月: 2025年3月

    中医学はアブダクション推論的医学の最高傑作である ― 文脈を理解するAIとの協働に向けて ―

    1. はじめに:なぜ今「中医学 × アブダクション × AI」なのか?

    私たちはいま、思考のフレームが問い直される時代に生きています。AI、特にChatGPTのような大規模言語モデルの登場により、「推論とは何か」「診断とは何か」という問いが、医療の実践者にとっても他人事ではなくなりました。(参考1) AIは圧倒的なデータ処理能力を持ち、既存の医療知識を高速で検索・整合できます。しかし、AIはベテランの医師や看護師、鍼灸師が経験する「言葉では説明できないが、なぜか違和感を感じること」や「個別の文脈から仮説を立てること」が苦手でしょう。そこにこそ、人間の推論、特にアブダクション(仮説的推論)の余地があると考えます。本稿では、中医学(Traditional Chinese Medicine)が持つユニークな知の構造、すなわち、個々の症状を物語として読み解き、文脈から治療仮説を導くというアブダクション的推論に注目します。中医学は、西洋医学のような統計的・機械的な演繹法や帰納法とは異なり、「直感的」「詩的」「語り的」な診断方法を採用してきました。その姿勢は、単に非科学的なのではなく、「異なる論理体系」に基づいた思考の枠組みなのです。(参考2) そして近年、この中医学的なアプローチがAI研究の一部で注目され始めています。たとえば、中国で開発されたABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)というフレームワークでは、中医学の診断過程にアブダクションを導入し、文脈的な誤認(ラベルのズレ)を修正する試みが行われています。(参考3) つまり、「中医学 × アブダクション × AI」の組み合わせは、もはや奇抜なアイデアではなく、現代的かつ実践的な問いなのです。本稿ではこの視点から、以下の問いに答えていきます。

    ・アブダクションとはどのような思考か?

    ・なぜ中医学と親和性が高いのか?

    ・それをAIにどう実装すればいいのか?

    ・私たち人間がAIとどう共に思考できるのか?

    このレビューが、現場で違和感を覚えながら診療を続けている臨床家、そして文脈を理解できるAIを模索している研究者たちにとって、新たなフレームワークとして、思索と実践の架け橋になることを願っています。

    2.臨床推論の多様性とアブダクションの位置づけ

    臨床推論とは、医療従事者が患者の訴えや身体所見、検査結果などの情報をもとに、診断や治療方針を導き出す思考プロセスを指します。現代医学においても中医学においても、それぞれ独自の臨床推論体系が存在しています。現代医学では、19世紀後半から20世紀初頭にかけて病理学・解剖学・生理学といった基礎医学の発展とともに、診断の正確性を高めるための科学的な思考フレームが求められるようになりました。そして1990年代以降、エビデンスに基づく医療(EBM: Evidence-Based Medicine)の普及によって、医療者には科学的根拠に裏付けられた臨床推論スキルがより強く求められるようになったのです。EBMは、1990年代以降の臨床判断の標準化に大きな役割を果たしてきましたが、Djulbegovic & Guyatt(参考4)は、その25周年の回顧において「患者中心の意思決定」を十分に実現できていないという課題を明示しています。こうした限界は、文脈・価値・意味といった「非数値的」要素を排除してきた構造に起因するものであり、次の臨床知のフェーズには、より包括的な推論枠組みが求められます。中医学的アブダクションは、このような再構成のための知的資源として位置づけられるでしょう。このような背景のもとで、以下に代表的な臨床推論の枠組みを整理し、アブダクションの位置づけとその意義について明らかにしていきます。

    仮説演繹法(Hypothetico-Deductive Method)

    ある仮説を立て、それを検査や診察によって検証する手法です。論理的・体系的であり、EBMとの相性がよく、現代医学で広く採用されています。ただし、検証にはデータや検査が必要なため、鍼灸などの現場では活用が難しいこともあります。さらに即時の診断が求められる場面では、時間的制約から用いにくいです。こうした推論形式は、長年にわたって多くの臨床教育研究の主題となってきました。とりわけNorman(参考5)は、仮説演繹法、直感的診断、知識構造と記憶の関係に関する研究の流れを三つの系譜に整理し、専門性とは単なる推論スキルではなく、文脈ごとに可変的な知識表象の運用能力に依拠していることを明らかにしています。

    帰納法(Inductive Reasoning)

    複数の症例から共通項を抽出し、一般的な傾向やルールを導き出す手法です。臨床研究やガイドライン作成における統計的エビデンスの基盤となります。しかし、個別の患者の文脈や意味を捉えることには限界があり、標準化はできても柔軟性に欠けるという特徴があります。こうした帰納的推論の限界は、環境や状況との相互作用を重視する状況性理論の立場からも明らかです。Durning & Artino(参考6)は、知識や思考は文脈から切り離して扱うことはできず、経験・環境・社会的関係性に埋め込まれたかたちで意味づけられると論じています。こうした視点は、個別患者の文脈を重視し、もっともらしい仮説を生成するアブダクション的思考への橋渡しとしても有効です。

