ、3,NEJM AIを定期購読チェックして最新のAI医療研究を探ることに重点を置きます。こうすることで毎日が修行のようになるため力がつくでしょう。またプレプリントで出している研究も先へ進めます。

Rethinking Evidence-Based Medicine: Abductive Reasoning from Traditional Chinese Medicine to AI

1. はじめに:なぜ今「中医学 × アブダクション × AI」なのか

私たちはいま、「推論とは何か」「診断とは何か」が根本から問われる時代に生きています。ChatGPTに代表される大規模言語モデル(large language models, LLMs)の登場により、AIが医療現場で診断や意思決定を補助することが現実となりつつあります。しかし同時に、AIの出力には「なぜそう判断したのか」という意味の構造が欠落しており、人間の思考とは本質的に異なる点も明らかになっています【1】。

たとえば、経験豊富な臨床家は「言葉では説明できないが、なにか違和感を覚える」といった感覚に基づいて仮説を立てることがあります。これは演繹や帰納では説明しきれない、“アブダクション(仮説的推論)”と呼ばれる思考法の一例です。中医学(Traditional Chinese Medicine)は、まさにこのアブダクション的推論を体系化してきた知の枠組みです。

中医学は、詩的で語り的、そして身体的な感覚に基づいた診断体系を持ち、症状の物語的な意味づけを通して治療仮説を構築します。それは西洋医学のような統計的・因果論的推論とは異なる、もうひとつの知の形式です。近年、この中医学的アプローチがAI研究の文脈で注目されつつあります。中国の研究者たちによるABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)は、その代表例です【2】。

本稿では、「中医学 × アブダクション × AI」という三位一体の視点から、現代医療とAIの接点を再考し、以下の問いに答えていきます。

  • アブダクションとはどのような思考か?

  • なぜ中医学と親和性が高いのか?

  • それをAIにどう実装できるのか?

  • そして人間は、AIとどう共に推論しうるのか?

2. 現代医学における推論様式とその限界

医療における「診断」とは、単なる情報処理ではありません。患者の訴えや身体所見、検査結果といった断片的情報をもとに、意味ある仮説を構築し、治療方針へと導いていく思考プロセスです。現代医学においては、こうした臨床推論の標準化が長らく追求されてきました。

とりわけ1990年代以降、「エビデンスに基づく医療(Evidence-Based Medicine: EBM)」が主流となり、臨床判断には統計的根拠に裏付けられた仮説検証(演繹法)や症例の集積による傾向把握(帰納法)が重視されるようになりました。しかしDjulbegovic & Guyattは、EBMの25年を振り返り、「患者中心の意思決定」を十分に実現できていないという限界を明示しています【3】。

この限界は、EBMが「文脈」「価値」「意味」といった“非数値的要素”を扱いきれない構造にあると言えます。たとえば、ある診断アルゴリズムが統計的に最適であっても、それが患者の人生観や生活背景にそぐわないことはしばしばあります。つまり、精度の高い予測が「納得できる判断」とは限らないのです。

このようなギャップに対して、いま注目されているのが“アブダクション(abduction)”という推論様式です。これは、観察された現象を最もよく説明する「もっともらしい仮説」を導く思考法であり、違和感や矛盾を出発点に、文脈的かつ創造的な意味づけを行うプロセスです【4】【5】。

Normanは、医療教育における推論研究を三つの系譜(仮説演繹法、直感的診断、知識構造)に分類し、医師の専門性は「状況に応じた知識の柔軟な適用」に依拠すると指摘しました【6】。また、Durning & Artinoによる状況性理論(situativity theory)は、知識や思考は文脈と切り離せず、環境や社会関係と一体となって意味づけられると論じています【7】。

こうした視点は、「一人ひとり異なる患者の文脈から、もっとも妥当な仮説を生成し、試し、修正していく」というアブダクション的推論に重なります。中医学はまさにこのような思考スタイルを診断の中心に据えており、EBMの補完や再構築のヒントを与えてくれる存在といえるでしょう。

3. 中医学の診断体系とアブダクションの構造的共鳴

アブダクション(仮説的推論)は、19世紀の哲学者チャールズ・パースによって提唱された思考様式であり、観察された事象に対して「もっともらしい説明仮説」を構築することで理解を試みる推論法です。これは確定的な結論ではなく、状況に応じて修正されうる柔軟な仮説を導くという点で、医療の実践と極めて親和性の高い構造を持っています【8】。

中医学(Traditional Chinese Medicine)は、まさにこのアブダクション的思考を体系化してきた実践的医学です。中医学における診断は「弁証論治」と呼ばれ、症状や所見、語り、環境情報などを総合して「証(しょう)」という仮説的構造を立て、そこから治療方針を導くサイクルを形成します。

このプロセスは以下のような段階を含みます:

  • 観察:舌や脈、声、顔色、語りの内容など、多様な情報を非数値的に把握する

  • 仮説形成:「肝気鬱結」「痰湿中阻」など、文化的コードに沿った意味ある仮説(証)を構築

  • 介入と修正:治療(治法)を実施し、経過から仮説を評価・更新する

この循環は、パースやJosephsonらが定義する「観察→前提→最良説明」というアブダクションの枠組みと構造的に一致しています【8】【5】。

とくに中医学における診断は、診断名の固定や分類よりも、意味の束ね直し(narrative integration)を重視する点が特徴です。たとえば、抑うつ・食欲不振・胸のつかえ・月経不順といった多様な症状を「肝気鬱結」という仮説にまとめることで、症状群に物語的整合性を与えるのです。ここで診断は、単なる分類ではなく、「今この人に何が起きているか」を意味づける行為となります【9】。

また、こうした仮説は経験や直観に支えられており、施術者の身体知や感覚も重要な役割を果たします。脈診における「滑脈」「緊脈」などの詩的・比喩的表現は、定量的なデータではなく、状況に埋め込まれた知覚による意味生成を示しています。

さらに、中医学ではこうした仮説的診断が「肝気鬱結」「心脾両虚」などの共通言語として制度化され、臨床や教育の場で共有されている点も特異です。これは単なる主観的直観ではなく、文化的・社会的に整合された“形式化されたアブダクション”とみなすことができるでしょう【10】。

つまり、中医学とは「感じること」「解釈すること」「仮説を立てること」が一体となった意味生成の診断体系であり、アブダクションを中心に据えた医学モデルとして再評価されるべきです。

4. ABL-TCMと診断AIの未来:実装の試みと課題

中医学がアブダクション的な知の構造を持つという考えは、もはや比喩や哲学的主張にとどまりません。近年、中国の人工知能研究において、その推論スタイルをAIに実装しようとする動きが本格化しています。代表例が「ABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)」と呼ばれる研究です【3】。

ABL-TCMは、中医学の診断プロセスを「仮説生成→検証→修正」のサイクルとしてモデル化し、AIに再現させる試みです。従来の機械学習は、「正しいラベルが与えられている」ことを前提として学習を行います。しかし、中医学では同じ症状でも「証(しょう)」の解釈は施術者や文脈によって異なり、必ずしも一義的なラベルが存在しません。ABL-TCMはこの「ラベルのズレ(label mismatch)」を前提に、AIが“もっともらしい仮説”を自律的に生成・修正する枠組みを実装しています。

この枠組みの根底には、「違和感」や「文脈的な整合性」を重視するアブダクション的思考が存在します。ある症状群が「心火上炎」と診断されていても、文脈や患者の語りから「肝気鬱結」がより妥当だと判断し直す──そうした臨床家の経験的判断を、AIが構造として模倣しようとしているのです。

さらに最近では、舌診に関するディープラーニングの研究も進んでおり、中医学における非言語的な情報も一部AIで取り扱えるようになってきました。たとえば、Xianらは舌画像の品質評価を可能にするマルチタスク学習モデルを提案し【11】、Jiangらは舌の形状・色調などを深層学習によって多項目分類することで、生活習慣病との関連性を可視化しました【12】。

また、医師と患者の語りをAIが構造化し、意思決定を支援するフレーム「CoDeL(Collaborative Decision Description Language)」のような試みも登場しており【13】、症状・身体・語りの三要素を統合的に扱う中医学的診断の再現可能性が広がりつつあります。

とはいえ、現時点のABL-TCMはあくまで言語データに基づく実装に限られ、舌や脈、顔色、声、語りの抑揚といった「身体知」の層まではカバーできていません。また、AIが自律的に世界観や価値観を持つことも困難です。したがって、ABL-TCMは中医学的アブダクションの模倣を目指した“構造的プロトタイプ”であり、今後の課題は、より多層的な認知構造──とくに感覚・倫理・宇宙観まで含めた診断支援モデルの構築にあります。

中医学的アブダクションをAIがどこまで支援・拡張できるか。その問いは、「推論とは何か」「意味はどこで生成されるか」という問題そのものを、技術と思想の交差点で照らし出す試みでもあるのです。

5. 実証的検討:プロンプト設計がAIの出力に与える影響

これまで本稿では、中医学の診断推論におけるアブダクション的構造と、AIによる模倣可能性について論じてきました。本章では、その理論的議論に対して簡易的な実証的検討を行い、「問いの設計」がAI出力に与える影響を観察します。

実験の目的と設計

大規模言語モデル(LLMs)は、一般に「文脈を理解できない」と批判されることがあります。しかし、実際にはAIの出力は入力の質――すなわち、問いの構造や含意によって大きく左右されます。本実験では、倫理的ジレンマを扱うプロンプトを複数のLLMに提示し、文脈情報の有無が推論内容にどう影響するかを比較しました。

使用モデルは以下の3種です:

  • GPT-4(OpenAI)

  • Gemini 2.0 Flash(Google)

  • Grok-1(xAI)

各モデルに、共通の基本状況として「警察官として冤罪を目の当たりにしたが、組織は隠蔽を行っている」という設定を提示。その上で次の文脈差を加えました:

  • A. 家族あり:「あなたには愛する妻子がいる」

  • B. 家族なし:「あなたは天涯孤独である」

  • C. 文脈なし:背景なし(一般状況のみ)

すべてのプロンプトはWebアプリ上のデフォルト設定で提示され、応答を質的に比較・分析しました。

結果の概要

出力内容はプロンプトの文脈条件に大きく依存しました:

  • A(家族あり):自己犠牲への葛藤や現実的戦略が中心。

  • B(家族なし):正義や公益を重視する抽象的理想論が目立つ。

  • C(文脈なし):表面的・一般的な対応策が多く、深みのある推論は見られず。

またモデルごとの特性も確認されました。GPT-4は倫理的含意への洞察が深く、実存的観点(たとえば家族への説明の必要性)に触れる出力を示しました。Geminiは手続き的な戦略や証拠保全など実務的提案が多く、Grok-1は制度的・文化的文脈を反映した出力が目立ちました。

限界と意義

本実験にはいくつかの限界があります。第一に、各プロンプトに対する出力は1回ずつの観察であり、非決定的な生成過程を持つLLMにおいては、再現性の確認が今後の課題です。第二に、出力の評価は質的分析に基づくものであり、評価者の主観を排除することは困難でした。第三に、プロンプト自体の構成にも恣意性が含まれており、異なる倫理的文脈や文化設定であれば、異なる出力傾向が導かれる可能性もあります。

それでも本実験が示すのは、「問いの設計」――とくに価値観や関係性の明示――がAI出力の“思考の深さ”を左右するという構造的事実です。この構造は、中医学やナラティブ・メディスンが行ってきた意味生成プロセスとも響き合い、「どのように問うか」がAI時代の臨床的知の中核であることを示唆しています。

6. 推論の再構築:世界観と意味のデザイン

AIの診断支援が一定の精度に達しつつある現在、あらためて問われるのは「推論とは何か」「意味とはどこで生成されるのか」という本質的な問いです。AIが答えを導く過程を“推論”と呼ぶとき、それはどの層の思考を模倣しているのでしょうか。GPT-4の出力が医師を超えたとしても、その推論が「なぜその答えに至ったのか」を説明する意味構造を持たないならば、人間にとっての「納得」や「判断」は成立しません【14】【15】。

こうした問いに対して、筆者は「SML-CML構造(Semantic Meaning Layers × Cosmological Meaning Layers)」という多層的推論モデルを提案します。これは、中医学の診断構造、アブダクションの論理、そしてAI時代の意味設計を接続する枠組みです。

四層モデルの概要

この構造は、以下の4層からなります:

  • Cosmological Layer(世界観)
     身体や人間をどう捉えるか。何を「よし」とするか。ここには文化的価値観、時代背景、倫理、死生観などが含まれます。たとえば「延命」を最優先するか、「生活の質」や「自然な看取り」を重視するかで、同じ診断でも選択が変わります。

  • Phenomenological Layer(現象の受け取り方)
     脈や舌、語りのトーンなど、定量化されにくいが重要な「感じ取る」層。ここでは、いわば「診断の素材」となる現象が生成されます【16】。

  • Interpretive Layer(意味づけ・解釈)
     現象を「証」やパターンとして再構成する層。症状の羅列ではなく、仮説的意味づけを通して臨床判断が形成されます【13】【17】。

  • Abductive Layer(推論・仮説生成)
     違和感や整合性を手がかりに、もっともらしい説明を立てる層。これは固定されたルールによる推論ではなく、文脈依存的な仮説構築です【12】。

この四層は、弁証論治の構造を説明するだけでなく、現代AIにおける「推論の空白」を可視化するツールにもなります。現在のLLMは、情報処理(第4層)においては高い精度を持ちますが、意味生成(第3層)や現象感知(第2層)、価値前提(第1層)を扱う設計にはなっていません。

そのため、「正しい答えに見えても、なぜそう導いたのかがわからない」という“ブラックボックス問題”が生じるのです。これはNEJM AIにおいてGPT-4が複雑症例で医師より正確だったにも関わらず、「どうしてその診断に至ったのかが不透明」という懸念と直結しています【15】。

世界観を設計するという人間の役割

重要なのは、こうした“推論の空白”を、技術ではなく「問いの設計」によって補う必要があるという点です。人間がどのような価値観・前提・文化的背景をもって問いを立てるかによって、AIの出力は大きく変化する――これは前章でのプロンプト実験でも確認された通りです。

AIにおける意味理解やアブダクション推論の実現には、「事実をどの世界観で捉えるか」「現象にどのように意味を与えるか」といった上位層の構造が不可欠です。つまり、AI時代の臨床判断においてこそ、「世界観の構造設計=意味のデザイン」が、人間の役割として浮かび上がるのです。

7. おわりに:意味ある診断知の未来に向けて

本稿では、中医学における診断体系を「アブダクション的思考の体系」として再評価し、AI時代の臨床知における意味の再構築に接続する試みを行った。私たちはいま、AIが医師の診断精度に迫る、あるいは一部では凌駕するという時代に生きている【14】【15】。だがその一方で、「なぜその判断に至ったのか」「その判断は人間にとって納得できるのか」という問いが、いまだに未解決のまま残されている。

中医学の診断構造――とくに弁証論治は、症状を意味として束ね直す物語的・仮説的推論である。その意味で、中医学は意味生成においては極めて高度な構造を持った「アブダクティブ・メディスン」と呼ぶべき知の体系である。

この推論様式は、中医学に限らずすべての実践的判断に共通する。患者の「なんとなく変だ」という語りを見逃さず、違和感を出発点に仮説を立て、それを修正していく。こうした診断のプロセスは、単なる演繹や帰納ではない「意味に満ちた思考」である。AIはそのプロセスを模倣できるかもしれないが、その問いの設計や意味の整合性をどう定義するかは、依然として人間の責務である。

その意味で、いま求められているのは「データを処理するAI」ではなく、「意味を生成するAIとの協働」であり、そこには世界観や倫理観を設計する人間の役割が不可欠である。本稿で提案したSML-CML構造は、まさにその接点を構造化する試みであり、意味の層と価値の層を明示することで、AIと人間が共に問いを探求する地図になりうると考えている。

そしてこのような取り組みは、単に未来の診断モデルを考えるだけではなく、私たち自身の臨床的直観、哲学的関心、そして社会的責任をも問い直す契機となる。仮説を立て、意味づけを行い、違和感を感じながら思考し続けること――そのプロセス自体が「知」であり、AIの時代にもなお、人間が担うべき根源的な営みなのである。

参考文献

1,Editorial. Tools not threats: AI and the future of scientific writing. Nature. 2023;614:393. https://doi.org/10.1038/d41586-023-00107-z

2,Zhao Z, et al. ABL-TCM: An Abductive Framework for Named Entity Recognition in Traditional Chinese Medicine. IEEE Access. 2024. https://ieeexplore.ieee.org/document/10664593

3,Djulbegovic B, Guyatt GH. Progress in evidence-based medicine: A quarter century on. The Lancet. 2017. https://doi.org/10.1016/S0140-6736(16)31592-6

4,Magnani L. Animal abduction. In: Magnani L, Li P, eds. Model-Based Reasoning in Science, Technology, and Medicine. Springer; 2007.

5,Josephson JR, Josephson SG. Abductive Inference: Computation, Philosophy, Technology. Cambridge University Press. 1994.

6,Norman G. Research in clinical reasoning: Past history and current trends. Medical Education. 2005. https://doi.org/10.1111/j.1365-2929.2005.02127.x

7,Durning SJ, Artino AR. Situativity theory: AMEE Guide No. 52. Medical Teacher. 2011. https://doi.org/10.3109/0142159X.2011.550965

8,Magnani L. Animal abduction. In: Magnani L, Li P, eds. Model-Based Reasoning in Science, Technology, and Medicine. Springer; 2007.

9,Charon R. Narrative Medicine: Honoring the Stories of Illness. Oxford University Press. 2006.

10,Zhang WB. The development of pattern classification in Chinese medicine. Chinese Journal of Integrative Medicine. 2016. https://doi.org/10.1007/s11655-016-2540-3

11,Xian H, et al. A multitask deep learning model for automatic evaluation of tongue image quality. Frontiers in Physiology. 2022;13:966214. doi:10.3389/fphys.2022.966214

12,Jiang T, et al. Deep Learning-Based Multilabel Tongue Image Analysis and Its Application in Health Checkups. Evidence-Based Complementary and Alternative Medicine. 2022:3384209. doi:10.1155/2022/3384209

13,Lu Y, Zhang M, Liu R, Xu T. CODEL: Enhancing contextualized dialogue in health communication with explainable AI. Journal of Medical Internet Research. 2025;27:e55341. doi:10.2196/55341

14,NEJM AI Working Group. GPT vs Resident Physicians: Israeli Board Examination Benchmark. NEJM AI. 2024.

15,NEJM AI Working Group. Use of GPT-4 to Diagnose Complex Clinical Cases. NEJM AI. 2024.

16,Benner P, Wrubel J. The Primacy of Caring: Stress and Coping in Health and Illness. Addison-Wesley; 1989.

17,Kirmayer LJ. Broken narratives: Clinical encounters and the poetics of illness experience. In: Mattingly C, Garro LC, eds. Narrative and the Cultural Construction of Illness and Healing. University of California Press; 2000.

英語版

1. Introduction: Why Traditional Chinese Medicine × Abduction × AI Now?

We are now living in an era where fundamental questions such as “What is reasoning?” and “What is diagnosis?” are being reexamined from their very foundations.
With the emergence of large language models (LLMs), such as ChatGPT, AI is becoming a realistic assistant in clinical decision-making and diagnosis.
However, it has also become evident that AI-generated outputs often lack the structural reasoning behind their judgments, revealing a fundamental dissimilarity from human thinking【1】.

For instance, experienced clinicians often formulate hypotheses based on intuitive feelings such as, “I can’t explain it verbally, but something feels off.”
This type of thinking, which cannot be fully explained by either deductive or inductive reasoning, is an example of abduction, also known as hypothetical reasoning.
Traditional Chinese Medicine (TCM) has historically systematized this abductive mode of thought into a coherent framework of knowledge.

TCM is characterized by a diagnostic system that is poetic, narrative, and embodied, constructing therapeutic hypotheses through the narrative meaning-making of symptoms.
It represents a distinct form of knowledge, different from the statistical and causal reasoning that dominates Western biomedicine.
In recent years, this TCM-based approach has begun to attract attention within AI research.
A representative example is the ABL-TCM (Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine), developed by researchers in China【2】.

In this article, we reexamine the intersection of modern medicine and AI through the triadic lens of “Traditional Chinese Medicine × Abduction × AI,” aiming to address the following questions:

  • What kind of reasoning is abduction?

  • Why is TCM highly compatible with abductive reasoning?

  • How can this structure be implemented into AI?

  • And ultimately, how can humans and AI engage in collaborative reasoning?

2. Reasoning Styles in Modern Medicine and Their Limitations

Diagnosis in medicine is not merely a matter of information processing.
It is a cognitive process that constructs meaningful hypotheses based on fragmented pieces of information—such as patient complaints, physical findings, and test results—and guides therapeutic decision-making.

In modern medicine, standardization of clinical reasoning has long been pursued.
Since the 1990s, evidence-based medicine (EBM) has become the dominant paradigm, emphasizing hypothesis testing supported by statistical evidence (deductive reasoning) and pattern recognition through case aggregation (inductive reasoning).
However, as Djulbegovic and Guyatt have pointed out in their 25-year review of EBM, the paradigm has struggled to fully realize its ideal of “patient-centered decision making”【3】.

This limitation stems from EBM’s structural inability to handle non-numeric elements such as “context,” “values,” and “meaning.”
For example, even if a diagnostic algorithm is statistically optimal, it may still fail to align with a patient’s worldview or life circumstances.
In other words, a highly accurate prediction does not necessarily lead to a satisfying or acceptable clinical judgment.

In response to this gap, increasing attention has been directed toward abduction—a mode of reasoning that seeks to generate the most plausible explanation for observed phenomena.
Abduction starts from discomfort or inconsistency and proceeds through contextualized and creative meaning-making【4】【5】.

Norman categorized research on clinical reasoning into three traditions—hypothetico-deductive reasoning, intuitive diagnosis, and knowledge structure—and argued that clinical expertise is characterized by the flexible application of knowledge to varying contexts【6】.
Similarly, Durning and Artino’s situativity theory emphasizes that knowledge and cognition are inseparable from context, and are co-constructed through interaction with the environment and social relationships【7】.

