第42回東方医学会「東方医学の精神文化と身体観」の感想 ~前向きな感情が芽生えた大会
去る2024年11月24日に行われた東方医学会学術大会に参加しました。私自身も学術発表の場をいただき発表しましたが他の先生方の発表も大変すばらしく非常に学びのある時間でした。大会は漢方医や鍼灸師だけでなく宗教家、日本舞踊の先生も参加され通常とは少し違った形でした。慈愛に満ちた素晴らしい学術大会であったと思います。以下私の感想を述べます。
近代化と伝統医学の問題
会頭講演でも「近代化に関する混乱とその問題」が挙げられていました。日本には明治維新の前まではなかった「概念」が入ってきたことで混乱が起きた事例が沢山あります。それが今も続いているものもあります。例えば、「個人」や「社会」という言葉は、明治時代以前は日本にありませんでした。(参考1)個人や社会という言葉を訳し、広めたのは福沢諭吉であると言われます。(諸説あり)これらの概念は江戸時代以前にはなかった、もしあったとしても現代人の我々が考えているものと違っていた可能性が高いことを意味します。日本人が人権や法の理解に弱いのはこれらの新しい概念を咀嚼できていないからではないかと指摘する法学者もいます。(参考2)
宗教に関しても同様です。私たちは宗教というとキリスト教や仏教等を思い浮かべますがその概念も当時の僧侶、島地黙雷が近代化に合わせて整理し生まれたものです。(参考3)医学分野でも1874年に制定された医制により、西洋医学に基づく医療体制が定着しました。この反動のような形で「東洋医学」という言葉が生まれたのですがそもそも言葉の定義や立ち位置が不明な上、西洋医学の反動という皮肉な宿命を背負っているのです。(参考4)この事が、現在漢方医学や鍼灸医学を学ぶ私たちの置かれている状況をややこしくしているといっても過言ではないでしょう。そもそも東洋医学という言葉は意味不明で、中国の人には意味が通じません。(参考5)ここに一つの矛盾があります。
それは東洋的な思想なのか?という疑問
また私は鍼灸を学んでいて「それは本当に東洋的な思想なのか?」と疑問に思うことが多々ありました。思想・哲学と現実的な医学の実践は乖離してしまうこともあるので仕方ない面もありますし、だからダメだと言いたいわけではなく腑に落ちないことが多かったのです。
例えば東洋哲学や禅の思想の根幹でもある「一如」や「不二」という概念は決して分けられるものではないことを意味します。(参考6)陰陽も完全に分かれることはありませんし太極図でもそれが表現されています。陰が極まれば陽になるだけです。しかしいまだに「西洋医学で解決できなかったものが東洋医学で解決できるのではないか?」、と考える方は一定数います。そのような二元論的発想や方法論に終始すること自体が東洋的でないと考えています。また中医学はさらに東洋的な発想ではない部分があると感じます。例えば中医学では弁証に基づいて患者の症状を把握し、陰陽、虚実、気血水、寒熱、表裏、五臓、六病位などの基本概念を適用して「証」を確定します。弁証論治は明確な答えを導きやすい強みがありガイドラインのようなもの、として考えればとても優れています。しかしこのシステマチックな思考法自体が東洋的な発想ではないように思うのです。学校教育で鍼灸師を養成し東洋医学概論を教えることも同様です。漢方製剤処方することも同様でしょう。効率的で優れた面が沢山ありますが、このような例は枚挙に暇がありません。
その上で、前向きな目標がもてた事
伝統医学をめぐる問題や矛盾はありますが、私はそれらを否定したいとは全く思いません。先人たちが築き上げてきた理論体系があるおかげで今、私たちは伝統医学に関わることが出来ています。そのことへ感謝する気持ちも強くなりました。もしもこのまま、伝統医学をめぐる状況が変わらず専門家や専門性が没落したとしても、社会から必要とされる鍼灸師でありたいと強く思うようになりました。もっと中医学を学んでみたい気持ちも強くなりました。今大会は自分にそのような前向きな感情が芽生えるきっかけになりました。
一方で矛盾や問題点は自覚すべきでしょう。それらを踏まえ現代において伝統医学に関わる我々は何をなすべきでしょうか?過去には鍼灸や漢方の科学化や共通言語化なども叫ばれましたが、私は「東洋医学という言葉をはじめとする、伝統医学の意味や定義の整理」が急務であると感じています。それらがないことには自分たちの持つ世界観や価値観をどのように共有していけばよいかも迷うことが多くなってしいます。中国や韓国のように国家主導で、それらが決まることは本邦においては難しいとも感じていますが個人、民間レベルでもできる事はたくさんあります。
そして多様化する価値観を持つ方が多い現代社会で、伝統医学の知見や手法を生かすには思想や手法を超えた超自我によるコミュニケーション・ケアの実践が必要ではないか?(参考7)と感じています。押しつけでなく、どのような世界観や価値観の人にも対応できるような「一如」であり「超自我」的な姿勢が治療者側に求められていると思います。その際に東洋的な思想や哲学は大いに役立つでしょう。以上のように様々なことを考えさせられ、自分の成長につながる学術大会でした。今後も日々の臨床に学習に励んでいきたいと感じます。日本東方医学会関係者のありがとうございました。心より感謝申し上げます。
参考
1,安部謹也「日本社会で生きるということ」朝日新聞社
2,川島武宜「日本人の法意識」岩波書店
3,山口輝臣 島地黙雷 「「政教分離」をもたらした僧侶」山川出版社
4,真柳誠「西洋医学と東洋医学」『しにか』8巻11号12-19、 83-85頁、1997年11月
5,東邦大学医療センター 大森病院 東洋医学科 三浦於菟 漢方医学と東洋医学はどう違うの -東洋医学の歴史-
6,鈴木大拙「東洋的な見方」角川ソフィア文庫