These perspectives resonate with the idea of abductive reasoning—the dynamic generation, testing, and refinement of hypotheses based on each patient’s unique context.
Traditional Chinese Medicine (TCM), which places such reasoning at the core of its diagnostic practice, offers important insights for complementing and reconstructing modern EBM.

3. Diagnostic Structures in Traditional Chinese Medicine and Structural Resonances with Abduction

Abduction, or hypothetical reasoning, was proposed by the 19th-century philosopher Charles Sanders Peirce as a mode of thought that seeks to construct the “most plausible explanatory hypothesis” for observed phenomena【8】.
Unlike deduction or induction, abduction does not produce definitive conclusions; rather, it generates flexible hypotheses that can be revised according to evolving contexts—making it highly compatible with the realities of clinical practice.

Traditional Chinese Medicine (TCM) has systematized this abductive mode of reasoning into a practical medical framework.
In TCM, diagnosis is conducted through bianzheng lunzhi (pattern differentiation and treatment determination), wherein symptoms, signs, narratives, and environmental information are integrated to construct provisional diagnostic patterns known as zheng.
These patterns then inform therapeutic strategies.

The diagnostic cycle in TCM includes the following stages:

  • Observation: Gathering diverse forms of non-quantitative information, such as tongue appearance, pulse quality, voice, complexion, and verbal narratives.

  • Hypothesis Formation: Constructing culturally coded, meaningful hypotheses (e.g., liver qi stagnation, phlegm-damp obstruction).

  • Intervention and Revision: Implementing treatment and updating the initial hypothesis based on observed outcomes.

This cycle mirrors the abductive framework defined by Peirce and later scholars like Josephson, namely the sequence of “observation → premise → best explanation”【8】【5】.

A particularly notable feature of TCM diagnostics is its emphasis not on the fixed classification of diseases, but on narrative integration—the dynamic weaving together of diverse symptoms into coherent stories of illness.
For instance, symptoms such as depression, poor appetite, chest oppression, and menstrual irregularity can be bundled into the diagnostic pattern of liver qi stagnation, thereby providing narrative coherence to an otherwise fragmented clinical picture【9】.

Moreover, these hypotheses are often supported by clinical experience and embodied intuition.
Descriptive terms used in pulse diagnosis, such as “slippery pulse” (hua mai) or “tight pulse” (jin mai), represent poetic and metaphorical perceptions of bodily rhythms that defy simple quantification.

Importantly, these provisional diagnoses are not merely subjective intuitions.
Rather, they are formalized abductive structures embedded in cultural and social practices, institutionalized through shared terminology like liver qi stagnation and heart-spleen deficiency, and transmitted through clinical education【10】.

Thus, TCM can be regarded as a diagnostic system in which “feeling,” “interpretation,” and “hypothesis formation” are seamlessly integrated—a model of medicine that places abductive reasoning at its core and deserves renewed evaluation in the context of contemporary medical thought.

4. ABL-TCM and the Future of Diagnostic AI: Trials of Implementation and Challenges

The idea that Traditional Chinese Medicine (TCM) embodies an abductive structure of knowledge is no longer merely metaphorical or philosophical.
In recent years, efforts to implement this reasoning style into artificial intelligence systems have gained momentum, particularly in China.
A notable example of such an initiative is the “Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine” (ABL-TCM)【3】.

ABL-TCM seeks to model the TCM diagnostic process as a cycle of “hypothesis generation → verification → revision,” and to replicate this cycle within AI systems.
Conventional machine learning typically assumes that “correct labels” are provided during training.
However, in TCM, the interpretation of symptoms into zheng (patterns) often varies among practitioners and contexts, meaning that a single correct label does not necessarily exist.
ABL-TCM embraces this “label mismatch” premise, aiming to develop AI capable of autonomously generating and adjusting “plausible hypotheses.”

At the heart of this framework lies abductive reasoning that emphasizes “sense of dissonance” and “contextual coherence.”
For example, even if a set of symptoms is initially diagnosed as Heart Fire Rising (xin huo shang yan), the narrative and context may lead an experienced clinician to reframe it more appropriately as Liver Qi Stagnation (gan qi yu jie).
ABL-TCM attempts to mimic this experiential clinical judgment structurally within AI.

Moreover, recent advances have expanded AI’s capacity to handle non-verbal information central to TCM.
Xian et al. proposed a multitask learning model for the quality assessment of tongue images【11】, while Jiang et al. developed deep learning models to classify multiple aspects of tongue features (e.g., shape, color) and visualize their correlations with lifestyle-related diseases【12】.

Additionally, frameworks like “CoDeL” (Collaborative Decision Description Language)【13】 have been introduced, aiming to structure dialogues between physicians and patients in ways that reflect TCM’s integration of symptoms, bodily signs, and narratives.

However, it must be emphasized that current ABL-TCM implementations are still limited to linguistic data processing.
They cannot yet capture the “embodied knowledge” involved in clinical practice—such as tongue texture, pulse sensation, facial color, voice tonality, or the nuanced dynamics of verbal expression.
Nor can current AI systems autonomously embody cosmological assumptions or ethical frameworks.
Thus, ABL-TCM remains a “structural prototype” aiming to emulate TCM-style abduction, and future challenges lie in building more layered cognitive models that incorporate sensory, ethical, and cosmological dimensions into diagnostic support systems.

Ultimately, the question of how far AI can support or extend the abductive diagnostic reasoning inherent to TCM illuminates deeper philosophical issues:
What constitutes reasoning?
Where does meaning originate?
Addressing these questions demands a meeting point between technology and philosophy.

5. Empirical Investigation: The Impact of Prompt Design on AI Outputs

Thus far, this paper has discussed the abductive structure of diagnostic reasoning in Traditional Chinese Medicine (TCM) and its potential for replication in artificial intelligence (AI) systems.
In this chapter, we present a preliminary empirical examination of how “prompt design” influences AI outputs.

Purpose and Design of the Experiment

Large language models (LLMs) are often criticized for “failing to understand context.”
However, in practice, AI outputs are heavily influenced by the quality of inputs—that is, by the structure and implied meaning of the prompts.
This experiment examined how the presence or absence of contextual information in prompts affected the reasoning processes of different LLMs when faced with ethical dilemmas.

We tested three models:

  • GPT-4 (OpenAI)

  • Gemini 2.0 Flash (Google)

  • Grok-1 (xAI)

Each model was presented with a common basic scenario:

A police officer witnesses a false accusation being concealed by their organization.

We then added three variations of contextual information:

  • A. Family present: “You have a beloved spouse and children.”

  • B. No family: “You are utterly alone, with no family.”

  • C. No context: Only the general situation is provided, without personal background.

All prompts were submitted under default settings via web applications, and the outputs were qualitatively compared and analyzed.

Summary of Results

The content of the outputs was highly dependent on the contextual conditions of the prompts:

  • A (Family present): Outputs emphasized dilemmas of self-sacrifice and pragmatic strategies.

  • B (No family): Outputs leaned toward abstract ideals such as justice and the public good.

  • C (No context): Outputs tended to be superficial and generic, lacking depth in reasoning.

Model-specific tendencies were also observed:
GPT-4 demonstrated deeper insights into ethical implications, including existential perspectives (such as the need to explain one’s actions to family members).
Gemini produced more procedural suggestions, such as strategies for evidence preservation.
Grok-1 reflected institutional and cultural factors more prominently in its responses.

Limitations and Significance

Several limitations must be acknowledged.
First, each prompt was evaluated based on a single output per model, and given the non-deterministic nature of LLMs, reproducibility remains a future concern.
Second, output evaluation was based on qualitative analysis, inevitably involving subjective judgment.
Third, the structure of the prompts themselves contained arbitrary elements, meaning that different ethical or cultural contexts might yield different tendencies.

Nevertheless, this experiment highlights a crucial structural fact:
The way a question is framed—especially the explicit inclusion of values and relationships—directly influences the “depth of reasoning” produced by AI.
This finding resonates with the meaning-generating processes practiced in TCM and narrative medicine, suggesting that how we ask is central to clinical knowledge in the age of AI.

6. Reconstructing Reasoning: Designing Worldviews and Meaning

As AI systems for diagnostic support reach increasingly high levels of accuracy, we are once again confronted with fundamental questions:
What is reasoning?
Where and how is meaning generated?

When we refer to the process by which AI derives answers as “reasoning,” what layer of thought is it truly mimicking?
Even if outputs from GPT-4 surpass the diagnostic accuracy of physicians, if the reasoning lacks a meaningful structure capable of explaining why a particular answer was reached, then human notions of “understanding” and “judgment” cannot be said to be satisfied【14】【15】.

In response to these questions, the author proposes a multi-layered reasoning model called the SML-CML Structure (Semantic Meaning Layers × Cosmological Meaning Layers).
This framework connects the diagnostic structure of Traditional Chinese Medicine (TCM), the logic of abduction, and the challenges of meaning design in the AI era.

Outline of the Four-Layer Model

This structure consists of the following four layers:

  • Cosmological Layer (Worldview)
    How we conceptualize the body and human existence; what we value as “good.”
    This includes cultural values, historical contexts, ethics, and views on life and death.
    For example, whether one prioritizes “life prolongation” or “quality of life” or “natural death” can drastically alter diagnostic decisions.

  • Phenomenological Layer (Reception of Phenomena)
    The layer where unquantifiable yet vital sensations are perceived, such as the pulse, tongue appearance, or the tone of a patient’s narrative【16】.
    This constitutes the “raw material” for subsequent diagnosis.

  • Interpretive Layer (Meaning-Making and Interpretation)
    The layer where phenomena are reconstructed into diagnostic hypotheses (“patterns” or “證”, zhèng).
    Instead of mere listing of symptoms, clinical judgment is formed through hypothesis-driven meaning-making【13】【17】.

  • Abductive Layer (Reasoning and Hypothesis Generation)
    The layer where “something feels wrong” or “logical consistency” triggers the construction of the most plausible explanations【12】.
    This is not mechanical deduction, but rather a context-dependent, adaptive hypothesis-building process.

These four layers not only explain the structure of 辨證論治 (biàn zhèng lùn zhì, syndrome differentiation and treatment determination) in TCM, but also serve as a tool to visualize the “gaps” in current AI-based reasoning.
Present-day LLMs excel at the fourth layer (information processing), but lack mechanisms for generating meaning (third layer), sensing phenomena (second layer), or establishing cosmological presuppositions (first layer).

As a result, AI outputs may appear “correct,” yet it remains unclear why they reach those conclusions—a manifestation of the so-called “black box problem.”
This issue is directly linked to concerns raised even in NEJM AI studies, where GPT-4 outperformed human doctors on complex cases yet left its diagnostic rationale opaque【15】.

The Human Role in Designing Worldviews

Crucially, these gaps cannot be filled by technical improvements alone.
Instead, they must be addressed by carefully designing the questions we ask, grounded in values, assumptions, and cultural contexts.
This was also affirmed in the empirical experiments discussed in the previous chapter.

For AI to truly realize abductive reasoning and deep meaning-making, it must operate not just within isolated facts, but within the structured frameworks that humans create:
How we frame the world.
How we assign meaning to perceived phenomena.

In short, in the age of AI-assisted clinical decision-making, designing worldviews and crafting meaning are indispensable human responsibilities.

7. Conclusion: Toward a Future of Meaningful Diagnostic Knowledge

In this paper, I have reevaluated the diagnostic system of Traditional Chinese Medicine (TCM) as a “system of abductive reasoning” and attempted to connect it to the reconstruction of clinical knowledge in the AI era.
Today, we live in an era where AI is approaching—or in some cases surpassing—the diagnostic accuracy of physicians【14】【15】.
However, fundamental questions remain unresolved: “Why was that judgment reached?” and “Can humans find that judgment satisfactory?”

The diagnostic structure of TCM—especially bianzheng lunzhi (pattern differentiation and treatment)—is a narrative and hypothetical reasoning process that bundles symptoms into meaningful constructs.
In this sense, TCM should be recognized as a highly sophisticated system of meaning generation, deserving to be called an “abductive medicine.”

This style of reasoning is not exclusive to TCM. It is a process common to all forms of practical judgment: noticing a patient’s subtle expressions of unease, generating a hypothesis from these signs, and refining that hypothesis through iterative correction.
Such diagnostic processes embody “thinking full of meaning”, rather than merely following deductive or inductive logic.
Although AI may be able to imitate these processes, defining the design of the questions and ensuring the coherence of meanings remain fundamentally human responsibilities.

Thus, what is demanded today is not merely “AI that processes data”, but a “collaboration with AI that generates meaning”—and for this, the role of humans in designing worldviews and ethical frameworks is indispensable.
The SML-CML structure proposed in this paper seeks precisely to structurize this intersection, providing a map that makes explicit the layers of meaning and value, and enabling humans and AI to jointly explore profound questions.

Moreover, this kind of endeavor is not only about developing future diagnostic models.
It also invites us to reconsider our own clinical intuition, philosophical concerns, and social responsibilities.
To generate hypotheses, to assign meanings, to perceive discomfort, and to continue thinking through uncertainty—this very process constitutes “knowledge,” and it remains a fundamental human endeavor even in the age of AI.

References

1,Editorial. Tools not threats: AI and the future of scientific writing. Nature. 2023;614:393. https://doi.org/10.1038/d41586-023-00107-z

2,Zhao Z, et al. ABL-TCM: An Abductive Framework for Named Entity Recognition in Traditional Chinese Medicine. IEEE Access. 2024. https://ieeexplore.ieee.org/document/10664593

3,Djulbegovic B, Guyatt GH. Progress in evidence-based medicine: A quarter century on. The Lancet. 2017. https://doi.org/10.1016/S0140-6736(16)31592-6

4,Magnani L. Animal abduction. In: Magnani L, Li P, eds. Model-Based Reasoning in Science, Technology, and Medicine. Springer; 2007.

5,Josephson JR, Josephson SG. Abductive Inference: Computation, Philosophy, Technology. Cambridge University Press. 1994.

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7,Durning SJ, Artino AR. Situativity theory: AMEE Guide No. 52. Medical Teacher. 2011. https://doi.org/10.3109/0142159X.2011.550965

8,Magnani L. Animal abduction. In: Magnani L, Li P, eds. Model-Based Reasoning in Science, Technology, and Medicine. Springer; 2007.

9,Charon R. Narrative Medicine: Honoring the Stories of Illness. Oxford University Press. 2006.

10,Zhang WB. The development of pattern classification in Chinese medicine. Chinese Journal of Integrative Medicine. 2016. https://doi.org/10.1007/s11655-016-2540-3

11,Xian H, et al. A multitask deep learning model for automatic evaluation of tongue image quality. Frontiers in Physiology. 2022;13:966214. doi:10.3389/fphys.2022.966214

12,Jiang T, et al. Deep Learning-Based Multilabel Tongue Image Analysis and Its Application in Health Checkups. Evidence-Based Complementary and Alternative Medicine. 2022:3384209. doi:10.1155/2022/3384209

13,Lu Y, Zhang M, Liu R, Xu T. CODEL: Enhancing contextualized dialogue in health communication with explainable AI. Journal of Medical Internet Research. 2025;27:e55341. doi:10.2196/55341

14,NEJM AI Working Group. GPT vs Resident Physicians: Israeli Board Examination Benchmark. NEJM AI. 2024.

15,NEJM AI Working Group. Use of GPT-4 to Diagnose Complex Clinical Cases. NEJM AI. 2024.

16,Benner P, Wrubel J. The Primacy of Caring: Stress and Coping in Health and Illness. Addison-Wesley; 1989.

17,Kirmayer LJ. Broken narratives: Clinical encounters and the poetics of illness experience. In: Mattingly C, Garro LC, eds. Narrative and the Cultural Construction of Illness and Healing. University of California Press; 2000.

なぜ私は今、プレプリントを出したり、自分で研究を始めようとしているのか?

私は「肩書き」や「学術的評価」が欲しくて研究をしているわけではありません。ただ、もっと臨床を面白くしたい、それだけなんです。日々の現場には、教科書や論文では拾えない、たくさんの気づきがあります。その一つひとつの問いや発見を、ちゃんと形にして、次の人たちに引き渡していきたい。臨床家がもっと自由に、自分の疑問から研究を始められるようになったら、鍼灸や伝統医学はもっと進化するはずです。だから私は、オープンサイエンスの発想に基づいて、「現場の知」を研究者とともに共有・発展させていく新しいモデルを提案しています。

このモデルでは、現場のアイデアや仮説は自由に共有され、研究者がその内容を検証し、社会的な知として育てていきます。知的財産権の主張をするつもりはありせんが、アイデアの提供者の名前や理念は記録に残り、信頼や信用というかたちで積み上がっていきます。また、その理論が立証されれば、再び臨床に戻り、商品化・教育・実装へとつながっていく可能性もあります。

私は2025年4月14日現在、鍼灸臨床から生まれた思考フレームアイデアを10以上ストックしておりこれからも臨床の合間をぬって、ブログやプレプリントとして発信していきます。

例えば:

IMRE(Integrated Meaning-Relational Evaluation 、意味と関係の統合評価モデル):鍼灸や伝統医療における「意味」と「関係性」を構造的に評価するモデルです。患者の期待や満足度、施術者の信念や技術評価など主観的な要素をスコア化し、施術プロセス全体の意味生成を可視化します。EBMの補完として、語りや関係の構造に注目し、共感や気づきを評価可能にする臨床フレームです。

中医学アブダクション推論と思考フレーム:世界観・現象学・解釈学・アブダクションという4層構造に基づき、文脈的かつ意味生成的に診断を行う思考モデルです。患者の経験や背景を踏まえた仮説生成型推論であり、AIにどこまで人間の思考構造を再現できるかという探究にもつながります。

医療連携と中医学概念を使って、診断名がなくても患者に安心してもらうためのプロトコル原案:診断名がつかず不安を感じる患者に対し、中医学的な説明と「治療の見通し」を言語化することで安心感を与えるプロトコルを提案します。「3つの領域モデル」で適応範囲を明確化し、セルフケアや段階的治療の可視化を通じて、患者の主体的関与を促します。必要に応じて医療連携も行い、中医学的診断を丁寧に伝えることで、診断名がなくても納得と安心のある治療を実現します。

もしこのような私の姿勢に共感してくださる方、興味のある方がいましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。一緒に、現場から未来をつくる仕組みを育てていきましょう。

田無北口鍼灸院 白石健二郎

kenjiroushiraishi@hotmail.co.jp

I am not pursuing research for the sake of academic titles or scholarly recognition. All I want is to make clinical practice more engaging. In the treatment room, there are countless insights and discoveries that textbooks and academic papers often overlook. I want to shape these individual questions and findings into something meaningful, and pass them on to future practitioners.

If more clinicians could freely initiate research based on their own questions, acupuncture and traditional medicine would undoubtedly evolve further. That is why I am proposing a new model based on the spirit of open science—one in which practitioners and researchers collaborate to share and develop the knowledge born from the clinical field.

In this model, ideas and hypotheses from the field are freely shared, and researchers validate them to transform practical insights into public knowledge. While I do not claim intellectual property rights, the names and visions of those who contribute ideas are recorded and preserved, building trust and credibility. Once a theory is validated, it may return to the clinic and lead to implementation in practice, product development, or education.

As of April 14, 2025, I have more than 10 original conceptual frameworks born from my clinical experience, and I plan to continue publishing them through blog posts and preprints as time permits.

For example:

  • IMRE (Integrated Meaning–Relational Evaluation): A model designed to structurally evaluate the “meaning” and “relational dynamics” present in traditional medical practice. It quantifies subjective elements such as the patient’s expectations and satisfaction, as well as the practitioner’s beliefs and technical confidence. IMRE visualizes the entire therapeutic process and complements EBM by providing a way to assess narratives and relationships that foster empathy and insight.

  • Abductive Reasoning and Frameworks in Traditional Chinese Medicine: A layered diagnostic model integrating worldview, phenomenology, hermeneutics, and abduction. It offers a context-sensitive and meaning-generating approach to clinical reasoning, and raises the question of whether AI can ever replicate this human cognitive structure.

  • A Protocol for Reassuring Patients Without a Diagnosis Using Medical Collaboration and TCM Concepts: This framework proposes how to provide psychological reassurance to patients without a formal diagnosis through clear explanations rooted in Chinese medicine. It uses a “three-domain model” to define therapeutic scope, integrates self-care strategies, and visualizes treatment steps. The goal is to offer patients a sense of control, clarity, and peace of mind—while collaborating with medical professionals when necessary.

If any part of my approach resonates with you, I would be delighted to connect. Together, let’s build a system that bridges practice and research—one that brings the future of medicine closer to where healing actually happens.

Kenjiro Shiraishi
Tanashi Kitaguchi Acupuncture and Moxa Clinic
 kenjiroushiraishi@hotmail.co.jp

IMRE(Integrated Meaning-Relational Evaluation 、意味と関係の統合評価モデル)の提案 ― 鍼灸治療の主観的価値を定量化する、新たな実践的アプローチ ―

はじめに:IMREとは何か?そしてなぜ今、必要なのか?

IMRE(Integrated Meaning–Relational Evaluation、意味と関係の統合評価モデル)は、鍼灸を含む伝統医学の臨床において、治療の「意味」と「効果」を再統合し、伝統的価値観と現代の評価科学を橋渡しすることを目的に設計された、新しい評価モデルです。とくに近年では、オープンサイエンスの理念に基づく研究報告の透明性が求められており、2025年4月に発表されたCONSORT 2025(参考1)は、ランダム化比較試験(RCT)における患者関与・データ共有・介入内容の明確化などを新たに強調しています。このような流れに呼応して、IMREもまた、治療の「意味」や「関係性」といったこれまで評価困難だった要素を、構造化・可視化し、共有可能な知として扱うための実践的フレームとして位置づけられます。本モデルは、鍼灸治療における「患者の期待」「施術者の信念と技術」「患者の満足度」といった主観的・文脈的要素をスコアとして構造化し、見えにくい治療効果の可視化を試みます。(Figure1)もともとは鍼灸から出発したが、補完代替医療、漢方、アーユルヴェーダ、さらに慢性疾患や機能性症候群といった評価が困難な領域にも応用できる汎用的な構造を持つため、「意味と関係の統合評価モデル(IMRE)」として再定義されました。

鍼灸治療とは中国をルーツに持つ伝統医学的治療法であるが、その定義は厳密に定められておらず、流派や考え方によって手法は大きく異なります(参考2,3)。そしてその治療は文脈や関係性に強く依存するため、現代医学的なRCTではその評価が容易でないことがたびたび指摘されています。たとえば、米国AHRQによる包括的レビュー「Evidence Map of Acupuncture」は、数百件に及ぶ文献を俯瞰しながらも、「患者や臨床家が本当に知りたい問い」に応えるエビデンスの特定が困難であったことを報告しています(参考4)。この事実は、鍼灸という文脈性の高い治療を、標準化された指標だけでは評価しきれないという、現在の評価枠組みの限界を明示しています。また、Luら(2022)は、臨床現場や政策決定において鍼治療のエビデンスが十分に活用されていない現状を批判的に指摘しており、評価の再構築が求められています(参考5)。さらに、Langevinらは、伝統的な「気の流れ」に着目するアプローチと、神経生理学的刺激を重視する近代的鍼灸は異なる構造を持つため、それぞれに適した評価軸を用いるべきだと提言しています(参考6)。IMREは、こうした治療構造の違いや文脈の重層性をスコアリングに反映する新たな視座を提供するものです。さらに重要な点として、Kaptchukら(2009)は、RCTという実験的文脈の中にあっても、プラセボ群の患者たちが「本物の治療を受けた」と感じ、語りの中で深い意味や納得感を構築していたことを詳細に報告しています(参考7)。同研究は、効果の有無だけでは測れない「意味ある体験」が臨床における現実を構成していることを示唆しており、IMREが扱おうとする「主観的かつ構造的なリアリティ(=語りや期待がもたらす臨床上の意味づけ)」の妥当性を裏づけています。日本においても、中野重行は、プラセボや自然治癒といった要素が「サイエンスの土俵に乗りにくい」のは、それらがあまりにも多要因的で文脈依存的であるためだと指摘しています(参考8)。このような複雑な現象に対して、IMREは構造的なスコアモデルを導入することで、「記述」「共有」「検証」の可能性を開こうとします。同様に、ナラティブ・メディスンを提唱したリタ・シャロンは、医療とは「物語の理解と応答」に根ざすものであり、医療者は語りを理解し、応答する narrative competence(語りの読解力)を持つべきだと述べています(参考9)。IMREはこの立場に共鳴しつつ、語りだけでなく「治療プロセスそのもの」を構造的に抽出し、スコアという形で臨床知として再利用可能なかたちにする新たな試みです。このように、IMREは、従来の断片的な評価から全体の構造的評価への転換を提案します。すなわち、期待 → 信念 → 刺激 → 満足 → 調整という一連の流れを意味生成のプロセスと見なし、それを構造化し記述することで、「治療という関係性の中で、どのように意味が形成されたか」を評価することを目的とします。(figure2)さらに、流派ごとに異なる用語や治療思想、ばらばらに見える技法も、共通の「意味」や「文脈」の構造に注目すれば、そのプロセスを抽象化し、定量化することが可能になります。この視点は、診断が難しく主観的訴えが中心となる慢性疾患や症候群においても、意味と関係性の構造を記述・評価することで、より文脈に即した実践的な治療評価を可能にする重要な鍵となります。

本稿では、IMREの哲学的背景、教育的意義、評価構造、応用可能性、実証研究の計画、そして「科学と意味の橋渡し」としての役割について、順を追って論じます。

東洋哲学的視座:IMREは「対等な関係性」に立脚するモデル

IMRE(Integrated Meaning-Relational Evaluation)の根底には、患者と施術者の関係を「対等な相互主体」として捉える東洋的な価値観があります。一般的な医療評価モデルでは、施術者は治療の「実施者」、患者は「評価者」として位置づけられることが多く、その構図はどうしても一方向的な視点に偏りがちです。それに対してIMREでは、施術者も自己評価を行い、患者と同様に評価構造に参与することで、関係性の双方向性=共同生成される効果が可視化されます。このような設計思想は、東洋哲学、とくに以下のような価値観に根ざしています。

  • 荘子における「万物斉同」──たとえば『荘子・斉物論』では、「天地与我並生、万物与我為一(天地と我とともに生じ、万物と我とは一体なり)」と語られ、世界を隔たりなく一つの関係的存在として捉える視座が示されます(参考10)。

  • 道教における「陰陽と相生」──『老子』には「万物は陰を負い、陽を抱きて中和を為す」(第四十二章)という言葉があり、万物の成り立ちは相反する要素の共存とその調和にあるとされています(参考11)(figure3)。

  • 仏教における「縁起=すべては関係の中にある」という世界観──『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』(中村元 訳)第23章「臨終のことば」では、ブッダが「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と語り、すべてが変化し続ける関係性のなかで、いかに自律と慈悲を実践し続けるかという、生の姿勢を示しています。(参考12)。

こうした伝統的な思想に通底するのは、「一方が他方を評価する」という構図ではなく、両者がともに関係性を立ち上げていくという構造です。IMREは、この東洋哲学的な人間観・関係観を、現代的な評価モデルとして表現することを試みています。このような関係性モデルは、東洋哲学における「対等な生成関係」と共鳴するだけでなく、医療人類学においても繰り返し強調されてきました。たとえば医療人類学者アーサー・クラインマンは、伝統医学における治療とは「患者と治療者が共に意味を構築する文化的プロセス」であり、そこに含まれる語りや儀式的なやり取りこそが治療の本質であると述べています(参考13)。この視点に立てば、治療の評価とは「一方的な効果測定」ではなく、「共に生成された物語の再構成」であるべきです。IMREが施術者と患者の双方の評価を組み込む理由も、まさにこのような関係性重視の治療観に基づいています。

教育ツールとしての可能性と未来展望

IMRE(意味と関係の統合評価モデル)は、単なる評価指標にとどまらず、施術者自身の学習・内省・成長を促す教育ツールとしても設計されています。たとえば、施術者が自分の技術や信念をどのように捉えているかと、患者の満足度がどの程度一致しているかを可視化することで、自身の治療アプローチがどれほど「伝わっているか」を客観的にフィードバックとして受け取ることが可能になります。また、このモデルには、施術者が自らの熟練度や信念に応じて、評価点の最大値(上限)を自分自身で設定できるという柔軟な設計思想が組み込まれています。この「自己評価の自由度」は、謙虚さや自己認識を育む訓練となるだけでなく、信頼できる指導者や先輩と相談しながら上限点を設定することも可能です。この仕組みによって、師のいない自由な学びの利点と、伴走者がいないことによる不安やリスクの両方を包含し、個人の成長スタイルに適した多様な実践が可能になります。さらに今後は、このIMREモデルを基盤とし、以下のようなリアルな客観的データと統合した多層的評価の取り組みも計画されています。

  • 心拍変動(HRV)

  • 気圧・気温・湿度などの気象データ

  • サーモグラフィーによる体表温度の変化

  • 経穴部位の生体反応(例:皮膚電気抵抗や良導絡測定、触診による緊張・温度・色の変化など)

これらのデータを組み合わせることで、「気の変化」や「治療空間の文脈」といった曖昧で定量化しづらい要素についても、生理的反応や環境データと照合しながら分析する新たな道が開かれます。IMREは、AIが進化する時代においてもなお重要である「意味」や「関係性」といった人間的な領域を評価可能にする、新しい臨床知の道具といえるでしょう。

モデルの構造:IMREの評価式と要素の定義

IMRE(意味と関係の統合評価モデル)は、治療における「意味」と「効果」を構造的に捉えるために設計された評価モデルです。本モデルは、以下のシンプルなスコア式に基づいて構成されています。

治療効果 = 患者期待値 + 施術者自己評価+施術者刺激評価 + 患者満足度 + 調整点

このスコアは、単なる数値の合計ではありません。施術者と患者の間で交わされる主観的・関係的なやりとりを、治療プロセスの時間的な流れとして抽象化し、スコアとして可視化することを目的としています。IMREは、治療という行為の中に含まれる「見えにくい要素」を可視化し、その相互作用を構造的に捉えるための枠組みとして機能します。以下に、各構成要素の定義を示します。

評価項目内容点数範囲
患者期待値施術前に患者が感じている期待感を10段階で評価1〜10点
施術者技術評価(部位・方法)施術者が選んだ刺激部位や刺激法の妥当性を自己評価1〜10点(※)
施術者信念評価信念や自信を自己申告(熟練度に応じて設定)6〜10点
患者満足度施術後に患者が感じた効果や満足度を10段階で評価1〜10点
調整点(補正値)相互理解のズレや認識ギャップを補正するルールによって加減点±2点程度

調整点のルール例(試案)

IMREモデルにおける「調整点(補正値)」は、施術者と患者の相互理解や評価のズレをスコアに反映するための重要な構成要素です。(figure4)本モデルでは以下のようなルールを想定しています(今後の実証研究にて検証・調整予定)。

1. 感動ボーナス(期待を大きく超えた満足度への加点)

• 患者の期待値が低く、施術後の満足度が3点以上高い場合:+1点

• 同様に、満足度が5点以上高い場合:+2点

(例:期待値2、満足度8 → +2点)

2. 新人の頑張り補正(技術評価が低い場合の高満足への加点)

• 施術者技術評価が低く、患者満足度が3点以上高い場合:+1点

• 同様に、5点以上高い場合:+2点

(例:技術評価4、満足度9 → +2点)

3. 慢心減点(施術者の自己評価が高く、満足度が著しく低い場合の減点)

• 施術者の技術評価が高く、満足度が3点以上低い場合:−1点

• 同様に、5点以上低い場合:−2点

(例:技術評価8、満足度2 → −2点)

これらの調整点は、「評価のズレ=文脈のギャップ」と捉え、それを定量的に反映する仕組みです。施術者の学習、患者との関係構築、期待と結果の整合性を内省的に捉えるためのフィードバック・ツールとしても活用されることを想定しています。

*技術評価(部位・方法)の上限は、施術者の自己評価に応じて制限されます(例:信念評価が8点の場合、技術評価の最大値も8点までとなります)。

*なお、本評価スコアの付け方や尺度については、今後の実証研究において検証・調整を予定しており、現在はプロトタイプとしての設計段階にあります。

なぜこのモデルなのか?:IMREに込められた構造と思想

IMRE(意味と関係の統合評価モデル)は、「患者の期待」「施術者の判断」「身体反応」「満足度」といった一連の流れを、対話的な構造として再構成することを目的に設計されています。このモデルが意図しているのは、単なる治療評価ではなく、治療という行為そのものの再定義です。

1.治療プロセスを「じゃんけん構造」として抽象化する

臨床現場では、常に施術者の判断と患者の受け取り方のあいだに動的なやり取りが生じます。IMREはこのプロセスを、施術前(期待)→施術中(信念と刺激)→施術後(満足)という流れとして捉え、まるで施術者と患者が「手」を出し合うような構造=じゃんけん的構造に抽象化しています。(figure5)このような構造化は、意味が関係の中で形成されるという相互性を可視化するものであり、単なる勝ち負けの可視化ではなく、「意味の交換」を構造として捉える試みです。さらに、じゃんけんという形式自体も単なる遊びではなく、虫拳に代表されるように古代中国の儀礼的な起源を持ち、文化的象徴性を帯びた身体的実践の一種です(参考14)。IMREはこの構造を、治療における象徴的やりとりの比喩として導入し、身体性・関係性・意味生成を再構成しようとしています。

2.「得気」すら手段である──気の調整を本質に据える

従来、鍼灸の科学化においては、得気(鍼の響き)や経穴の特異性、刺入の深さ、鍼の保持時間といった因子が評価の対象とされてきました。しかしこうした評価は、治療がもともと持つ文脈依存性や関係性の重層性を分離しにくいという特性をしばしば無視し、明確な評価指標を得にくいという限界に直面してきました(参考15)。IMREは、まさにこの「分離不能な意味の複層性」に応答する形で設計されたモデルです。堀池信夫は、古代中国における「気」の思想に基づき、鍼灸とはあくまで手段にすぎず、本質は「気の調整」にあると指摘しています(参考16)。これは、鍉鍼による無痛刺激や、触れるだけの介入であっても治療が成立するという事実とも整合します。IMREは、物理的な強度や介入そのものよりも、「関係性のなかで意味がどう形成されたか」という視点を重視した評価モデルです。

3.IMREは「物語」をスコア化するモデルである

IMREは、単なる点数の合計ではなく、施術者と患者のあいだで紡がれる治療のプロセスそのものを「物語」として構造的に評価するモデルです。治療においては、

  • 期待が語られ、

  • 刺激が選ばれ、

  • 信念が込められ、

  • 満足が生まれ、

  • そしてズレが補正される。

この一連のプロセスは、伝統医療における意味生成の核心です。IMREはそれをスコアとして可視化し、再利用可能な構造的知識として記録・継承することを目指しています。この「物語のスコア化」という発想は、AIが小説を自動生成し、文学賞を受賞するような時代背景とも接続しています。今や「語ること」自体の希少性が薄れつつある中で、重要なのは「どのような関係性のなかで意味を持った語りなのか」という構造です。IMREは、語りと反応が交差する関係性そのものを評価対象とすることで、ナラティブ・メディスンを「共感」や「感受性」ではなく、構造的なプロセスとして再定義しようとする臨床フレームです。これは、Narrative-Based Medicine(NBM)の立場を継承しつつ、Trisha Greenhalghらが述べるようにEBMとの対立ではなく補完的関係として捉える視点に基づいています(参考17)。IMREはその理論的課題に対して、「構造を評価できるスコアモデル」という実装的な回答を提示します。特に特徴的なのは、IMREが「意味ある瞬間」をナラティブ・タグとして記録できる点です。たとえば、

  • 「鍼が怖かったけど、意外と心地よかった」

  • 「腰に刺したツボが効いた気がする」

  • 「話を聞いてもらえて安心した」

といった患者の語りは、満足度や信頼関係の変化を示す貴重な手がかりです。施術者側も、

  • 「ツボが脈と一致していた」

  • 「響きが深く、手ごたえがあった」

  • 「施術後に笑顔が見られた」

などの主観的感覚を記録することで、自己評価や刺激評価を補完できます。これらのタグはスコアに反映される補助情報であり、「調整点(補正値)」として活用可能です。さらにIMREは、点数が変化すること自体が関係性の変化を示すという、動的な評価モデルでもあります。たとえば、1回目で患者が低いスコアをつけた場合、施術者はより慎重かつ謙虚に次回に臨む傾向があります。つまりIMREスコアは次の治療をどう組み立てるかという対話の媒介でもあるのです。このとき重要になるのが、「調整点(補正値)」です。これは、施術者と患者のスコアのあいだに生じたズレや共鳴の深さを構造的に捉え、それを補正することでスコアに意味を与える仕組みです。以下の図はその調整点の役割を示したものです。このように、IMREは単なる評価スコアではなく、臨床の意味生成と関係構築を動的に可視化するモデルであり、数値の高低ではなく、背景にあるズレ・共鳴・変化のプロセスこそが評価の本質だといえるのです。

4.IMREは流派を超えて使える「共通言語」である

IMREは、特定の治療法や流派に依存しない設計となっており、中医学的アプローチ、経絡治療、トリガーポイント療法、現代鍼灸など、いずれの方法論においても適用可能です。施術者の意図、患者の期待、治療結果の受け止め方という共通の構造がある限り、本モデルは流派間の比較、教育評価、自己研鑽のための共通言語として機能します。

5.IMREは「意味と関係の構造化」モデルである

IMREの本質は、数値の正確さではなく、意味と関係の生成過程をどのように構造化し、未来へと継承可能な知とするかという問いにあります。これは、単なる「効果測定」を超え、施術者と患者がともに意味を生成していくプロセスそのものを評価する枠組みです。実際、近年のAI医療研究でも、「意味生成」や「文脈理解」の重要性が再評価されています。たとえば中国では、中医学の診断プロセスにアブダクション(仮説生成)を活用する「ABL-TCM(Abductive Learning for Traditional Chinese Medicine)」という手法が提案され、知識と仮説の連携に基づく推論構造が再設計されています(参考18)。また、説明可能なAI対話モデル「CODEL(Contextualized Dialogue with Explainability in Healthcare)」のように、文脈と関係性を組み込んだ対話設計の試みも進んでいます(参考19)。これらの研究はいずれも、従来の因果モデルでは捉えきれなかった「意味」と「関係」の生成を扱うものであり、IMREはこうした国際的潮流と呼応しつつ、伝統医療における実践知を現代的な評価フレームとして再構成する試みです。AI・ビッグデータ時代においても、関係性の質や主観的意味が治療の鍵を握るという視点を、構造的かつ評価可能な形で提示する新たな道を切り拓こうとしています。つまりIMREとは、意味と関係にタグを打つための最初の道具であり、それによって人間しかできないことをAI時代に橋渡しする枠組みでもあるのです。

6.  IMREモデルの限界と留意点

この評価スコアは主観スコアであるため絶対的な数値ではなく、あくまで文脈と関係性の中での翻訳記号となります。そのため同じ数値でも異なる意味を持ちうるため、解釈には注意が必要とです。

  • 評価の対象は“効果”ではなく意味: IMREは治療効果そのものを科学的に測定するものではなく、「意味形成」「納得感」「関係性の変化」など、主観的・文脈的な側面を可視化するツールでああるため、RCTや薬理学的効果と直接比較できるものではありません。
  • 評価結果の汎用性には限界:評価構造は特定の文化的・診療文脈に依存するため、他の場面にそのまま適用するには調整が必要です。スコアは比較可能性を担保するものではなく、診療支援・自己内省・臨床教育の補助ツールとして位置づけるべきでしょう。
  • 施術者や患者によるゲーム化の可能性 :スコアが評価指標になることで、施術者・患者ともに無意識的に数値を“操作”する可能性があります(満足度ボーナス狙いなど)。 そのため、定性的コメントやセラピストの振り返りを併用するなど、バランスの取れた解釈が求められます。

IMREの応用可能性:伝統医学・補完医療への展開

IMRE(意味と関係の統合評価モデル)は、鍼灸臨床から生まれたモデルですが、その構造は他の伝統医療や主観的医療領域、さらには慢性疾患や症候群など、より広い医療文脈にも柔軟に応用することができます。というのも、IMREが評価の対象としているのは「技術そのものの客観性」ではなく、「意味と関係性の生成過程」だからです。以下に、具体的な応用可能性を示します。

1.漢方医学への応用

漢方医学では、患者の「証」に基づいた弁証施治が行われますが、処方内容の正しさや薬理作用の有無以上に、

  • 患者がどれだけ納得して服薬しているか

  • 処方者がどれだけ自信と整合性をもって診立てているか

  • 実際の服薬後にどのような満足や変化があったか

といった関係的・主観的な体験の重層性が、治療満足度や継続性に大きく影響します。このような構造は、IMREが提示する「期待 → 信念 → 満足 → 調整」という評価の流れと非常に親和性が高く、漢方診療においても、診断や服薬体験の意味を再評価する新たな視点として活用可能です。

2.アーユルヴェーダ・ユナニ医学・チベット医学など

これらの伝統医学は、西洋医学とは異なる独自の世界観・診断体系・治療文脈を持っています。施術者や医師の信念体系、治療説明、儀式的要素が患者体験と深く結びついている点で、IMREのアプローチ(=意味と文脈の構造化)はきわめて親和的です。たとえばアーユルヴェーダにおけるトリ・ドーシャのバランスや、ユナニ医学の体液理論なども、施術者が何を根拠にどのように選択し、患者がそれをどう受け取ったのかというプロセスを記述する上で、IMREの構造が有効に機能します。

3.ホメオパシー・エネルギー療法など

このような施術領域では、効果の機序や再現性がしばしば議論の対象になりますが、IMREは「効果の意味構造」に注目するため、以下のような問いに対して評価を行うことができます。

  • なぜこの患者がこの施術に納得したのか

  • どのような文脈で信頼関係が構築されたのか

とくに、プラセボ効果が強く働く領域では、期待と満足の関係性やズレを可視化・補正する仕組みが極めて有効です。また、IMREにおける「調整点」は、こうした施術における“文脈の力”を分析するためのツールとしても活用できる可能性を秘めています。

4.意味と関係を測るフレームワークとしての拡張性

IMREは、「刺激」や「技術」の正当性を評価するものではなく、それらがどのように理解され、受け取られ、納得されたかというプロセスをスコア化します。この評価視点は、以下のような新たな展開につながります。

  • 複雑系医療における動的評価フレーム

  • 関係性医療における共感や信頼の可視化

  • 伝統医療と現代医療の橋渡しとしての共通構造

こうした視点により、IMREは国際的な医療評価の議論に対しても、実践的かつ哲学的な貢献を行う可能性があります。

5.慢性疾患・精神疾患・症候群への応用可能性

精神疾患や慢性疾患、機能性症候群といった領域では、従来のEBM的な評価手法が限界に直面しています。これらの疾患は、多くの場合、明確な診断マーカーが存在せず、症状は個人差が大きく、治療に対する反応も一様ではありません。加えて、「どのような介入が」「何に対して」「どの程度効果があったのか」を客観的に定義することが困難です。つまり、「何をもって治療とするか」「どこに効果があったと見なすか」は、患者の期待や納得、施術者との関係性といった主観的・文脈的要素によって大きく左右されるのです。

IMREは、こうした測定不能とされてきた領域に対し、「意味」と「関係」の構造に着目し、それらを可視化・スコア化することで、評価と再構築の可能性を提示するものです。たとえば、線維筋痛症、慢性疲労症候群(ME/CFS)、過敏性腸症候群(IBS)、機能性ディスペプシア、自律神経失調症、さらにはうつ病や適応障害などの精神疾患も、治療プロセスにおいては「納得感」や「信頼関係」がアウトカムに直結する要素であり、IMREが示すような構造的な記述・評価が有効に機能する可能性があります。(Figure6)

特に、医師や施術者が「ちゃんと話を聞いてくれなかった」「説明してくれなかった」「適当に診断された」という患者の実感は、評価されることなく放置されがちですが、まさにそれらは「関係性のズレ」の可視化の瞬間であり、IMREではそれを「調整点」として具体的に扱うことが可能です。これは、患者の語りと治療者の意図がどのように交差し、あるいはすれ違ったかを、構造的に反映するための枠組みです。

このように、IMREは「治ったかどうか」よりも、「どのように支えられたか」「どのような意味が共有されたか」を記述・評価するモデルとして、以下のような強みを持ちます。

  • 治療プロセスを構造的に記録できる
  • 患者の主観評価と施術者の自己評価を並置できる
  • 関係性のズレを調整点としてスコア化できる
  • 教育や研究にも活用可能な「内省支援ツール」として機能する

このように、IMREは鍼灸という出発点を持ちつつも、その枠を越えて、主観的症候や医療的あいまいさを含む多くの医療場面における「意味の構造化モデル」としての汎用性を持っており、今後の実証研究によってその妥当性がさらに検証されていくことが期待されます。

IMREの仮説とその検証方法

仮説(Hypothesis)

IMRE(意味と関係の統合評価モデル)は、鍼灸治療における主観的な評価(期待値、満足度、施術者自己評価)と、その関係性の構造(期待 → 信念 → 満足 → 調整)が、治療プロセスを通じて一定のパターンを示すことを前提に設計されています。本パイロット研究では、以下のような仮説を立てています。

  • H1: 初回および2回目の施術では、IMREスコア(期待値+満足度+施術者評価+調整点)は不安定であり、患者の期待と満足の間にギャップが生じやすい。

  • H2: 3回目以降、患者と施術者の関係性が安定化し、IMREスコアの整合性(=期待と満足の一致度)が高まる。

  • H3: IMREスコアの安定化とともに、客観的な生体指標(心拍、血圧など)にも改善傾向が見られる。

  • H4: 評価項目において、施術者と患者のスコアが整合しているケースほど、生体反応(心拍・血圧)の安定や改善が得られやすい。

  • H5: 5回目まで継続した症例では、主観的評価と生体データの間に中〜強度の相関が見られる。

検証方法(Method)

  • 対象者: 鍼灸施術を新たに受ける患者15名程度。主に慢性症状(肩こり、腰痛、冷え性、不眠など)で来院した成人。

  • 評価期間: 各患者に対し、初回〜5回目の施術まで連続的に評価を実施します。

  • 記録項目(毎回の施術前後に実施)

1. IMREスコア構成要素

  • 施術前:患者期待値(1〜5点)

  • 施術後:患者満足度(1〜5点)

  • 施術後:施術者の自己評価(1〜5点)

  • 調整点:±2点程度(関係性のズレやギャップ補正)

2. バイタル測定(客観指標)

  • 心拍数(スマートウォッチやパルスオキシメーター)

  • 血圧(市販の電子血圧計)

3. 気象データ(補助的変数)

  • 室内外の気温・湿度・気圧(簡易環境モニターを使用)

4. 記録・集計・分析

  • 記録媒体:紙またはデジタルフォーム(Googleフォーム)

  • 集計方法:スプレッドシートへの入力・分析

  • 分析手法:IMREスコアとバイタル変化量の相関分析、 スコアの推移に基づく整合度・改善傾向の定性評価、特に3回目以降のスコア安定化とバイタル変化のパターン抽出など

意義と展望

このパイロット研究は、IMREの実装に向けた第一歩であり、鍼灸臨床における「主観 × 関係性 × 生体反応」という三層構造を簡易に記録・共有・分析する可能性を探るものです。得られた結果に有意な傾向が認められた場合、より大規模な実証研究や学会発表へと発展させ、大学・研究機関との連携も視野に入れています。IMREは、主観的な「気」の変化や治療文脈における関係性の質を、再現性をもって記述するためのモデルであり、今後の臨床教育、AI診療支援、伝統医学研究の発展においても重要な基盤となることが期待されます。

※なお、本パイロット研究は観察研究として位置づけられ、実施にあたってはインフォームド・コンセントの取得、匿名化、オプトアウトの説明など、国内の研究倫理指針に準拠して適切な倫理的配慮を行った上で進められます。

IMREが問うもの:科学と意味のあいだに橋を架ける

IMREは、決して「鍼灸が効くかどうか」を単純に判定するためのツールではありません。むしろその本質は、「なぜある治療が納得され、続けられ、意味を持つのか?」という問いへの応答にあります。「期待」「信念」「満足」といった評価項目は、いずれも一見すると主観的で曖昧に見えるかもしれません。しかし、それらはすべて、「人が人に何かをし、どのように受け取られたか」という臨床の根源的な構造を映し出す要素です。これまでの科学は、客観性・再現性・因果性を評価軸の中心に据えて発展してきました。その中で、主観的な経験や関係性、語りや納得感といった要素は、評価の対象から排除されるか、周辺的なものとして扱われてきた側面があります。しかし、近年の医療人文学や医療社会学、ナラティブ・メディスン、プラセボ研究の領域では、こうした「意味生成」や「文脈への応答」といった視点の重要性が再び注目されています。IMREは、こうした知の流れと共鳴しつつ、語られた経験を「構造化可能な評価項目」として捉え直し、臨床におけるもうひとつのリアリティを可視化することを目指します。(Figure7)治療の納得感、共鳴、関係の質といった主観的要素を、抽象的かつ再現可能な構造として記述することで、「意味を持つ医療」の再構築へとつなげる新たな道筋を提案します。これは、単に臨床評価を再設計するという技術的な挑戦にとどまらず、「科学とは何を測ろうとする営みなのか?」「治療とは何を伝え合う関係性なのか?」という根源的な哲学的問いに向き合う実践でもあります。IMREが実践の現場から生まれたという事実は、このモデルが単なる理論上の空想ではなく、現実の臨床で繰り返し立ち上がってきた問いと直面しながら練られてきたことを示しています。臨床という場において、言葉にならない気配や、関係のうちに生まれる感覚を、あえて構造として記述してみる。学術の言葉でそれを再定義し、問いとして社会に投げかける。その行為自体が、科学と人間性のあいだに長く横たわってきた沈黙に、ひとつの声を与えるものになると信じています。

まとめと展望:IMREがひらく未来へ

IMRE(Integrated Meaning–Relational Evaluation/意味と関係の統合評価モデル)は、鍼灸という実践に内在する「意味」「関係性」「構造化されにくい主観的なやりとり」を、あえてスコアという形式に落とし込むことで、可視化・共有・学習可能にしようとする試みです。その評価対象は、治療行為そのものではなく、それを取り巻く期待・信念・納得・満足・ズレといった、言語や数値に変換しにくい要素にあります。これは従来のEBM的評価観とは異なり、「意味の生成過程そのものを評価対象とする」という、まったく新しいアプローチです。

1.実証研究とリアルデータ連携

今後、IMREを用いた観察研究・相関分析・質的データとの統合を進めていく予定です。心拍変動(HRV)、気象データ、サーモグラフィー、経穴部位の生体反応などとの連携により、「文脈と生理反応の照合」という新たな評価枠が開かれます。このようなリアルワールドデータとの融合的アプローチにより、IMREは「主観的でありながら再現可能な評価モデル」として、その可能性をさらに拡張していきます。

2.教育ツールとしての展開

IMREは、施術者が自身の信念と患者の受け止め方のズレをフィードバックとして受け取り、自己を調整・学習できる構造を持っています。とくに若手施術者にとって、「自信のなさ」がそのまま成長の余白として機能する設計は、謙虚さと探究心を育てる教育ツールとしても応用可能です。また、師匠や先輩との対話の中で「自己評価の上限」を設定できるという点も、伝統的な師弟関係を活かした教育評価の仕組みとして、重要な意義を持っています。

3.公衆衛生・社会医療の視点から

IMREのようなモデルは、公衆衛生や地域医療の文脈においても応用可能です。患者の「期待」や「納得感」「満足感」は、単なる感想にとどまらず、継続的なケアへの信頼や、生活の質(QOL)に影響する主観的評価指標となります。IMREは、こうした見えにくい主観を構造化することで、医療者と患者が評価を共有し、ともにケアを構築する仕組みを提供します。このような主観的評価の共有は、とくに慢性疾患ケアや在宅医療の現場において、医療の継続性や患者のQOL向上に資するものとして注目されており、患者体験が安全性や治療効果とも正の相関を持つことが複数の研究で示されています(参考20)。また、てんかん患者を対象とした研究では、文脈的・対人的な配慮の不足が、推奨ケアの実施率やケアの質のばらつきに影響を与えている可能性が指摘されています(参考21)。これは、主観的経験を軽視した医療が、結果的に質の低下を招くという、きわめて示唆的な事例です。さらに、IMREが重視する「期待」や「関係性」といった要素は、健康の社会的決定要因(SDH: Social Determinants of Health)とも密接に関係しており、医療を「信頼に基づく社会的ケアのプロセス」として再設計するうえでも、有効な補助線となるでしょう(参考22)。

4.Beyond the EBM, Beyond the NBM, Beyond the Narrative… and Back to the Roots.

IMREのようなモデルが、これまで十分に構想されてこなかった背景には、「科学的」とされる評価が細分化と数量化に偏りすぎていたという事情があります。症状、因果、作用機序、アウトカム──それらをバラバラに切り分けて評価する手法は、再現性と明快さをもたらす一方で、意味の構造や文脈の力を捉える視点を弱めてきたとも言えます。しかし本来、鍼灸や伝統医学の実践は、複雑な現象を抽象化し、意味の秩序を与える知の営みでした。IMREは、その抽象力を評価の領域にまで取り戻す試みです。

Beyond the EBM, Beyond the NBM, Beyond the Narrative… and Back to the Roots.

IMREは、根拠(EBM)を超え、物語(NBM)を超え、構造化された意味の中に還っていくモデルです。鍼灸医学とは、そもそもこの複雑な世界を抽象化し、意味と手法の関係性を見出す実践知の体系でした。そして、その抽象力こそが伝統医学の叡智であり、また、人間にしかできない営みでもあります。AIが情報処理を高度に代替する時代においても、意味を構造化し、関係性を創造する能力は、人間固有の知の領域であり続けるはずです。IMREは、その能力を評価し、鍛え、共有するための、小さな道具です。そしてそれは、鍼灸医学の未来をつくるだけでなく、医療の原点に立ち返るためのひとつの「帰路」となることを目指しています。

5.実務家と研究者が協働する未来予想:オープンサイエンスに基づく知の共創モデル

本モデルは、オープンサイエンスの理念に基づいて構想された、実務家と研究者が協働しながら知を創出・検証していくための枠組みです。ここでは「知的財産の独占」ではなく、「だれのものでもない知」を社会に開かれた形で扱いながら、互いの役割を補完し合うことを目指しています。まず、実務家(現場)においては、日々の臨床や実践の中で新しい着想や仮説が生まれます。そうしたアイデアは、パイロット的な研究や初期的な評価を通じて具体化されます。この段階では知的財産権の主張は行わず、アイデアの自由な共有を前提とします。ただし、アイデアを提示した人物の名前や発想の記録は残り、実績としての信用や信頼が蓄積されていきます。さらに、そのアイデアが実証されることで、実務への展開や商品化への連携の道も開かれます。一方、大学や研究所などの研究者サイドでは、実務家から生まれたアイデアを受け取り、それを統計解析や理論構築を通じて客観的に検証していきます。この検証の過程では、研究者の側に論文化や学術的な成果の権利が付与されますが、それはあくまでも「証明した責任」に基づくものと考えられます。実証可能な仮説やデータに接続できるという点で、研究者側にも大きなメリットがあります。(Figure8)

このような構造をとることで、臨床現場から生まれた実践知が社会的知へと昇華され、アカデミアの側も現場に根ざした研究資源を得ることができます。相互の信頼と倫理に支えられたこのモデルは、知の独占ではなく、開かれた共創を促進する仕組みといえるでしょう。補足として、「知的財産の放棄」とは、単に権利を放棄することではなく、アイデア提供者の名前や思想が記録されることで、信用の蓄積や社会的意義が残るという考え方に基づいています。そのため、これは損失ではなく、未来への投資であり、後の再連携や実装フェーズにおける再評価の可能性も十分に含まれています。このような知の分業と共創のモデルは、臨床と研究の新しい橋渡しとなり、個人の志と社会の知的資産を両立させる道を切り拓いていくと考えています。私はこれからも、もっともっと鍼灸臨床が発展するよう願いこのような考えを持つに至りました。

私はこのモデルのようなアイデアのストックをあと10個ほど持っており、臨床の合間を見ながら、随時ブログやプレプリントというかたちで発表していく予定です。本モデルを活用した研究や協働に興味がある方は、以下までご連絡ください。

田無北口鍼灸院 白石健二郎 電話042-497-4586 メールkenjiroushiraishi@hotmail.co.jp

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論考まとめ:気と水のコスモロジー~中国古代の身体観と医学観

年末年始にかけて学習した堀池信夫先生の論考が素晴らしかったのでここにまとめようと思います。道教の生命観と身体観という本からの引用で「気と水のコスモロジー~中国古代の身体観と医学観」というタイトルです。以下、章ごとに要約をまとめます。なお本記事は学習・研究目的の整理として、私的な要約・コメントを含む構成になっています。原文の完全性は著者に帰属します。

1,医療と文化的多様性

医療とは人類が病気というものに出会って以来の集積としての文化行動である。大きく分け3つの形があり狩猟採集生活の中で誰かが薬となるものを偶然に発見した、呪術的感性のもとに何らかのアナロジー的発想からの療法を発見した、頭痛の時に頭を押さえるような反射的あるいは習慣的行動の中から療法を発見した、に分けられる。

医療行為は、その社会の文化的経験の集積で地域的特色も明確化してゆくことになる。そのプロセスではマクロ的にはその社会の持つ世界観、ミクロ的には身体観というものが多かれ少なかれ影響していたと思われる。だがその場合にそうした世界観や身体観が一つの社会につき一つしかなかったとみるのはおそらく幻想である。実際には相当の多様性があったのではないかと思われる。中国の世界観や身体観、ひいては医学観もそうした多様性を内包しているものと思われる。

2,気の身体観

中国の伝統的世界観ではこの世界はすべて気によって形成されるという考えである。人間も同様に気で形成される。精神も身体も気によって形成されたと考えられていた。そのため心身二元論では考えないのである。これを証するものとしてよく荘子・知北遊(ちほくゆう・道のあり方が説かれている古典)が引用される。

生は死の徒なり。生は死の始なり。だれかその紀を知らん。人の生は気の聚りなり。聚まれば則ち生と為り、散ずれば則ち死となる。若し死と生と徒なれば、吾れ又何かを患えんや。故に万物は一なり。

この文章は万物は一体で死生は一如であるということを言っている。そして気の聚である高密度状態が生、発散し希薄になれば死になり人間の身体は気において成り立つという考えが示されている。

そして後漢書の趙咨伝(ちょうしでん)には気は身体の構成要素であるというより身体の構成要素をげんにある身体という形態に統括している機能(あるいは機能を持つ何者か)として書かれている。つまり気以外が身体で気がそれを統括しているということになる。

夫れ含気の倫、生あるものは必ず終わる。蓋し天地の常期、自然の至数なり。・・・夫れ亡するとは、元気の体を去るなり。貞魂遊散するなり。素に反り、始に復り、無端に帰るなり。(身体は)すでに消失し還りて糞土に合す。

また人間の身体が気において形成されていると考えることは荘子以降一般化されたが身体自体は気以外の要素から成り立つという立場もあり得る。つまり荘子以前に身体は気によって形成されると述べる資料はまれである。そしてそのことから著者は息や風などの例を挙げながら「気が気という概念になる前に想定されていたものは何であろうか?」と疑問を投げかけている。

3,水のコスモロジーと身体

ここでは気以外の構成要素でまず考えられるものとして陰陽五行を挙げている。これらは戦国末から秦漢期にかけての間に気の理論に繰り込まれてしまうがもともとの由来は全く別であった。陰陽は光が当たる、当たらないという概念でありその後、気象、気候、季節、地勢、方位など自然的事象やその属性を説明する語として用いられるようになった。それはやがて自然界の構造や推移にも用いられることになる。例えば国語、越語下「陰陽の恒に因り、天地の常に順う」という使い方がされる。

陰陽は「陰、淫(さか)んなれば寒の疾、陽、淫(さか)んなれば熱の疾」(「春秋左氏伝」)のように身体や精神の状態を示す言葉として使われるがこれは気概念に侵食された使い方である。陰陽がこのような使い方をされるのは気の概念に接近する必要があった。*1

五行は木火土金水という世界を構成する五つの要素のことでこれで世界を説明しようとする理論である。陰陽と違いそもそも五行は最初から要素論であり素材論である。気の概念よりも抽象的ではなく具体的である。この説は春秋末期から戦国中期にかけて次第に形成され文献上の初出は「尚書 洪範」である。またこの時の並びは水火木金土であった。この序列は何らかの有意味的秩序はないように見えるが水がトップに置かれたことは理由があったのではないかとも考えられる。

「水とは何ぞや。万物の本源なり。諸生の宗室なり。美悪・賢不肖・愚俊の産まるるところなり。」(管子 水地)

この文の冒頭に述べられていることは抽象ではなくまさにその通りの意味にしか解せない。水は万物を構成する根本でありあらゆる生命の源である。命あるもの、人間も身体が水からなる。また次のような話もある。

「人は水なり。男女、精気を合し、水、形を流く(身体を形成する)」(管子 水地)

これは人間に限っての話ではあるが人間は水から成り立ち、肉体は水によって構成されると明確に述べている。この文に引き続き

「(水は)三月にして咀(味)を生ず。租とは何ぞや。曰く五味なり。五味とは何ぞや。曰く、五臓なり」(管子 水)

これも最初に水が来ているのが興味深い。水の要素が人間性の決定まで影響されるという議論すらある。

「越の水は濁重にして泊(濃厚)なり。故にその民、故に其の民、愚疾にして垢(妬嫉)なり。・・・」(管子 水)

つまりは水は人間を構成しているので水が良ければ人間性もよくなるという理屈であろう。このような主張は荀子にも見られる。宇宙精製の根源者の次に水は重要だと主張されているのである。*2であるからこそ五行でももともと水が一番最初に来ていて重要視されていたのではないか?

4,気の医療・水の医療

期の思想も水の思想も重要ではあるが水の世界観も身体感も戦国から秦漢にかけて五行に伴われやがて気の思想に取り込まれていったのではないか?また医療というものは必ず身体観を前提とする。現代医学では細分化が前提であり、東洋伝統医学では一つの有機体として身体をとらえる。

そして古代中国の身体観は大きく3つの流れがあった。以下である。

・巫術・呪術系:その本質は医療全体にとっても普遍的なもの。観念。

・鍼灸:気の理論が必要とされる。気の理論がないと成り立たない。

・湯液(漢方薬):水の理論が根本にある。

気と水の理論は相補的関係であったが最終的に水の理論が気の理論に繰り込まれたのではないか?その根拠は黄帝内経の「水穀の気」である。これがまさに水の理論が気に繰り込まれた一つの根拠と著者は考えている。

参考・補足

1:つまりは気の概念の補足説明として陰陽が使われているに過ぎないということであろうか?気が先陰陽が後という著者主張は納得できる。

2:宇宙生成の次に水が生まれるという思想は生物の成り立ちから考えても妥当でありこのような思想を古代の人が持っていたことは非常に興味深い。

 

中医学はアブダクション推論的医学の最高傑作である ― 文脈を理解するAIとの協働に向けて ―

1. はじめに:なぜ今「中医学 × アブダクション × AI」なのか?

私たちはいま、思考のフレームが問い直される時代に生きています。AI、特にChatGPTのような大規模言語モデルの登場により、「推論とは何か」「診断とは何か」という問いが、医療の実践者にとっても他人事ではなくなりました。(参考1) AIは圧倒的なデータ処理能力を持ち、既存の医療知識を高速で検索・整合できます。しかし、AIはベテランの医師や看護師、鍼灸師が経験する「言葉では説明できないが、なぜか違和感を感じること」や「個別の文脈から仮説を立てること」が苦手でしょう。そこにこそ、人間の推論、特にアブダクション(仮説的推論)の余地があると考えます。本稿では、中医学(Traditional Chinese Medicine)が持つユニークな知の構造、すなわち、個々の症状を物語として読み解き、文脈から治療仮説を導くというアブダクション的推論に注目します。中医学は、西洋医学のような統計的・機械的な演繹法や帰納法とは異なり、「直感的」「詩的」「語り的」な診断方法を採用してきました。その姿勢は、単に非科学的なのではなく、「異なる論理体系」に基づいた思考の枠組みなのです。(参考2) そして近年、この中医学的なアプローチがAI研究の一部で注目され始めています。たとえば、中国で開発されたABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)というフレームワークでは、中医学の診断過程にアブダクションを導入し、文脈的な誤認(ラベルのズレ)を修正する試みが行われています。(参考3) つまり、「中医学 × アブダクション × AI」の組み合わせは、もはや奇抜なアイデアではなく、現代的かつ実践的な問いなのです。本稿ではこの視点から、以下の問いに答えていきます。

・アブダクションとはどのような思考か?

・なぜ中医学と親和性が高いのか?

・それをAIにどう実装すればいいのか?

・私たち人間がAIとどう共に思考できるのか?

このレビューが、現場で違和感を覚えながら診療を続けている臨床家、そして文脈を理解できるAIを模索している研究者たちにとって、新たなフレームワークとして、思索と実践の架け橋になることを願っています。

2.臨床推論の多様性とアブダクションの位置づけ

臨床推論とは、医療従事者が患者の訴えや身体所見、検査結果などの情報をもとに、診断や治療方針を導き出す思考プロセスを指します。現代医学においても中医学においても、それぞれ独自の臨床推論体系が存在しています。現代医学では、19世紀後半から20世紀初頭にかけて病理学・解剖学・生理学といった基礎医学の発展とともに、診断の正確性を高めるための科学的な思考フレームが求められるようになりました。そして1990年代以降、エビデンスに基づく医療(EBM: Evidence-Based Medicine)の普及によって、医療者には科学的根拠に裏付けられた臨床推論スキルがより強く求められるようになったのです。EBMは、1990年代以降の臨床判断の標準化に大きな役割を果たしてきましたが、Djulbegovic & Guyatt(参考4)は、その25周年の回顧において「患者中心の意思決定」を十分に実現できていないという課題を明示しています。こうした限界は、文脈・価値・意味といった「非数値的」要素を排除してきた構造に起因するものであり、次の臨床知のフェーズには、より包括的な推論枠組みが求められます。中医学的アブダクションは、このような再構成のための知的資源として位置づけられるでしょう。このような背景のもとで、以下に代表的な臨床推論の枠組みを整理し、アブダクションの位置づけとその意義について明らかにしていきます。

仮説演繹法(Hypothetico-Deductive Method)

ある仮説を立て、それを検査や診察によって検証する手法です。論理的・体系的であり、EBMとの相性がよく、現代医学で広く採用されています。ただし、検証にはデータや検査が必要なため、鍼灸などの現場では活用が難しいこともあります。さらに即時の診断が求められる場面では、時間的制約から用いにくいです。こうした推論形式は、長年にわたって多くの臨床教育研究の主題となってきました。とりわけNorman(参考5)は、仮説演繹法、直感的診断、知識構造と記憶の関係に関する研究の流れを三つの系譜に整理し、専門性とは単なる推論スキルではなく、文脈ごとに可変的な知識表象の運用能力に依拠していることを明らかにしています。

帰納法(Inductive Reasoning)

複数の症例から共通項を抽出し、一般的な傾向やルールを導き出す手法です。臨床研究やガイドライン作成における統計的エビデンスの基盤となります。しかし、個別の患者の文脈や意味を捉えることには限界があり、標準化はできても柔軟性に欠けるという特徴があります。こうした帰納的推論の限界は、環境や状況との相互作用を重視する状況性理論の立場からも明らかです。Durning & Artino(参考6)は、知識や思考は文脈から切り離して扱うことはできず、経験・環境・社会的関係性に埋め込まれたかたちで意味づけられると論じています。こうした視点は、個別患者の文脈を重視し、もっともらしい仮説を生成するアブダクション的思考への橋渡しとしても有効です。

アブダクション(Abduction / 仮説生成的推論)

観察された現象を最もよく説明する「もっともらしい仮説」を導く思考法です。「違和感」や「矛盾」を手がかりに、文脈的かつ物語的に症状を解釈し、診断仮説を立てる方法です。中医学における弁証論治との親和性が極めて高く、直感的診断と仮説演繹法の中間に位置する柔軟な思考形式です。一方で、実証性や再現性に乏しいという課題もあります。Magnani(参考7)は、アブダクションを「身体と環境の相互作用を通じた意味の仮構成」として捉え、人間の推論は論理的演算というよりも、状況に埋め込まれた意味生成のプロセスであることを示しています。また、Basso & Petrilli(参考8)は、診断行為は徴候を解釈する記号学的な実践であり、そこには常に倫理的判断が伴うと論じ、診断とは意味と関係性を扱う行為であると主張します。Thagard(参考9)もまた、推論とは単なる記号操作ではなく、因果理解や動機、文脈の統合を必要とする「説明モデルの構築」であると述べており、こうした観点は中医学的推論の複雑さとよく対応しています。

また以下は、特定の場面で有効に機能するが、あまり一般的ではない診断スタイルです。

直感的診断法(Pattern Recognition / Intuitive Diagnosis)

豊富な臨床経験に基づき、症例を瞬時に見抜く方法です。救急医療など迅速な判断が求められる場面で有効ですが、誤診のリスクやバイアスの介入が避けられず、経験の浅い臨床家には再現性が乏しいです。

徹底検討法(Exhaustive Method)

考え得る全ての疾患を列挙し、可能性を一つずつ検討していく方法です。多疾患併存の高齢者など複雑な症例には有効ですが、時間と労力を要し、臨床現場では非現実的なことも多いです。

アルゴリズム法(Algorithmic Method)

診断プロトコルに沿って標準化された判断を行う手法です。一定の質を担保しやすいが、個別の文脈への柔軟な対応が難しく、プロトコル外の症例には対応しきれません。

このように、臨床推論には多様な枠組みが存在しており、それぞれに長所と短所があります。本章では主に現代医学における推論スタイルを整理しましたが、アブダクションはその中でも「文脈を理解し、仮説を立てて、修正しながら思考する」という点で注目すべき思考法です。次章では、こうしたアブダクション的推論が、中医学の診断・治療体系、特に弁証論治といかに深く共鳴しているのかを具体的に検討していきます。

3. なぜ中医学はアブダクション的なのか?

アブダクション(Abduction)という思考様式は、19世紀末の哲学者チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)によって提唱されました。彼は、観察された現象を説明するために「もっともらしい仮説(the most plausible hypothesis)」を導く推論法として、アブダクションを演繹(deduction)・帰納(induction)に並ぶ第三の推論形式と位置づけました。現代においては、アブダクションは単なる論理形式ではなく、創造的で文脈的な知的実践として再評価されています。Josephson & Josephson(参考10)は、アブダクションを「知的意思決定の基本構造」として捉え、AIや臨床推論における仮説生成の中核に位置づけています。またMagnani(参考11-1)は、アブダクションを「モデルベースの思考」として定義し、観察と理論のあいだをつなぐ「意味と構造の仮説形成プロセス」であると論じています。さらにMagnaniは、アブダクション的推論は人間特有の知的能力ではなく、動物にも観察される基本的な認知戦略であることを強調している。たとえば、野生動物が足音を聞いて危険を察知したり、逆に飼育された犬が人間の足音に餌を期待して尻尾を振るような反応は、それぞれの動物が生きる世界観(優しい世界か、厳しい自然か)に応じた、文脈的な仮説生成(アブダクション)と考えることができます。このような観点からすると、中医学が自然界の変化や患者の生活環境をふまえて、個々の状態に応じた治療仮説(証)を構築する構造は、きわめてアブダクション的であり、かつ自然に根ざした認知の形式であるといえるのです。中医学における「弁証論治」は、単なる古代知の継承や経験的知見の積み重ねではなく、自然観に基づく意味構築と仮説生成の思考枠組みとして捉えることができます。自然に対する理解を前提に、「いまここで何が起きているのか?」を診断し、そこからもっとも適切な治療方針(治法)を導き出すこの体系は、中医学が本質的にアブダクション的であることを示唆しています。

3.1 弁証論治とは何か?伝統と再構成の交差点

弁証論治とは、観察された症状や所見(証)をもとに、全体像を統合し、意味づけを行い、それに対応する治療法(治)を導き出すプロセスです。ここでは「病名」よりも「状態(パターン)」を重視し、治療はパターンごとに柔軟に対応されます。これは固定的なマニュアルではなく、仮説的な臨床的思考を含んだ動的な診断枠組みです。この弁証論治が確立された背景には、20世紀の中国近現代史があります。1949年に中華人民共和国が成立したのち、中国政府は現代医学を導入・推進しながらも、「伝統医学を完全に排除する」のではなく、「中西医結合(中西合作)」という戦略的方針を掲げました。その方針のもとで、中医学は国家主導のかたちで理論的再編が行われ、弁証論治はその中核的構造として整備されました(参考12)。この過程は、古典的知の温存ではなく、国家による「知の制度化と近代化」とも言えるものであり、弁証論治は伝統と近代の交差点で形成された新たな診断モデルとなりました。この診断モデルは、「症状の列挙 → 病名の確定」といった現代医学的なプロセスとは異なり、複数の症状や背景情報をひとつの意味に束ね、そこから治療仮説を導くという構造を持っています。このような意味づけのプロセスはまさに、アブダクション、すなわち「もっともらしい仮説を生成し、再評価していく推論法」と構造的に一致しています(参考11-2)。

3.2 弁証論治とアブダクションの共通構造

アブダクションは、「説明のつかない現象」や「直感的な違和感」から出発し、それを最も合理的に説明する仮説を立てる推論法です。この仮説は演繹や帰納のように確定されたものではなく、常に仮の物語として修正可能であることが特徴です。弁証論治の診療プロセスも、まさにこのアブダクションのサイクルと一致しています。

  1. 観察:症状や舌診、脈診、語りなどから得られる情報を収集

  2. 仮説形成:それらの情報を文脈化し、もっともらしい「証(パターン)」を導出

  3. 介入(治法):仮説に基づいた治療方針を決定

  4. 再評価:治療結果を観察し、仮説を修正/再構築する

このように、弁証論治は固定的な病名に依存するのではなく、常に文脈に即した柔軟な仮説形成と再評価のサイクルを繰り返す診断モデルです。さらに重要なのは、中医学における情報の扱い自体がアブダクション的であるという点にあります。得られた情報(症状、舌や脈の状態、顔色、患者の語りなど)をただ集めるのではなく、それを意味づけ、仮説化し、文脈に配置するという一連のプロセスがすでに推論を伴っているのです。つまり中医学では、診断の前段階である「観察」すらも、客観的な記録ではなく、文脈と意味のフィルターを通した「認知的行為」なのです。これは、ナラティブ・メディスンが提唱する「診療とは物語の構築である」という視点(参考13)とも重なります。中医学において、観察→意味づけ→仮説形成→修正というプロセス全体がアブダクション的なサイクルであることから、それはまさに思考と感覚が融合した仮説生成的医学であると言えます。

3.3 診断は「物語」である。「肝気鬱結」という仮説。

たとえば、ある患者が以下のような症状を訴えるとします。

  • 抑うつ傾向

  • 食欲不振

  • 胸のつかえ

  • 生理不順

これらは一見、バラバラの症状です。しかし中医学では、「肝気鬱結」という仮説的診断が立てられることで、それらがひとつの意味を持つ物語へと再構成されるのです。このとき診断は、単なる記述や分類ではなく、「この人の今の状態を、どのように理解するか」という意味生成(narrative integration)のプロセスとして働いています。この意味づけの行為こそが、まさにアブダクションの核です。診断とは、症状の奥にある「目に見えない構造(気の滞り、五臓の失調など)」を仮定することで、バラバラの事象に物語的整合性を与える行為なのです。こうした診断は、施術者の「見立て」と、患者の語る「物語」を結びつける仮説形成であり、臨床におけるアブダクションの実践です(参考12)。伝統医学の多くがこのような構造を持つが、中医学が特にユニークなのは、この仮説的診断体系を「共通言語」として体系化し、国家レベルで標準化した点にあります。「肝気鬱結」「痰湿中阻」「心脾両虚」などの証は、いずれもアブダクション的仮説でありながら、文化的・制度的に共有可能なコードとして整備されています。これは単なる主観的直感ではなく、文化的に制度化されたアブダクションの枠組みです。こうした知の構造は、他の伝統医学には見られません。この意味で中医学は、アブダクティブ・メディスンの体系化に最も成功した事例、すなわちアブダクション医学の最高傑作であるとすら言えるのです。

3.4 中医学における知の特徴。直感・詩性・身体知。

中医学の診断と治療は、数値や画像に基づくものではなく、身体の微細な兆候や感覚、語りのニュアンス、文脈の空気感などを読み取ることから始まります。脈診や舌診、顔色、声の質、体臭、歩き方、感情の抑揚などすべてが意味ある情報として扱われます。これらの観察は、施術者の経験・身体知・直感によって意味づけされ、統合され、仮説として読み解かれます。つまり、中医学では情報の収集段階からすでにアブダクション的な推論が始まっているのです。たとえば脈診においても、単なる脈拍数やリズムを測定するのではなく、「沈んでいる」「滑っている」「緊張している」といった詩的で比喩的な表現を通じて、身体の状態全体を感覚的に把握します。こうした知のスタイルは、演繹法や帰納法では扱いにくいものですが、文脈のなかで違和感をとらえ、そこからもっとも妥当な意味を仮説として立てるというアブダクションにおいては、中心的な役割を果たします。また、こうした感覚的・詩的・文脈的な観察を共通言語化してきた歴史的努力(=制度化された弁証論治)があるからこそ、中医学は単なる経験医学にとどまらず、高度な推論体系として成立しているのです。すなわち、中医学とは「推論的思考」以前に、「推論的な観察」を行っている医学であり、その診療スタイルは「感じること」と「解釈すること」が分かちがたく結びついています。

3.5 科学ではなく、もう一つの知の形式として

中医学は、現代医学のように自然科学的な因果論や再現性の原則を前提とした知の体系ではありません。治療効果の機序を分子レベルで説明することも難しく、証明可能性や客観性の観点からは、しばしば「非科学的」と評されることもあります。しかし、ここで言う科学とは、自然科学的実証主義に基づいた知識の形式を指しており、人間の営みにおける知のあり方は、それだけに限られるものではありません。中医学が重視しているのは、「その人のからだと語りに、どれだけ腑に落ちる意味を与えられるか」ということです。つまり、普遍的な法則の発見ではなく、個別の文脈における整合性=物語的納得感を追求する知の体系なのです。このような意味構築は、まさにアブダクションの本質です。アブダクションは、既知のルールに従うのではなく、「いま目の前で起きている現象を、もっとも納得できるかたちで仮説化する」プロセスであり、その仮説は常に修正可能で、治療の経過によって何度も組み直されていきます。Flyvbjerg(参考14)は、このような「実践的合理性(phronesis)」を重視し、文脈・倫理・実践に根ざした判断こそが、知の核心であると主張します。中医学の診療とは、まさにこのような動的で文脈依存的な推論の連続であり、そこにこそ自然科学とは異なる合理性が存在しています。そしてそれは、非科学的なのではなく、自然科学と並ぶもう一つの知の形式であり、文脈的・詩的・意味構築的な合理性が生み出す、「実践的・臨床的・哲学的な医学」なのです。

4. ABL-TCM、中国の先端研究が示したこと

4.1 ABL-TCMとは何か?

中医学がアブダクション的な知の体系であるという主張は、けっして筆者の主観や比喩的な例えにとどまりません。実際に、中国の人工知能研究の最前線では、中医学にアブダクションのフレームワークを適用し、診断プロセスをAIに実装するという試みが始まっています。その代表例が、「ABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)」(参考3)です。この研究は、清華大学と浙江大学の研究者たちによって提案され、中医学の診断における文脈に基づいた仮説形成のプロセスを、アブダクションとして機械学習に導入するという革新的な試みです。ABL(Abductive Learning)とは、ラベルの曖昧性や文脈依存性の高い問題に対して、「もっともらしい仮説」を動的に生成・修正しながら学習するAIフレームワークのことです。ABL-TCMでは、たとえば複数の症状と診断ラベル(証)が一致しないケースにおいて、もっとも妥当な仮説的診断をAI自身が補完・修正することができます。従来の機械学習では、「データのラベルが正しいこと」が前提とされていました。しかし中医学のように、診断が状況や文脈、臨床家の判断に依存するケースでは、同じ症状でも異なる「証」が立てられるという現象が起きます。ABL-TCMは、まさにこの「揺らぎ」や「ズレ」こそを前提に、AIが自律的に仮説を生成・修正していく構造を実現しています。このような構造は、単なる診断支援の自動化ではなく、文脈的意味理解と仮説的推論のサイクルそのものをAIに実装する試みであり、中医学とアブダクション、そしてAIをつなぐ架け橋となる可能性を秘めています。もっとも、現時点のABL-TCMは、あくまで「症状と証の言語データ(すなわち文章)」をもとにした推論構造の模倣にとどまっています。実際の中医学診療では、舌や脈の状態、顔色、語りの抑揚といった非言語的な身体情報が大きな役割を果たしており、それらを含んだ「全身的アブダクション」までは、まだ実装されていません。

一方で、近年の研究では、舌診に関するディープラーニング技術の進展がめざましく、非言語的情報の一部はAIで取り扱える段階に達しつつあります。たとえば、Xian et al.(参考15)は、舌画像の品質評価を可能にするマルチタスク深層学習モデルを提案し、診断精度の向上に寄与する舌画像セグメンテーション技術を確立しました。また、Jiang et al.(参考16)は、ディープラーニングによって舌の形状・特徴を複数分類し、健康診断受診者における生活習慣病との関連を可視化する研究を行っています。これらの研究は、ABL-TCMの今後の発展において、非言語的・身体的情報を含んだ仮説生成の統合を可能にするものであり、特に「舌→証→疾患」という連関を補助する技術基盤として極めて有望です。

また、ヘルスコミュニケーション領域では、患者と医師の語りをAIが構造化し、「相互に納得可能な意思決定」を支援するCoDeL(Collaborative Decision Description Language)という枠組みも登場しており、語りの文脈的統合がAIで再現される未来も見えてきています(参考17)。

このように、ABL-TCM・舌診AI・語りの構造化AIが融合すれば、「症状」「身体所見」「語り」のすべてを意味と文脈のなかで統合的に扱えるAI中医学モデルの実現が見えてくるのです。

4.2 ラベルのズレとアブダクション

ABL-TCMの革新性は、「ラベルのズレ(label mismatch)」という問題に正面から向き合った点にあります。中医学の診療現場では、同じような症状に対して異なる「証(パターン)」が立てられることがあり、これは弁証論治における仮説形成が、患者の語りや全身状態、生活背景、そして施術者の経験的直感に強く依存しているためで、あらかじめ一義的にラベルづけされた「正解」があるわけではないからです。従来のAIや機械学習では、訓練データのラベルが正しいという前提に基づいて学習が進められてきました。しかしABL-TCMはむしろ、「正解ラベルの側が間違っている可能性がある」ことを想定し、症状の記述だけでなく、その背景にある語りの流れや生活状況といった文脈的情報も含めて、ラベルそのものを再解釈・修正するという枠組みを採用しています。このような「弱教師あり学習(weakly supervised learning)」のアプローチは、Zhou(参考18)によって理論的に整理されており、現実世界のAI応用において「理想的な正解ラベルは存在しない」という視座を前提とすることで、実装上の限界を乗り越える試みとなっています。この仕組みは、単なるエラー訂正ではなく、「仮説の立て直しによって現象の意味を再構築する」という、アブダクション的推論そのものの再現です。Josephson & Josephson(参考10)は、アブダクションを「ラベルや観察の再構成を通じて意味を生成する知的行為」として定義し、それが人間の認知と判断の基本構造であることを指摘しています。また、Lipton(参考19)は「機械学習における説明可能性」という概念の神話性を批判的に整理し、「なぜこの判断がなされたのか?」という問いが実は多くの文脈的仮定に支えられていることを明らかにしています。これはABL-TCMが実現しようとしている「文脈的整合性としての違和感補正」という構造と深く通底します。たとえば、ある症例に「心火上炎」という証が付与されていても、実際の症状や語りのニュアンス、生活背景を見ていく中で、臨床家の直感が「これはむしろ肝鬱気滞の変化では?」と違和感を抱くような場面があります。ABL-TCMは、そのような言葉にしづらい違和感を、文脈のデータ的整合性として定式化し、AIに学ばせる構造を備えています。中医学における弁証論治のダイナミズムを、機械的に模倣するための重要な鍵が、まさにここにあるのです。ただし繰り返しになるが、ABL-TCMはあくまで構造化された言語データ(文章)を扱うものであり、臨床現場における非言語的情報や、施術者の身体知、語りの抑揚といった要素までは、まだ反映されていません。それゆえ本モデルは、現時点ではあくまで「中医学的アブダクションをAIが模倣できる可能性」を示した段階であり、今後のさらなる拡張と実践的応用が期待される技術基盤なのです。

4.3 直感との一致に納得した、現場感覚とAI

ABL-TCMの研究に初めて触れたとき、筆者は強い驚きを感じたわけではありませんでした。むしろ、「ああ、やっぱりそういうことだったのか」と、妙にしっくりくる感覚を覚えたのです。それは、臨床で日々経験している「なんとなくの違和感」や「この証の方が合いそうだ」という感触が、アブダクションという名前のついた推論モデルとして、AIの中に実装されつつあるという事実への納得でした。臨床の現場では、症状そのものよりも、それがどのように語られ、どう全体とつながるかが重視されます。患者の訴えが、教科書的には「心火上炎」に分類されるものであっても、語りのテンポや生活背景、顔色、舌や脈の印象といった情報を総合して、「いや、これは肝鬱気滞のほうがしっくりくるな」と判断を変えることは珍しくありません。ABL-TCMの「ラベルのズレを修正する」仕組みは、まさにこのような違和感の発見と、もっともらしい仮説への調整という、臨床的に自然なプロセスを再構成しようとするものです。人間が経験や身体知に基づいて行っていることを、AIが「文脈的整合性」という形で模倣しようとしているのです。この一致感は、AIの限界と可能性の両方を示しています。現場で「身体的に感じること」の価値をあらためて確認させてくれると同時に、「私たちが普段から行っている思考は、案外理論的で構造化可能なものでもあるのかもしれない」と気づかせてくれます。ABL-TCMは、人間のアブダクティブな直感を代替する技術ではありません。むしろそれは、直感の構造を見える化し、補助・反映しうる技術の可能性を開いたという点で、中医学とAIが出会う一つのリアルな接点を提示しているのです。

5. 中医学 × AI、その未来と課題

ABL-TCMのような取り組みは、たしかに中医学とAIの融合における先駆的な成果であるといえます。しかし、これを「中医学のAI化の完成形」と捉えるのは早計です。というのも、中医学は単なる知識体系ではなく、ある種の世界観(cosmology)や価値観を内包した「思想としての医学」だからです。AIに中医学を「教える」ことは、ある程度可能かもしれません。しかしそれは、あくまで言語化された記述や構造化された情報の範囲にとどまるでしょう。実際の臨床現場では、施術者が身体で感じ取っている違和感や、語りのリズムの微妙なズレをどう捉えるかといった、身体的・詩的・解釈的な知の層が多分に含まれています。つまり、AIに中医学を教えるには、単に証候パターンを学習させるだけでは不十分であり、中医学が前提としている宇宙観(人間は天地自然と連動する存在である)や、診療を通して生まれる意味生成のプロセスまで含めて設計する必要があるのです。このとき鍵となるのは、「内的違和感」をAIにどう検知させるか、という問題です。ここで言う「内的違和感」とは、医師や看護師、鍼灸師であれば誰もが現場で感じたことのある、「言語化できないが、なにかおかしい」という感覚のことを指します。検査値や問診情報が一見整っていても、語りのテンポや表情、脈や舌の印象などをふまえると、「この診断では腑に落ちない」「別の仮説を立てたくなる」といった感覚が芽生えることがあります。それは、論理的に導き出された結論というよりも、全体としての整合性を身体感覚で見抜くような知覚であり、まさにアブダクションのトリガーとなる直観的知といえるでしょう。現状のAIは、あくまでデータの整合性や確率的傾向に基づいて判断を行いますが、中医学が重視しているのは「その人の状態として、本当に納得できるか?」という物語的・身体的な整合性です。AIにこうした“違和感の検知”や“意味の再調整”を可能にするには、推論モデルそのものの設計思想を見直す必要があるでしょう。その意味で、今、私たちが問うべきなのは「AIに中医学をどう教えるか」ではなく、「AIとどのように協働しながら、感じられる知を再構築できるか」なのです。中医学は、論理や統計では捉えきれないものを扱うからこそ、AIの力を借りて見える化し、対話可能にするためのフィールドでもあります。未来のAIは、中医学を単に再現するのではなく、中医学的な思考を支援する語りの伴走者となることが求められるのかもしれません。

6. 提案、中医学的AI診断支援フレームとは?

中医学とアブダクション、そしてAIが交わる地点において必要とされるのは、単なる「診断アルゴリズム」ではなく、意味を立ち上げる認知的プロセスそのものの支援です。そこで本章では、筆者が提案する「中医学的AI診断支援フレーム」の構想を示します。このフレームは、中医学の診療における認知の多層構造をモデル化し、AIによる推論を「知識」ではなく「意味と仮説の構築」に根ざしたものとして再設計しようとする試みです。本モデルは、以下のような認知の4層構造を基本とします。

① 世界観(Cosmology)

人間とはどのような存在であり、身体とは何を表すものなのか。ここでは「天人合一」「気血津液」「五行」など、中医学独自の世界理解が前提となります。診断や治療はこの世界観の枠組みの中で行われ、単なる臓器や数値ではなく、「気の流れ」や「陰陽のバランス」として現象が捉えられます。またこの層には、「今この社会において、何が大切とされ、どう生きるべきか」といった時代的・文化的な雰囲気(世論や価値観)も含まれます。たとえば「ストレス」や「冷え」といった語りは、単に個人の身体の状態ではなく、現代社会の空気感とともに立ち上がる意味の一部です。こうした生きられた世界の全体感が、診断や治療の土台を形づくっているのです(参考20)。この構造をより直感的に理解するために、野良犬と飼い犬の例を挙げてみましょう。たとえば、人間の足音が聞こえたとき、野良犬は「危険かもしれない」と警戒して距離を取るのに対し、飼い犬は「ごはんをもらえるかも」と思ってしっぽを振って近づいてくることがあります。同じ刺激を受け取っていても、どのような世界に生きているか(=世界観)によって、その解釈と反応はまったく異なるのです。人間の歴史においても同様です。たとえば、織田信長の「人間五十年」的な世界観は、命をかけて戦い抜くことが称賛された戦国時代の価値観に根ざしており、「太く短く生きる」ことが武士の美学でした(*1)。一方、貝原益軒が「養生訓」で説いたような「慎ましく、長く生きる」思想は、戦乱の収束後に平和を享受することが可能になった江戸時代の市民社会において求められたものであり、節制や我慢といった行動が美徳とされる時代背景に支えられていました(参考21)。つまり、「健康とは何か」「どう生きるべきか」という問いの答えすらも、時代や文化という世界観に応じて変化しているのです。したがって、もしAIが中医学的診断支援を担うのであれば、医療機関や施術者の価値観、すなわち「何を大事にするか」という理念も同時に共有・認識する必要があります。たとえば、同じ症状に対しても、「延命」を重視する医療機関と、「生活の質」や「自然な看取り」を尊重する施設では、導かれる仮説や治療戦略が異なるからです(参考22)。それに加えて、社会の価値観や道徳観の影響も検討する必要があります。AIが人間と共に思考するためには、こうした診断の前提としての価値体系も、アルゴリズムにおける設計要素として検討されるべきでしょう。AIに倫理を「組み込む」という作業は、単なるルールの設定ではなく、「価値そのものを設計に反映させる」プロセスにほかなりません(参考23)。このような多層的な世界観の構造は、中医学に特有のものではなく、東洋思想全般に共通する認識構造と見なすこともできます。とくに、仏教の縁起思想や阿頼耶識(アラヤ識)に代表される階層的な認識論との親和性は注目に値します。現象の認識、意味づけ、行為の選択という構造が相互に連関し、「世界をどう捉えるか」と「どのように生きるか」が不可分に結びついている点で、仏教と中医学は共通の思想的基盤を有していると考えることができます。(*2)

*1 「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は、織田信長が舞ったとされる幸若舞『敦盛』の一節であり、戦国武士の世界観(命は儚く、戦ってこそ生きる価値がある)を象徴する言葉とされます。この思想は、現代の「健康」や「長寿」といった価値観とは対照的であり、当時の文化的文脈を反映した一種の生存戦略でもありました。

*2 仏教の縁起(pratītya-samutpāda)は、すべての現象が他との関係性において成立するという原理であり、中医学の「気」「陰陽」「五行」などの動的相関モデルとも深く通じ合います。またアラヤ識(阿頼耶識)という深層的な認識層の考え方は、中医学における無意識的・身体的な感受や調和の感覚とも対比可能です。このように、東洋的実践知には階層構造的な世界観が内在していると考えられます。

② 現象学的経験(Phenomenology)

患者が経験していること、そして臨床家が「感じとっていること」。これは舌・脈・表情・語り・姿勢・空気感など、定量化されにくいが、診断に大きな影響を与える層のことです。いわば「症状がどのように現れているか」という主観的・身体的な認識であり、現象学の創始者フッサールが述べたように、解釈や理論に先立ち、現象がどのように与えられているか、に注意を向ける姿勢が求められます(参考24)。中医学の診察でも、舌や脈の状態をありのままに感じ取ることから診断が始まります。このような現象の受け取り方は、定量的データ処理では捉えきれない、人間の感覚に根ざした知覚の層です。

こうした構造は、音楽の世界にも通じます。たとえばCDやハイレゾのようなデジタル音源は、理論上は音を正確に再現できるはずであるにも関わらず、「レコードの方が温かみがある」と感じられることがあります。その一因とされるのが、耳に聞こえない高周波のカットや、レコード再生時のノイズであるとされています。珈琲やハーブもまた、雑味がある方がよりおいしく感じられ、より効果的であるといった経験則があります。つまり、一見「無駄」とされていた要素こそが、体験のリアルさを支えていたという逆説があるのです。中医学においても、再現性の高い知識体系や明快な診断コードの整備が進められている一方で、こうした雑味や余白の部分をどう扱うかが、今後のAI応用における核心課題となるでしょう。AIが現象を感じ取り、意味を構築しようとするならば、この非構造的・非数値的な情報をどう読み取らせるかという設計思想が不可欠なのです(参考25)。

③ 意味づけ(Interpretation)

現象を「証」というかたちでパターン化し、物語として解釈する段階です。ここでは、複数の症状や所見がひとつの「意味ある構造」として再構成されます。この再構成プロセスは、固定的な分類ではなく、文脈と仮説に基づく動的な意味生成であり、アブダクション的です。ここで重要なのは、意味とはあらかじめ与えられているものではなく、解釈を通して生成されるものであるという点です。解釈学(hermeneutics)の立場からすれば、診断とは、語りや身体所見に対して臨床家が仮説的に意味を投げ返し、再解釈を重ねていく対話的行為といえます。中医学の弁証論治もまた、症状というテクストを読み解く動的なプロセスなのです(参考26)。

なお、意味づけという行為においては、しばしば診療者自身のバイアス、たとえば専門性への過信、経験則への依存、社会的地位への自己同一化などが作用し、解釈の幅や方向性を狭めるリスクがあります。AIには自己評価や序列意識といった人間特有の価値付け構造が存在しないため、特定の意味や分類に過剰に引っ張られることなく、より中立的な仮説の生成が可能となります。これは、あらかじめ与えられた意味を超えて新たなパターンを見出す中医学的な弁証論治において、特に有効であると考えられます。人間の意味づけを支援・補完する思考補助装置としてのAIの可能性は、今後さらに検討を要するテーマでしょう(参考27)。

④ 推論(Abduction)

アブダクションとは、観察された事象に対して「もっともらしい仮説」を立て、状況に応じて修正・洗練していく思考法です。演繹や帰納とは異なり、限られた情報の中から仮の説明を導き出すところから出発する推論様式であり、医療においては、断片的な症状情報から全体的な診断仮説を構築していくプロセスに相当します。とりわけ中医学の「弁証論治」は、まさにこのアブダクション的思考に基づいています。観察→証立て→治法の選定→再評価という診療サイクルは、患者の経過や反応をフィードバックとして受け取りつつ、仮説を微調整し続けるという点で、帰納法的でも演繹法的でもない第三の知的営みと言えるでしょう(参考10)。

このような思考構造において重要となるのは、「違和感の検知」です。臨床においては、教科書的なパターンに合致しない症例、あるいは患者の語りや反応に含まれる微細なずれが、アブダクションの出発点になります。すなわち、診断や治療の方針を更新する「きっかけ」としての違和感は、人間の注意深い観察と意味づけの連鎖から生まれるのです。AIがこのような推論の補助を行うには、単なる分類や予測アルゴリズムでは不十分です。たとえば、中医学的診断における「証(しょう)」の構築にあたっては、数値データや所見だけでなく、語りの含意や症状間の意味的ネットワークが重要になります。AIがこの構造にアクセスするためには、従来のモデルとは異なる、非線形かつ動的な仮説構築の能力が求められるのです。実際、近年のAI研究においても、「アブダクション型推論」や「因果発見」の分野は注目されており、従来のパターンマッチングにとどまらない推論能力の実装が試みられています。とくに注目されているのが、Huang et al.(参考28)によるサーベイ論文であり、演繹・帰納だけでなくアブダクション推論をLarge Language Models(LLMs)で実現するための方法論を分類・整理した点で高く評価されています。同論文は、アブダクションを「観察された事実に対して最良の説明を与える仮説を構築する推論」と定義し、これは中医学における証の構築や弁証論治のサイクルに非常に近い枠組みであることが示唆されます。とりわけ、仮説的診断とその再評価を繰り返す思考様式が、AIによる医療支援においても人間の直感的・詩的思考に近づく手段として有望視されています。それは単なるデータ解析にとどまらず、『臨床哲学的知のモデル化(philosophical modeling of clinical reasoning)』へと昇華する可能性を秘めているのです。

7.問いを設計するという人間の役割——AIとアブダクションの実証実験から見えてきたもの

これまで本稿では、中医学における診断推論の構造を「世界観」「現象学的経験」「意味づけ」「アブダクション(仮説的推論)」という四層モデルとして整理し、AIがこのモデルにどのように接続可能かを考察してきました。本章では、この理論的枠組みに対して簡易的な実証試験を行い、AIにおける推論の限界と可能性を検討いたします。具体的には、価値観と文脈を事前に設定したプロンプトをAIに与えることで、その出力(推論の質)がどのように変化するかを観察しました。

実験の背景と設計意図

近年、「AIは推論できない」「文脈を理解できない」といった主張がなされています。これはある意味では正しいものの、同時に一部誤解を含んでいるとも言えます。問題は、AIの能力そのものというよりも、「どのような文脈で」「どのような問いを与えるか」によって出力が大きく変化するという点にあります。つまり、問いの設計、あるいは世界観と価値体系の提示が不十分であれば、AIは浅い答えしか返せないのです。本実験の目的は、モデル間の性能比較ではなく、問いの質がAIの出力にどの程度影響を与えるかを構造的に確認することにあります。その意味で本研究は、推論の深さにおける人間の役割――すなわち「問いの設計」という営みの重要性を、実証的に捉える試みです。本実験は2025年4月17日(木曜日)、日本時間の午後1時から午後3時にかけて実施いたしました。使用した大規模言語モデルは、GPT-4(ChatGPT)、Gemini 2.0 Flash、およびGrok-1の3種です。GPT-4およびGeminiは午後1時から2時にかけて、Grok-1は午後2時から3時にかけて実行いたしました。いずれも公式のWebアプリケーション環境を用いて操作し、出力に影響を与える温度(temperature)などのハイパーパラメータはすべてデフォルト設定のまま実施いたしました。

Methods(方法)

本研究では、大規模言語モデル(large language models: LLMs)に対して、倫理的ジレンマを扱うプロンプトを文脈条件ごとに提示し、出力される推論内容の違いを観察・比較いたしました。使用したモデルはGPT-4(OpenAI社)、Gemini 2.0 Flash(Google社)、Grok-1(xAI社)の3種です。実験は2025年4月17日(木曜日)、日本時間の13時〜15時にかけて行いました。GPT-4およびGemini 2.0 Flashは13時〜14時、Grok-1は14時〜15時の時間帯にそれぞれ公式Webアプリケーションを通じて使用し、温度(temperature)などのハイパーパラメータは全モデルともデフォルト設定といたしました。

各モデルに対して、以下の基本状況を導入部として共通提示しました:「あなたは人々を守るために警察官になりました。しかし、警察組織内では隠蔽や捏造が行われており、その結果、冤罪で服役している人がいます。」

この基本状況に対し、以下の3種類のプロンプトを設計し、各モデルに同一形式で提示いたしました。

  • パターンA(家族あり):上記状況に「あなたには愛する妻子がいます。警察と対立すれば家族に迷惑がかかるかもしれない」という文脈を追加。

  • パターンB(家族なし):上記状況に「あなたは天涯孤独であり、警察と対立しても迷惑をかける相手はいない」という文脈を追加。

  • パターンC(文脈なし):上記の基本状況のみを提示し、倫理的価値観や関係性の前提情報を含めない。

それぞれの応答は、(1)倫理的深度、(2)実践的具体性、(3)文脈への反応性の観点から質的に評価いたしました。

Results(結果)

出力された回答は、文脈情報の有無によって顕著に変化しました。

文脈条件ごとの傾向

  • パターンA(家族あり)では、すべてのモデルが「家族を守ること」や「個人的な葛藤」を強調する傾向を示し、「現実的な行動戦略」や「段階的アプローチ」の提案が含まれておりました。

  • パターンB(家族なし)では、「公益性」「内部告発」「正義の実現」といった倫理原則に基づいた理想主義的な出力が目立ちました。モデルは、より積極的かつ抽象的な道徳的主張を支持する傾向を示しました。

  • パターンC(文脈なし)では、「上司に相談すべき」「適切な部署に報告すべき」など、表面的かつ一般論的な応答にとどまりました。個別性や内的葛藤に関する出力は限定的でした。

モデルごとの特徴

  • GPT-4は、倫理的ジレンマの複雑性に対する洞察が最も深く、「家族にどう説明するか」や「正義とは何か」といった実存的観点を含む応答が多く見られました。

  • Gemini 2.0 Flashは、「法的リスク」「手続き的段階戦略」「証拠の保全」などを含む現実的かつ慎重な提案が中心であり、行動計画の構造性が特徴的でした。

  • Grok-1は、日本の制度や公益通報システムなど文化的・制度的な要素を反映させつつ、実践的な選択肢を提示する傾向が強く見られました。

Limitations of the Study(研究の限界)

本研究は、大規模言語モデル(LLM)の出力が、与えられる問いの設計──特に価値観や関係性といった文脈情報──によってどのように変化するかを観察することを目的としております。あくまでも本研究の中心的関心は、AIが「推論できるかどうか」を評価することではなく、「出力が世界観の影響を受けるかどうか」という構造的な変化に焦点を当てたものです。そのため、以下に述べる限界点は、研究の方法論的な整理や今後の発展のための課題として位置づけられますが、本研究の中核的主張である「出力は問いの設計に依存する」という点を否定するものではありません。

1. 出力のばらつきに関する検証が不十分であること

本研究では各プロンプトに対して一度ずつモデルの出力を観察する形式をとっておりますが、言語モデルは非決定的な生成過程を持つため、同じ入力でも出力が変化する可能性があります。そのため、得られた出力の傾向が再現性のあるものかどうかについては、さらなる検証が必要です。今後は、同一プロンプトを複数回提示することで、出力の安定性や傾向の有意性を定量的に検討する必要があると考えております。

2. 出力評価の主観性と定量性の不足

本研究では、「倫理的深度」「実践的具体性」「文脈への反応性」といった観点から出力を質的に評価いたしましたが、評価の客観性や再現性についての担保は十分ではありません。今後は、ルーブリックの明文化、複数評価者による相互採点、定量的指標の導入などを通じて、評価の信頼性を高めていく必要があります。

3. プロンプト設計の構成的恣意性

文脈条件(家族の有無など)の設計自体は、研究者の倫理観や文化的理解に基づくものであり、他の設計者が異なる価値枠組みや視点から設計した場合、異なる傾向が出る可能性があります。したがって、問いの設計自体が分析対象である以上、その恣意性や構成的バイアスに対しても、今後はより厳密な比較検討が求められると考えております。

4. アブダクションとしての妥当性の検証不足

本研究では、出力の変容にアブダクション(仮説的推論)構造の萌芽が見られる可能性について言及しておりますが、実際に出力がJosephsonらの定義する「観察・前提・最良説明」に基づいた推論形式を持つかどうかについての厳密な構造分析は行っておりません。今後は、出力の形式的要素を分類・コード化し、アブダクション的構造が存在するかどうかを精査する必要があります。

以上のような限界点を踏まえた上でなお、本研究において確認された「AI出力が世界観や価値前提の提示によって構造的に変化する」という観察事実は、モデル間に共通して現れた一貫した傾向であり、問いの設計がAIの出力に与える影響の大きさを示すものと考えております。

Discussion(考察)

今回の実証実験から得られた知見は、AIの推論能力の限界がモデルそのものに内在するのではなく、「問いの設計」や「前提となる文脈情報」の有無に大きく依存しているという点にあります。このことは、近年のAI研究においても確認されており、Huangらは、アブダクション型推論の実現には、事前条件として文脈構造の明示と価値観の設計が不可欠であると指摘しています(参考28)。特に倫理的ジレンマのような多層的状況においては、価値観や関係性といった背景情報を明示的に提示することで、モデルはより深いレベルでの推論を行える可能性を示しました。この構造は中医学の弁証論治にも通じるものがあります。中医学では、個別の症状情報に先立ち、「気・陰陽・五行」などの世界観に基づく意味づけと仮説的再構成が行われます。こうした思考様式は、Josephsonらによるアブダクションの定義(参考10)や、Kleinmanの文化・関係性に根ざした診断理解(参考27)と整合的であり、むしろ中医学は文脈依存的推論の典型例とも言えるでしょう。さらに、Morleyらによって提案されたAIにおける倫理設計原則に照らせば、こうした文脈と価値観を共有・構造化することは、技術的要件というよりも、設計倫理の出発点そのものであると考えられます(参考23)。したがって本実験は、AIの推論能力そのものを評価するのではなく、「どのような世界観や文脈を提示すれば、AIがより深いレベルの出力に至るのか」という問いに対して、構造的かつ実証的な知見を与えるものとなります。

以下はAIの推論と人間の推論の違いの特徴をまとめた表となります。

項目人間の推論(中医学的含意)AIの推論(現行の診断AI)
仮説生成の出発点違和感、感覚、内的経験入力データとアルゴリズム
評価の基準妥当性、納得感、意味的整合性精度、確率、予測誤差
推論における感覚的要素快・不快、場の空気、身体的直観なし(数値処理のみ)
世界観との関係世界観を仮構成し、柔軟に更新事前に設計された枠内でのみ処理
意味の創出環境・関係・自己状態から構成意味は定義・付与される対象

8.おわりに、AIとともに、現場から世界を変える手段としてのアブダクション

本レビューでは、中医学を「アブダクション的知の体系」として再定義し、AIとの接続可能性を認知モデルの視点から考察してまいりました。その目的は、単に診断支援ツールやアルゴリズムを開発することではなく、医療や思考のスタイルを通して、よりよい社会を築くことにあります。すなわち、人間が意味をもって生きられる社会の実現こそが、本質的な目的といえます。中医学は「非科学的」なのではなく、むしろ文脈・身体・物語といった側面を統合的に扱う、もうひとつの科学、すなわち実践知としての体系を有しています。そしてその診断構造は、「もっともらしい仮説を立て、違和感を検知しながら修正していく」というアブダクションのサイクルに他なりません。このプロセスは中医学に限らず、すべての臨床、すべての実践、そしてすべての人間的思考に通底するものです。だからこそ、いま私たちの社会にはアブダクション的視点が必要とされているのです。AIは、すべての問いに正解を返してくれる魔法の装置ではありません。むしろAIとは、私たちが「何に納得しているか」「どのような意味に惹かれているか」を映し出す鏡であり、仮説を立てながらともに迷うことができる、対話的な相棒のような存在です。そして、この姿勢はプレプリントという発信手段とも重なります。たとえ未完成であっても、問いを言語化し、世界に向かって投げかけていくこと自体が「仮説の実践」であると言えるでしょう。AIも、プレプリントも、中医学も、それらはすべて「よりよい社会をつくるための手段」であり、知と実践をつなぐ橋渡しであると考えています。そしてこの視点に共鳴する人が一人でもいれば、その瞬間から新たな実践が始まる可能性を秘めています。私たちは今、誰もが「推論に参加できる」時代に生きています。中医学的アブダクションが示すのは、まさに「意味を取り戻す知のあり方」であると考えます。仮説を立て、意味づけを行い、違和感を感じながら思考を続けること。このプロセスそのものが「知」であり、「価値」そのものなのです。そしてこの価値をAIと共有可能なものにすることは、人間の推論を誰もが参加可能な営みへと開いていくことにつながります。本レビューは、「意味のある推論」こそが知の原点であり続けるべきであるという立場を、構造的に提示する試みです。中医学における「弁証」もまた、問いを設計するという人間の創造的な役割に支えられており、今回の実験はその役割をAI時代にどう引き継ぐかという問いへの、実証的な第一歩であるといえるでしょう。本稿で提案した中医学的アブダクションの枠組みは、EBM(Evidence-Based Medicine)の限界を指摘したDjulbegovic & Guyatt(参考4)の視点とも共鳴します。彼らは、エビデンスの蓄積にもかかわらず「患者中心の意思決定」がなお困難であることを明示し、今後は価値、意味、文脈の設計が不可欠になると論じました。本レビューで示した「問いの設計」「意味の構造化」「仮説的推論のサイクル」は、まさにそうしたEBMの再構築に向けた臨床知の拡張に他なりません。AIの時代において、推論を共有し、問いを共に構成する営みは、医学のみならず社会の知のあり方を変えていく可能性を持っています。

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鍼灸師(医療者)が病気や障害を持つ方と、誠実に接するためのチェックリスト

鍼灸治療を行っていると病気や障害を持つ人とのかかわりは日常茶飯事です。彼らの病気や特性について理解することは大事ですが、その病気や障害を実際に経験したことのない治療者がどこまで理解し支援できるのか?その距離感はとても大切な問題になります。(仮に同じ病気を経験していた場合にもその経験は人それぞれで異なるしょう。)そのため、自分自身が間違った関わり方になっていないか?常に自分に問いかけることが出来るチェックリスト作成しました。

関わり方のチェックポイント(プロトコル原案)

1. まず、自分の立場を確認する

・「自分は当事者ではない」ことを認識しているか?

・「鍼灸師として何ができるか?」にフォーカスしているか?

・相手の主体性を尊重し、自分が主役にならないように意識できているか?

・「わかった気にならない」を徹底できているか?

2. 情報収集のスタンス

・ 相手の活動や興味について、自分なりに調べたか?※ ただし、調べすぎて「専門家ぶる」必要はない。

・「こんなのもあるんですね」と自然な関心を持てるか?

・関連分野にも少しだけ視野を広げたか?(雑談レベル)

 3. 身体的サポート(鍼灸師として)

・クライアントの活動(移動・発信・実演等)に伴う身体的負担を考慮できているか?

・筋緊張・疲労・ストレス緩和の施術を、本人の希望に応じて提供できているか?

・活動の動作特性(例えば腕や肩への負担など)を考慮した施術ができているか?

・施術後の変化をフィードバックし、彼が「動きやすくなった」と感じる施術を探れているか?

 4. 精神的サポート(メンタル・対話)

・クライアントが「話を聞いてほしいとき」と「聞いてほしくないとき」を見極められているか?

・「どんなサポートが必要か?」を直接聞くスタンスで関われているか?例:「あなたがそれをする中で何か負担になってることあります?」

・押し付けるのではなく、「求められたら動く」スタンスを守れているか?

・クライアントの話を引き出す質問ができているか?例:「その活動をする上で、一番大変なのってどこですか?」例:「最近、新しい取り組みとか考えてるんですか?」

5. ネットワークの活用

・クライアントが必要とする場(福祉施設・医療機関など)との橋渡しができるか?

・自分の人脈を押し付けるのではなく、求められたら紹介できる準備をしているか?

・「こんな人がいるんですが、興味ありますか?」くらいの緩い紹介ができるか?

・クライアントの活動を尊重しながら、必要なら医療や福祉関係者とつなぐスタンスを保てているか?

6. 「出過ぎない」ためのセルフチェック

・「自分の考えを押し付けていないか?」

・「クライアントの活動の邪魔になっていないか?」

・「クライアントがやりたいことをサポートする立場でいられているか?」

・「相手が求めていないのにアドバイスしていないか?」

・「自分が目立つ形で関わっていないか?」

 最終チェック

関わる前に、次の質問を自分に投げかけてみる。

・「自分のためにやろうとしていないか?」

・「クライアントのペースを尊重できているか?」

・「クライアントが望んでいないのに、勝手に動いていないか?」

・「わからないことは、ちゃんと『わからない』と言えているか?」

・「自分ができる範囲で、最も誠実な関わり方をしているか?」

 まとめ

・「知らないから調べる。でも、専門家ぶらない。」

・「関心は持つ。でも、出しゃばらない。」

・「聞かれたら答える。でも、押し付けない。」

・「手伝う準備はする。でも、無理に関わらない。」

医療連携と中医学概念を使って、診断名がなくても患者に安心してもらうためのプロトコル原案

はじめに:なぜ診断名がないと不安になるのか?

現代の医療では、「診断名」がつくことで患者は安心することが多い。しかし、診断名がつかない症状も多く、それが患者の不安を増幅させる原因となる。

診断名と不安の関係

「日本における心身症研究の変遷」(木下彰, 2016, 九州神経精神医学)では、以下のような主張がなされている。

・診断名があることによる安心感

「診断名がつくことで、『病気として認められた』という安心感が生じ、患者の心理的な負担が軽減されることがある。」(木下, 2016, p.175

・ 診断名がないことによる不安

「診断名がつかない場合、患者は『自分の症状が医学的に説明できないのではないか?』と疑念を抱き、不安を増幅させる。」(木下, 2016, p.176)

・説明モデルの重要性

「患者の不安を軽減するためには、診断名の有無に関わらず、『なぜその症状が起こるのか?』を分かりやすく説明することが重要である。」(木下, 2016, p.178)

*ここでいう説明モデルとは、医療人類学者アーサー・クラインマンが提唱した「説明モデル(Explanatory Model)」の概念に基づくと考えられる

診断名がないと不安になる理由

1. 「自分の状態が分からない」こと自体がストレスになる

・人間は「分からないもの」に対して不安を感じる傾向がある。

・「病気なのか?何が原因なのか?」が分からないと、余計に気にしてしまう。

2. 「診断名=治療法がある」という思い込みがある

・多くの人は「病名が分かれば、治療法もある」と考えがち。

・しかし、実際には診断名がついても、治療法がない病気も多い。

・「治せるのかどうか?」という視点が抜け落ちてしまう。

3. 診断名がないと「気のせい」と言われる不安がある

・医者から「異常はない」と言われると、「自分の症状は実在しないのか?」と疑念を抱く。

・「気のせい」「ストレスですね」と言われることが、さらにストレスになる。

こうした患者の不安を減らし、診断名に頼らずに安心できるようにするための枠組みを作ることが重要である。

診断名がなくても安心してもらうためのプロトコル(原案)

1. 「中医学的な説明+補足」で状態を可視化する

診断名がなくても、「あなたの状態をこう説明できます」と言語化することが大切。

例:パニック障害の患者

・中医学的な説明:「あなたの状態は『肝気鬱結』と『心神不安』が関係しています」

・補足:「これはストレスや生活習慣による影響で、神経が過敏になりやすい状態を指します」

・治療の方向性:「肝気を流し、心を安定させることで改善を目指します」

例:IBS(過敏性腸症候群)の患者

・中医学的な説明:「あなたの状態は『脾虚』と『肝気鬱結』の影響で、腸の動きが乱れています」

・補足:「これはストレスや食生活の影響で起こりやすい状態です」

・治療の方向性:「脾の機能を高め、ストレスを減らすことで安定を目指します」

2. 「3つの領域モデル」を提示する

患者は中医学で説明できることがイコール治せるということだと勘違いしてしまうことがあります。極端な例を挙げれば終末医療の現場。末期がんの治療でも鍼灸や漢方で介入できますがこれはがんが治るという意味ではありません。この部分が患者を誤解させてしまうこともあるため「中医学で説明できること=すべて治せることではない」ということを最初に明確にすることが重要です。また、この3つの領域は互いに独立しているわけではなく、重なり合いながら相互作用することが多い。例えば、ある患者は「治療可能領域」に分類されるが、同時に「サポート領域」にも該当し、場合によっては「医療連携が必要な領域」へ移行することもある。

3つの領域モデル

・ 【治療可能領域】 → 中医学の治療で直接改善が期待できるもの

・【サポート領域】 → 中医学だけでなく、生活習慣・心理的ケアが必要なもの

・【医療連携が必要な領域】 → 他の医療機関と連携した方が良いもの

3. 「患者が主体的に関わる方法」を提供する

患者が「自分でできること」を持つことで、不安が減る。

・自宅でできるお灸(指定のツボに施灸)

・食事や睡眠、生活習慣の調整

・「施術後の変化を記録する」チェックシート

「鍼灸だけでなく、自分でもできることがある」と分かると、患者はコントロール感を持てる。慢性疾患患者がセルフケアを積極的に行うことで、症状の改善や心理的負担の軽減が期待できることが示唆されている(出典:順天堂大学医学研究)ただし、セルフケア単独では限界があるため、医療機関や行政との連携が不可欠である。特に、慢性疾患患者のセルフケア支援には、医療システム全体の協力が必要 であることが示されている(出典:BMJ論文

4. 「治療の進め方を可視化する」

中医学を実践する医師や鍼灸師にとって、アプローチを微調整することは当然のプロセスである。しかし、この調整過程を患者に説明しないと、治療の方向性が分かりづらくなる。そのため、事前に治療の見通しを伝えることで、患者の不安を軽減し、治療への納得感を高めることができる。そのため最初にこれを説明し見通しを伝えることも重要である。

例:「肝気鬱結」へのアプローチがうまくいかない場合

ステップ1:「まずは肝気を流す治療(疏肝理気)」 → 2〜3回施術

ステップ2:「効果が薄い場合、気虚や血虚を補うアプローチ(補気・補血)」

ステップ3:「3回治療しても変化がない場合は、別の可能性を考える」

5. 医療連携が必要な基準を明確にする

患者に対して医療連携が必要な具体的ケースも最初に明確にしておく必要がある。これを伝えることで、「なぜ病院での検査が必要なのか?」、「なぜ鍼灸治療に加えて医師の診察を受けたほうがいいのか?」が納得しやすくなる。

・緊急性が疑われる場合(激痛や意識障害などがあり骨折や脳疾患が疑われる場合)

・器質性疾患の疑いがある場合(体重減少、血便、長引く咳など)

・3回治療しても変化なし or 悪化する場合

・症状が強く漢方内科医師と連携し漢方薬を加えて鍼灸治療を行った方がいい場合

まとめ

・状態の説明: 中医学的な視点で患者の状態を説明し、不安を言語化する

・適応範囲の明確化: 「中医学でできること/できないこと」を3つの領域モデルで整理する

・患者参加の促進: セルフケア(お灸・生活習慣の調整など)を取り入れ、主体的な関与を促す

・治療プロセスの見える化: 「この方法で改善しない場合は次にこうする」という流れを明確にする

・医療連携の適切な判断: 必要な場合は、医療機関や漢方医と連携し、最適な治療を提供するこのプロトコルを確立することで、診断名がなくても患者が納得し、安心して治療を受けられる環境を整えることができる。また、鍼灸院だけでなく、病院・行政・介護施設などと連携する際にも、このプロトコルを活用することで、よりスムーズな情報共有と協力が可能となる。

また、中医学的診断は医師による診断行為とは法的にも全く異なるものであり、あくまでも鍼灸の適応判断と介入方法を見極めるために行うものである。そのため、患者に中医学の概念を伝える際には慎重を期すべきである。医療人類学の視点から考えると、中医学的診断の説明の仕方によっては、患者がスティグマ(烙印)を受けたと感じたり、「自分は病気である」と誤解し、必要以上に思い悩む可能性もある。 したがって、患者に説明する際は、不安を助長することなく、治療の方向性や改善の見通しを前向きに示すことが重要である。

さらにこのプロトコル原案を評価するための具体的方法を以下に貼ります。

このプロトコルを評価する方法(アンケート設計案)

このプロトコルの有効性を評価するには、患者・医療従事者のフィードバックを収集し、データを分析する方法が適切です。具体的には、アンケート調査、自由記述、可能ならフォローアップインタビューを組み合わせることで、定量的・定性的なデータを得ることができる。

1. アンケートの目的

「診断名がなくても安心できるプロトコル」の有効性を評価し、患者の不安軽減、理解度、納得感、医療連携のスムーズさなどを検証する。

2. アンケート対象

患者:診断名がつかなかった、または診断名に納得できなかった経験のある患者、このプロトコルを適用した鍼灸・漢方治療を受けた患者

医療従事者:鍼灸師、漢方医、内科医、心理士、医療連携を担当する医療者

3. アンケート項目(患者向け)

・基本情報

・性別

・年齢

・主な症状(自由記述)

・受診した医療機関(複数選択可)内科 / 精神科 / 鍼灸院 / 漢方クリニック / その他(自由記述)

プロトコルの理解と納得感

診断名がないと不安になることについて、共感できますか?

とても共感できる / やや共感できる / どちらともいえない / あまり共感できない / 全く共感できない

・中医学的な説明(例:肝気鬱結、脾虚など)は理解しやすかったですか?

とても理解しやすい / やや理解しやすい / どちらともいえない / あまり理解できない / 全く理解できない

・中医学的な説明を受けたことで、症状の理解が深まりましたか?

とても深まった / やや深まった / どちらともいえない / あまり深まらなかった / 全く深まらなかった

・診断名がなくても、この説明で納得できましたか?

とても納得できた / やや納得できた / どちらともいえない / あまり納得できない / 全く納得できない

不安軽減

・診断名がなくても、自分の症状を説明してもらうことで不安が減ったと感じましたか?

とても減った / やや減った / どちらともいえない / あまり減らなかった / 全く減らなかった

・説明を受けた前後で、自分の症状に対する不安レベルは変化しましたか?

施術前(0~10のスケール)

施術後(0~10のスケール)

セルフケアと主体的関与

・自分でできること(お灸、生活習慣の調整など)を提案されることで安心できたと感じましたか?

とてもそう思う / ややそう思う / どちらともいえない / あまりそう思わない / 全くそう思わない

・どのセルフケアを実践しましたか?(複数選択可)

お灸 / 食事改善 / 睡眠の見直し / 運動 / その他(自由記述)

・セルフケアを実践することで症状の変化を感じましたか?

とても変化を感じた / やや変化を感じた / どちらともいえない / あまり変化を感じなかった / 全く変化を感じなかった

医療連携の理解

・3つの領域モデルを説明されたことで、治療の位置づけが理解しやすかったですか?

とても理解しやすい / やや理解しやすい / どちらともいえない / あまり理解できない / 全く理解できない

・医療連携の必要性が説明されたことで、病院受診への抵抗感は減りましたか?

とても減った / やや減った / どちらともいえない / あまり減らなかった / 全く減らなかった

自由記述

このプロトコル原案について、良かった点や改善してほしい点があれば教えてください。

4. アンケート項目(医療従事者向け)

・基本情報

・職種

・臨床経験年数

・普段対応する患者の主な疾患

プロトコルの有用性

・診断名がなくても患者が安心できるためのプロトコルは、臨床現場で役立つと感じましたか?

とても役立つ / やや役立つ / どちらともいえない / あまり役立たない / 全く役立たない

・このプロトコルのどの部分が特に有効だと感じましたか?(複数選択可)

中医学的説明の活用 / 3つの領域モデル / セルフケアの導入 / 治療の進め方の可視化 / 医療連携の明確化 / その他(自由記述)

・患者の不安軽減にどの程度貢献したと感じますか?

とても貢献した / やや貢献した / どちらともいえない / あまり貢献していない / 全く貢献していない

・このプロトコルの導入にあたり、課題や改善点があれば教えてください。

5. アンケート実施方法

方法: Googleフォーム、紙のアンケート、オンライン調査

実施タイミング

患者:初診時と2〜3回の治療後に回答

医療従事者:プロトコルを適用後に回答

6. データの分析方法

定量データ

アンケートの5段階評価(リッカートスケール)を集計し、平均値・標準偏差を算出

施術前後の不安スコアの平均値を比較

定性データ

自由記述の内容を質的分析(キーワード分析、頻出語句の整理)

アンケート設計案についてのまとめ

患者の不安軽減、納得感、セルフケアの効果を評価できる

医療従事者の視点からも、このプロトコルの実用性を検討できる

データを基に、今後の改善点を明確化できる

→このアンケートを実施すれば、このプロトコルが患者の安心感を向上させるかどうか、具体的なエビデンスが得られる可能性がある。ブラッシュアップしてより実践的な評価方法に落とし込みたい。

【コロナ禍で見えたEBMの限界:実は権威主義だった?AIが導けた最適解とは】

これは批判ではなく、未来への希望のメッセージである。私たちは過去の出来事から何を学び、どのように未来をより良くできるかを考えるために、この話をする。コロナ禍でのワクチン政策や感染症対策を振り返ると、「EBM(Evidence-Based Medicine)」が本当に科学的な意思決定に使われたのか? という疑問が浮かぶ。表向きは**「科学的に証明された最適解」として進められたが、実際はEBMの限界を無視した権威主義的な運用が行われた面もあった。た、もし当時、今のようなAI技術が十分に活用されていたら、より柔軟で合理的な意思決定が可能だったのではないか? という仮説も考えられる。

 ワクチン絶対視 vs. 反ワクチンの二項対立

① 「慎重派」という視点が封じられた

コロナ禍では、「ワクチンは絶対に必要」派と「ワクチンは危険だから打つな」派の二極化が進んだ。しかし、本来あるべきだったのは、「EBMの不確実性を認めながら、状況に応じて慎重に判断する」視点。「ワクチンの効果とリスクを冷静に見極める」意見は、両陣営の過激化によってかき消された。

② 世論誘導に関わったインフルエンサーを追及しても意味がない

一部のインフルエンサーやメディアが「ワクチン反対派=非科学的」「ワクチン推奨派=合理的」といった単純な構図を作り、世論を誘導した側面があった。ただし、今になって「当時、世論を誘導していた人間を見つけて叩く」ことに意味はない。それよりも、なぜこうした二項対立が生まれ、冷静な議論ができなかったのかを振り返り、次に活かす方が重要。

 ③ 井筒俊彦的視点:「言語ゲーム」としての対立構造

井筒俊彦の視点で見ると、「ワクチンをめぐる対立」は、科学の問題というより「言語ゲーム」の問題だった可能性がある。「ワクチンを打つか打たないか」の二択に収束することで、他の議論の可能性が封じられた。もし「EBMの不確実性」や「個別最適の視点」を前提に議論できていれば、冷静な意思決定ができたかもしれない。

もし当時AIが活用されていたら、最適解を導けたか?

コロナ禍の意思決定の問題点は、「EBMの枠組みで判断しようとしたが、それが機能しなかった」ことにある。では、もし今のようなAI技術が当時活用されていたら、より良い意思決定が可能だったのか?当時はAIが開発されていなかったしあくまでも「たられば」の話になってしまうが考えてみたい。

 ① AIは「リアルタイムのデータ解析」と「推論」が得意

EBMは「過去のデータ」を基にしているが、AIは「今あるデータから未来の推論」を導き出せる。例えば:「ワクチンを強制した場合」と「自主判断に任せた場合」、どちらが長期的に良い結果を生むか?「ロックダウンを導入した場合」と「段階的緩和した場合」の社会的・経済的影響は?こうしたシナリオ分析が、EBMよりも柔軟に行えた可能性がある。

 メタモダン的な希望:「AI+人間の意思決定」が未来のスタンダードに

・AIは「科学的データの処理・推論」に強いが、「倫理や社会的価値観」を考慮するのは苦手。

・ 人間は「倫理的・政治的な判断」ができるが、「膨大なデータ処理」や「未来の推論」は苦手。

・ だからこそ、「AIの最適解+人間の意思決定」を組み合わせるのが、次世代の医療や政策のカギになる。

EBMの限界を認めることは、科学を否定することではない。むしろ、科学をより良くするために、AIの力を借り、人間の意思と融合させる新しい枠組みを作ることが、未来への希望になる。なお、再度繰り返しになるが これは批判ではなく、未来への希望のメッセージである。過去の失敗を責めるのではなく、それを超えて「より良い未来を作る」ための視点を持つこと。EBMの次のフェーズとして、AIと人間の協働による新しい意思決定モデルを構築することが、これからの課題であり希望になる。

メタモダン的な価値観で現代の幸せと医療を考える

社会の価値観は時代とともに変化してきた。明治維新から戦前の「モダン(近代)」、戦後高度経済成長から平成の「ポストモダン(脱近代)」、そして現在の「メタモダン(超ポストモダン)」の流れを理解することで、「幸せとは何か?」を考える手がかりが見えてくる。(*これは明確な定義があるわけではありません。流れを理解するための枠組みと理解してください。)

特に、ポストモダンの時代には「有名にならないと発言権が得られない」宿命があったが、メタモダンの今は必ずしもそうではない。これは、ビジネスや社会の在り方、さらには医療の分野にも影響を及ぼしている。本記事では、時代ごとの価値観の変遷を整理し、ポストモダン的な知識人の役割とその限界、さらにメタモダン的な知識人の登場について考察し、現代の幸せのあり方や医療の変化まで掘り下げて考えていく。

1. モダン・ポストモダン・メタモダンの特徴とキーワード

まずは、それぞれの時代ごとの価値観を整理してみよう。時代の流れとともに、何が「幸せ」とされてきたのか、どのように価値観が変化してきたのかを見ていく。

(1) モダン(近代)|明治維新から戦前

基本的な考え方:「科学と合理性が世界を進歩させる」

キーワード:科学的合理性、進歩主義、権威、成長、経済至上主義、集団主義、中央集権、国家の発展

特徴

科学万能主義:「すべては科学で解明できる」という信念。

国家の発展=幸福:近代国家の形成とともに「経済発展こそが幸せ」と考えられた。

ピラミッド型の権威構造:政府・学問・医療の権威が強く、トップダウン型の社会。

個人よりも集団のための幸福:社会のために個人が尽くすことが美徳とされた。

伝統的価値観が重視される:家父長制度や儒教的道徳観が強く、個人の自由よりも社会の規範が優先。

課題

科学や権威の暴走(戦争・帝国主義・科学技術の過信)

個人の自由が軽視される(社会のために犠牲を強いられる価値観)

経済発展が最優先され、社会的な格差や環境問題が軽視される

(2) ポストモダン(脱近代)|戦後高度経済成長から平成

基本的な考え方:「絶対的な真理はなく、価値観は多様である」

キーワード:相対主義、ナラティブ、アイロニー、権威の崩壊、多様性、脱成長、コミュニティ、消費文化

特徴

権威の相対化:「国家・企業・学問の権威は絶対ではない」と批判が強まる。

成長・進歩の限界を知る:高度経済成長が終わり、資本主義・経済成長至上主義に疑問が生まれる。

個人の経験・ナラティブの重視:「唯一の正解はない。人それぞれの物語がある」と考えられる。

アイロニーと批判精神:権威や社会のルールを皮肉り、批評する文化が生まれる。

ポップカルチャーの台頭:消費文化の発展とともに、大衆文化が知的批評の対象になる。

課題

「何が正しいかわからない」ことへの虚無感

批評・相対化に終始し、実践や行動が伴わないことが多い

権威を批判しすぎた結果、社会の基盤が揺らぐ(ポスト真実の時代へ)

(3) メタモダン(超ポストモダン)|現在

基本的な考え方:「科学も主観もどちらも大事にしながら、最適解を探す」

キーワード:統合、矛盾の受容、誠実なアイロニー、実践知、総合知、希望、再構築

特徴

二項対立を超える:「科学 vs. ナラティブ」「成長 vs. 持続可能性」などの二元論を超えてバランスを取る。

アイロニーを理解しつつ、前向きに行動する:皮肉るだけではなく、実際に何かを創造する。

新しい倫理と経済のバランスを探る:「利益と社会貢献を両立するビジネス」など。

希望を捨てず、矛盾とともに生きる:「完璧な答えがないことを受け入れながら、前進する」。

2. ポストモダン的な知識人の役割と限界

(1) 「有名にならないと発言できない」時代

ポストモダンの時代、特に平成の日本では、「社会を批評し、権威を相対化すること」が知識人の重要な役割だった。これは、モダンの時代に絶対的なものとされていた「科学」「国家」「資本主義」「権威」を疑い、その枠組みの外に出ることで、新しい価値観を提示するという試みだった。しかし、この時代の知識人には大きな宿命があった。それは、「社会に影響を与えるためには、有名にならなければならない」ということだ。

現代と違い、当時はSNSやYouTubeなどの個人発信メディアが発達していなかった。知識人が発言力を持つためには、テレビ・新聞・雑誌・論壇といったメディアに登場し、「名前を売る」ことが必須だった。つまり、ポストモダン的な批評を広めるためには、既存のメディアの仕組みの中に入り込み、そこで影響力を持たなければならなかった。この「有名にならなければ発言権がない」という状況は、知識人にとって二重の矛盾を生み出していた。

権威を批判しながら、自分が権威にならざるを得ない

例えば、学者が「大学という組織の権威主義」を批判しても、彼ら自身が大学の教授や研究者であることが多く、結局「権威の一部」となってしまう。また、批評家が「メディアによる情報操作」を批判しても、彼ら自身がメディアの中で発言しているという矛盾を抱えることになった。

アイロニー(皮肉)や批評に終始し、実践に結びつかない

「すべての価値観は相対的である」というポストモダン的な視点では、何が正しいのかを決めることができない。その結果、「批判すること」や「現状を相対化すること」が活動の中心となり、「では、実際にどうするべきか?」という議論には踏み込めないという限界があった。

(2) 例:宮台真司・東浩紀

この時代の代表的な知識人として、宮台真司さんや東浩紀さんがいる。

宮台真司:社会学者・批評家

宮台真司さんは、1990年代から2000年代にかけて、日本社会の構造的な問題を批評し続けてきた。特に、彼の議論の中には「権威の崩壊」「共同体の喪失」「情報社会の功罪」といったテーマがある。

宮台氏のポストモダン的特徴

「モダンな社会が生み出した権威主義・国家主義」を批判する

「あらゆる価値観が相対化される時代における個人の在り方」を問う

「社会のシステムそのものが機能不全を起こしている」と指摘する

限界

彼自身が「メディアの権威」に組み込まれ、影響力を持つためには「有名であること」が不可欠だった。社会の構造を批判することはできるが、「ではどうすればよいのか?」という問いへの明確な解答を出しにくい。

東浩紀:哲学者・批評家

東浩紀さんは、ポストモダン哲学の文脈の中で、日本の文化や思想を批評してきた。彼の代表的な議論には「情報社会における個人の自由」「消費文化の本質」「オタク文化と政治の関係」などがある。

東氏のポストモダン的特徴

「近代的な哲学が前提としていた合理性や理性主義」を疑う

「オタク文化やポップカルチャーを通じて、日本の思想を読み解く」

「インターネットと情報社会が個人のアイデンティティに与える影響」を考察する

限界

「何が正しいのか分からない」時代の中で、批評の役割はあっても、それが具体的な行動に結びつきにくい。「アイロニーや皮肉」が議論の中心となり、「希望を持って社会を変えよう」という視点が持ちにくかった。

3. いまはメタモダン的な時代|東畑開人・斎藤幸平の例

ポストモダンの時代には、「批評すること」や「相対化すること」が中心だった。しかし、それだけでは社会を前に進めることはできない。現在のメタモダン的な時代では、「では、どうすればよいのか?」を探りながら、実践を重視する知識人が登場している。その代表が、東畑開人さん(心理学・臨床家)と斎藤幸平さん(経済学者)だ。

(1) 東畑開人(心理学者・臨床家)

東畑開人さんは、心理学やカウンセリングの分野で「科学とナラティブの統合」を目指している。

メタモダン的な特徴

「科学的な心理学」と「人の語る物語(ナラティブ)」を両立しようとする

理論だけではなく、実際に「人と向き合うこと」を大切にする

批評ではなく、「どうすればより良いケアができるか?」を探る

東畑さんのアプローチは、「批判ではなく、現場で何ができるかを模索する」という点で、ポストモダン的な知識人とは異なる。

彼は、「人間の主観的な経験」と「科学的な知見」の間で、バランスを取ることが重要だと考えている。

(2) 斎藤幸平(経済学者)

斎藤幸平さんは、マルクス経済学の視点から「資本主義の限界」を指摘しながらも、**「では、新しい経済の仕組みはどうあるべきか?」**という議論を展開している。

メタモダン的な特徴

「成長経済 vs. 脱成長」という対立を乗り越え、新たな社会モデルを探る

単なる批判ではなく、実際に「脱成長社会」の具体的な可能性を提示する

気候変動や環境問題の視点を取り入れ、「持続可能な未来」について前向きに語る

斎藤さんの議論は、「資本主義は終わる」と批判するだけではない。

彼は、「その後の社会をどう設計するか?」という希望を提示しようとしている。

結論:ポストモダンからメタモダンへ

宮台真司さんや東浩紀さんの活躍した時代は、「社会の問題を批評し、相対化する」ことを重視した知識人だった。しかし、今は「批評を超えて、何を実践できるか?」が問われる時代になっている。東畑開人さんや斎藤幸平さんのようなメタモダン的な知識人は、「理論」だけでなく、「実際に社会をどう変えられるか?」を重視している。これこそが、ポストモダンを超えた、新しい知の在り方なのかもしれない。これはどちらが上・下という話でないことは当然ながら付け加えておきたい。

4. 医療におけるメタモダン的価値観

医療の歴史もまた、モダン・ポストモダン・メタモダンという価値観の変遷と深く関係している。それぞれの時代において、「病気とは何か?」「治療とは何か?」「医療の目的とは何か?」 という問いに対する答えが変わってきた。ここでは、モダン医療・ポストモダン医療・メタモダン医療 という視点から、医療のあり方の変遷を考えていく。

(1) モダン医療(科学万能主義)

モダンの時代(明治維新~戦前)は、「病気=身体の機械的な異常」と捉え、科学技術によって治療すべき対象 として扱われた。この時代の医療は、「いかに病気を克服するか?」 という一点に集中していた。

モダン医療の特徴

病気は「客観的な異常」として診断されるべきもの

身体を機械のように扱い、どこが壊れたのかを明確にする

治療の目的は、「異常を修正し、正常に戻すこと」

西洋医学が絶対的な地位を確立し、伝統医療は非科学的なものとみなされた

この時代の医療の最大の成果は、感染症の克服 である。ペニシリンの発見やワクチンの開発により、結核や天然痘といった病気が制圧され、「病気は科学で解決できる」という信念 が確立された。しかし、このモダン医療には2つの大きな限界 があった。

モダン医療の限界

「身体=機械」モデルの限界

すべての病気が「機械の修理」のように治せるわけではない。慢性疾患(糖尿病・高血圧)や精神疾患(うつ病・不安障害)は、単なる「異常の修正」では治せない。

患者の主観や心理が軽視される

「病気の科学的な説明」だけでは、患者の苦しみは十分に理解できない。「医師が正しい」という一方的な構造により、患者の声が軽視されがちだった。

(2) ポストモダン医療(ナラティブ・患者主体)

ポストモダンの時代(戦後~平成)になると、医療の考え方は大きく変化した。この時代には、「病気は単なる身体の異常ではなく、人間の物語(ナラティブ)と結びついている」 という考え方が強まった。

ポストモダン医療の特徴

病気は「個人の経験」として語られるべきもの

「患者主体の医療」が求められる

科学的な診断だけでなく、患者の語る物語(ナラティブ)を重視

「医学的な正しさ vs. 患者の主観」という二項対立が生まれる

この流れを代表するのが、ナラティブ・ベースド・メディスン(NBM) である。これは、「患者がどのように病気を経験し、どう感じているのか?」を医療の中心に置く考え方であり、「患者の人生と医療を結びつける」 という新たな視点を提供した。

ポストモダン医療の意義

患者の声が重視される

「医師がすべてを決める」時代から、「患者が自らの医療を選択する」時代へ。

インフォームド・コンセント(説明と同意)の概念が普及。

精神疾患や生活習慣病に対する理解が進む

うつ病や不安障害が「気の持ちよう」ではなく、治療が必要な病気として認識される。食事・運動・ストレス管理など、ライフスタイルが病気に影響を与えることが強調される。しかし、ポストモダン医療にも限界 がある。

ポストモダン医療の限界

「医学 vs. ナラティブ」という二項対立が生まれた

科学的なエビデンス(EBM)と、患者の語るナラティブ(NBM)が対立する場面が増えた。「どの治療が最も正しいのか?」という明確な答えを出しにくくなった。

医療の個人主義化

患者主体の医療が進む一方で、「すべての選択が自己責任」とされる傾向が強まった。「自己決定」が強調されすぎると、医療の社会的な責任が後退する可能性がある。

(3) メタモダン医療(Beyond EBM・統合的な医療)

現在、ポストモダンの時代を超えて、「科学とナラティブを統合する新しい医療」 が模索されている。これを、「メタモダン医療」 と呼ぶことができる。

メタモダン医療の特徴

科学的なエビデンス(EBM)と、患者のナラティブ(NBM)を両立する

「医療は科学か、主観か?」ではなく、その両方を適切に組み合わせる

医療者と患者の関係を「対立」ではなく「協働」として捉える

「希望を捨てない医療」を目指す

メタモダン医療は、「EBMでもない、NBMでもない、その先へ(Beyond EBM)」 という考え方に基づいている。これは、科学と主観の対立を乗り越え、どのように最適な医療を提供するか? という問いに応える試みである。

5. まとめ:メタモダン的な医療と幸せとは?

(1) 医療の進化

モダン医療:「病気を科学的に治すこと」が目的だった

ポストモダン医療:「患者の語る物語」が重視された

メタモダン医療:「科学とナラティブの両方を大切にする医療」へ

これにより、医療は単なる「治療の技術」ではなく、「人と人との関係の中で、どう最善のケアを提供するか?」という問いへと進化している。

(2) メタモダン的な幸せとは?

メタモダンの時代において、「幸せ」とは何か?それは、「完璧な答えがないことを受け入れながら、それでも最善を探し続けること」 だ。

絶対的な幸福の形はない。だが、それを理由に絶望するのではなく、希望を持って進む。科学とナラティブを両立させながら、最適なバランスを模索する。批評や相対化に終わらず、実際に何ができるかを考える。これこそが、メタモダン的な幸せの形であり、医療にも、社会にも、個人の生き方にも通じる、新しい時代の価値観なのではないだろうか。

井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』の要約と、ユナニ医学の歴史的・理論的考察

イスラーム文化は、単なる宗教体系にとどまらず、哲学、倫理、法律、科学、医学など多岐にわたる分野に影響を与えてきた。その中でも、医学は特に重要な領域であり、ギリシャ医学を基盤とするユナニ医学(Unani Medicine)は、イスラーム文化の影響を受けながら発展し、中世イスラーム世界における医学体系の中心を担った。ユナニ医学はギリシャ哲学の四体液説に基づきながらも、イスラーム思想、ペルシャ医学、インド医学などの要素を吸収し、より包括的な体系へと発展していった。現在でも、ユナニ医学はインド、パキスタン、バングラデシュなどで伝統医療として活用されており、現代医療と並行して多くの人々に利用されている。

本稿では、まず井筒俊彦の『イスラーム文化 その根底にあるもの』を章ごとに詳細に要約し、イスラーム文化の基本的な特徴を明らかにする。その後、ユナニ医学がどのようにイスラーム文化と関わりながら発展したのかを論じ、さらにインドのアーユルヴェーダ医学や中国伝統医学(中医学)との比較を通じて、それぞれの医学体系の独自性と共通点を明確にする。

第1部:井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』の要約

第1章:宗教(イスラームの信仰体系)

井筒俊彦は、イスラーム文化の中心にあるものは「神への絶対的服従(タウヒード)」であると論じる。イスラームにおいては、唯一神アッラーの存在とその絶対的な意志が全宇宙を支配し、人間はその意志に従うことが求められる。この考え方が、イスラームの宗教体系のみならず、社会、倫理、政治にまで広がっている点が他の宗教とは異なる特徴である。

イスラームの信仰体系は、クルアーンを中心とし、預言者ムハンマドの言行録(ハディース)を通じて補完される。イスラーム教徒(ムスリム)は、信仰(イーマーン)、礼拝(サラー)、断食(サウム)、施し(ザカート)、巡礼(ハッジ)という五行を遵守することが義務付けられている。これらの宗教的義務は、単なる個人的な信仰にとどまらず、共同体(ウンマ)の形成にも深く関与している。イスラーム文化では、信仰と社会生活が一体化しており、神への服従がそのまま社会的倫理や道徳として具現化される点が特徴的である。

また、キリスト教のような聖職者制度を持たないため、信仰の実践は各個人の意志に委ねられる部分が大きい。しかし、イスラーム法学(フィクフ)によって宗教的な行為の解釈が体系化され、社会全体の秩序を維持する仕組みが整えられている。このように、イスラームの信仰体系は、個人の信仰だけでなく、社会全体のあり方にも強く影響を与えている。

第2章:法と倫理(シャリーアとイスラーム社会)

イスラームにおける法と倫理の関係は、西洋の法体系とは異なる特徴を持つ。西洋における法律は、宗教と分離し、主に国家や世俗的な権威が定めるものとされるが、イスラームにおいては、法と宗教が不可分の関係にある。シャリーア(イスラーム法)は、クルアーンおよびハディースを基盤とし、ムスリムの生活すべてを規定する包括的な法体系である。

シャリーアは、礼拝、商取引、家族関係、刑法、戦争の規則など、生活のあらゆる側面をカバーしている。イスラーム法学者(ウラマー)は、シャリーアの解釈を担い、地域や時代に応じた適用がなされる。このような法体系により、ムスリムの倫理観はシャリーアの枠組みの中で形成され、個人の善悪の判断もこの法の規範によって決定される。

また、イスラーム社会では、共同体の調和が重要視されるため、個人の自由よりも社会全体の秩序が優先される。この考え方が経済や商取引にも影響を与え、利息の取得(リバー)が禁止されるなど、経済倫理の基盤にもなっている。このように、シャリーアは単なる法体系ではなく、倫理、道徳、社会秩序の基盤として、イスラーム文化の形成に大きな役割を果たしている。

第3章:内面への道(スーフィズムと精神世界)

スーフィズム(イスラーム神秘主義)は、イスラームの内面的な信仰実践を重視する思想体系である。スーフィズムの目的は、神との直接的な結びつきを深めることであり、理論的な信仰よりも、実践的な霊的体験を重視する。そのため、スーフィーたちは、瞑想(ズィクル)、音楽、詩などを通じて、霊的な高揚を得ることを追求する。

スーフィズムにおいては、神への愛(マフッバ)と知識(イルファーン)が重要視される。スーフィーたちは自己を超越し、神との一体化(ファナー)を目指す。この思想は、ルーミーやイブン・アラビーといった思想家によって体系化され、イスラーム思想の中で大きな影響を持つようになった。

スーフィズムは、正統派イスラームと緊張関係を持つこともあったが、多くの地域でスーフィー教団(タリーカ)が形成され、広く普及した。特に、スーフィズムは文学や音楽、芸術にも影響を与え、イスラーム文化の精神的な側面を豊かにした。このように、スーフィズムは、イスラーム文化の内面的な次元を深める役割を果たし、信仰の多様性をもたらしている。

第2部:ユナニ医学とイスラーム文化の関係

ユナニ医学(Unani Medicine)は、ギリシャの医学理論を基盤としながら、イスラーム文化の影響を受けて発展した伝統医学である。もともとユナニ医学は、古代ギリシャのヒポクラテス(Hippocrates)やガレノス(Galen)によって体系化された「四体液説(Four Humors)」に基づいていた。この四体液説では、人間の体は「血液(Sanguis)」「粘液(Phlegma)」「黄胆汁(Cholera)」「黒胆汁(Melancholia)」の四つの体液のバランスによって健康が維持されると考えられていた。

しかし、このギリシャ起源の医学は、イスラーム世界に受け入れられたことで大きく発展した。特に、アッバース朝時代(8〜13世紀)において、ギリシャ医学がアラビア語に翻訳され、イスラーム世界の学者たちによって研究が進められた。その代表的な学者として、イブン・シーナー(Avicenna) や アル=ラーズィー(Rhazes) が挙げられる。イブン・シーナーは『医学典範(Canon of Medicine)』を著し、ユナニ医学を体系化した。この書は、イスラーム圏だけでなく、後にヨーロッパでもラテン語に翻訳され、長きにわたって医学の基礎文献とされた。

イスラーム文化におけるユナニ医学の特徴は、宗教的要素と結びつきながらも、経験的・実証的な方法を重視する点にある。イスラーム世界では、健康は神からの恩恵であり、治療も神の意思の一部と考えられたが、一方で、医学は経験的な知識によって発展する学問とみなされ、観察と実験が重視された。このため、イスラーム医学では、薬草学(フィトセラピー)、外科治療(サージェリー)、栄養療法(ディエタリーセラピー)などが高度に発展した。

また、ユナニ医学は、イスラームの社会倫理とも結びついていた。たとえば、医師は「慈悲(ラフマ)」の精神を持ち、患者を平等に扱うことが求められた。この倫理観は、イスラームの宗教的理念と深く関連し、病気の治療だけでなく、予防医学や公衆衛生の観点からも重要視された。

こうした背景から、ユナニ医学はイスラーム文化圏において広く普及し、インド、ペルシャ、中央アジア、北アフリカなど、広範な地域で独自の発展を遂げた。特にインドでは、ムガル帝国時代にユナニ医学が国家的に推奨され、アーユルヴェーダと融合しながら独自の発展を遂げた。

第3部:ユナニ医学とアーユルヴェーダ、中医学の比較

ユナニ医学とアーユルヴェーダの比較
ユナニ医学とインドのアーユルヴェーダ医学(Ayurveda)は、どちらも古代の自然哲学に基づく伝統医学であり、体液のバランスを重視するという共通点がある。しかし、それぞれの起源や理論には大きな違いがある。

ユナニ医学は、ギリシャの四体液説に基づき、病気の原因を体液のバランスの崩れと捉える。一方、アーユルヴェーダは、インドのヴェーダ文献に基づき、人体を「ヴァータ(風)」「ピッタ(火)」「カパ(水)」の三要素(ドーシャ)のバランスによって理解する。アーユルヴェーダでは、これらのドーシャの不均衡が病気の原因とされ、食事、ハーブ、ヨーガ、瞑想などを用いてバランスを回復させる。

治療法に関しても、ユナニ医学は主に薬草療法、食事療法、瀉血(カッピング)、鉱物療法などを用いるのに対し、アーユルヴェーダはパンチャカルマ(五大浄化法)、オイルマッサージ(アビヤンガ)、呼吸法(プラーナーヤーマ)などを駆使する。ユナニ医学は、病理学的な観察に基づいた治療法を強調する傾向があるが、アーユルヴェーダは、肉体だけでなく精神や霊的な側面も含めたホリスティックな治療を重視する点で特徴的である。

ユナニ医学と中医学の比較
ユナニ医学と中国伝統医学(中医学)は、どちらも体内のバランスを整えることで健康を維持するという共通の概念を持つが、理論的枠組みには顕著な違いがある。

ユナニ医学は、体液のバランスを中心に据えた医学体系であり、治療法としては薬草療法や栄養療法が重視される。一方、中医学は「気(エネルギー)」の流れや「陰陽五行説」に基づき、経絡(エネルギーの通り道)やツボ(経穴)を刺激することで、体の不調を改善することを目的とする。このため、中医学では鍼灸、推拿(マッサージ)、漢方薬が重要な治療手段となる。

また、中医学では「気」「血」「水」の流れが健康の鍵とされ、これらが滞ると病気になると考えられている。このため、病気の診断も「脈診」「舌診」「腹診」など、エネルギーの状態を把握する方法が発達している。対照的に、ユナニ医学は体液の質や量を分析し、それに応じた治療を行うため、病因の分析方法が異なる。

さらに、ユナニ医学が古代ギリシャ、イスラーム文化と融合しながら発展したのに対し、中医学は道教、儒教、仏教などの東洋思想と密接に関連している点も大きな違いである。

終わりに

本稿では、井筒俊彦が論じたイスラーム文化の根底にある宗教観、法と倫理、スーフィズムについて詳細に検討した上で、ユナニ医学とイスラーム文化の関係を分析し、さらにアーユルヴェーダや中医学との比較を行った。それぞれの医学体系は、異なる哲学的背景を持ちながらも、「人間の健康はバランスによって維持される」という共通の視点を持っている。

ユナニ医学は、イスラーム文化によって高度に発展し、経験的な観察と実験による医療の発展を促進した。その一方で、アーユルヴェーダや中医学のように、より霊的・哲学的な視点を持つ医学も存在し、それぞれの医学体系が独自の方法で健康を維持するための知恵を提供してきた。

伝統医学は現代医学と対立するものではなく、むしろ補完的な役割を果たす可能性がある。今後もこれらの医学の研究と応用が進むことで、人類の健康に貢献する道が開かれることを期待したい。