    アブダクション(Abduction / 仮説生成的推論)

    観察された現象を最もよく説明する「もっともらしい仮説」を導く思考法です。「違和感」や「矛盾」を手がかりに、文脈的かつ物語的に症状を解釈し、診断仮説を立てる方法です。中医学における弁証論治との親和性が極めて高く、直感的診断と仮説演繹法の中間に位置する柔軟な思考形式です。一方で、実証性や再現性に乏しいという課題もあります。Magnani(参考7)は、アブダクションを「身体と環境の相互作用を通じた意味の仮構成」として捉え、人間の推論は論理的演算というよりも、状況に埋め込まれた意味生成のプロセスであることを示しています。また、Basso & Petrilli(参考8)は、診断行為は徴候を解釈する記号学的な実践であり、そこには常に倫理的判断が伴うと論じ、診断とは意味と関係性を扱う行為であると主張します。Thagard(参考9)もまた、推論とは単なる記号操作ではなく、因果理解や動機、文脈の統合を必要とする「説明モデルの構築」であると述べており、こうした観点は中医学的推論の複雑さとよく対応しています。

    また以下は、特定の場面で有効に機能するが、あまり一般的ではない診断スタイルです。

    直感的診断法(Pattern Recognition / Intuitive Diagnosis)

    豊富な臨床経験に基づき、症例を瞬時に見抜く方法です。救急医療など迅速な判断が求められる場面で有効ですが、誤診のリスクやバイアスの介入が避けられず、経験の浅い臨床家には再現性が乏しいです。

    徹底検討法(Exhaustive Method)

    考え得る全ての疾患を列挙し、可能性を一つずつ検討していく方法です。多疾患併存の高齢者など複雑な症例には有効ですが、時間と労力を要し、臨床現場では非現実的なことも多いです。

    アルゴリズム法(Algorithmic Method)

    診断プロトコルに沿って標準化された判断を行う手法です。一定の質を担保しやすいが、個別の文脈への柔軟な対応が難しく、プロトコル外の症例には対応しきれません。

    このように、臨床推論には多様な枠組みが存在しており、それぞれに長所と短所があります。本章では主に現代医学における推論スタイルを整理しましたが、アブダクションはその中でも「文脈を理解し、仮説を立てて、修正しながら思考する」という点で注目すべき思考法です。次章では、こうしたアブダクション的推論が、中医学の診断・治療体系、特に弁証論治といかに深く共鳴しているのかを具体的に検討していきます。

    3. なぜ中医学はアブダクション的なのか?

    アブダクション(Abduction)という思考様式は、19世紀末の哲学者チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)によって提唱されました。彼は、観察された現象を説明するために「もっともらしい仮説(the most plausible hypothesis)」を導く推論法として、アブダクションを演繹(deduction)・帰納(induction)に並ぶ第三の推論形式と位置づけました。現代においては、アブダクションは単なる論理形式ではなく、創造的で文脈的な知的実践として再評価されています。Josephson & Josephson(参考10)は、アブダクションを「知的意思決定の基本構造」として捉え、AIや臨床推論における仮説生成の中核に位置づけています。またMagnani(参考11-1)は、アブダクションを「モデルベースの思考」として定義し、観察と理論のあいだをつなぐ「意味と構造の仮説形成プロセス」であると論じています。さらにMagnaniは、アブダクション的推論は人間特有の知的能力ではなく、動物にも観察される基本的な認知戦略であることを強調している。たとえば、野生動物が足音を聞いて危険を察知したり、逆に飼育された犬が人間の足音に餌を期待して尻尾を振るような反応は、それぞれの動物が生きる世界観(優しい世界か、厳しい自然か)に応じた、文脈的な仮説生成(アブダクション)と考えることができます。このような観点からすると、中医学が自然界の変化や患者の生活環境をふまえて、個々の状態に応じた治療仮説(証)を構築する構造は、きわめてアブダクション的であり、かつ自然に根ざした認知の形式であるといえるのです。中医学における「弁証論治」は、単なる古代知の継承や経験的知見の積み重ねではなく、自然観に基づく意味構築と仮説生成の思考枠組みとして捉えることができます。自然に対する理解を前提に、「いまここで何が起きているのか?」を診断し、そこからもっとも適切な治療方針(治法)を導き出すこの体系は、中医学が本質的にアブダクション的であることを示唆しています。

    3.1 弁証論治とは何か?伝統と再構成の交差点

    弁証論治とは、観察された症状や所見(証)をもとに、全体像を統合し、意味づけを行い、それに対応する治療法(治)を導き出すプロセスです。ここでは「病名」よりも「状態(パターン)」を重視し、治療はパターンごとに柔軟に対応されます。これは固定的なマニュアルではなく、仮説的な臨床的思考を含んだ動的な診断枠組みです。この弁証論治が確立された背景には、20世紀の中国近現代史があります。1949年に中華人民共和国が成立したのち、中国政府は現代医学を導入・推進しながらも、「伝統医学を完全に排除する」のではなく、「中西医結合(中西合作)」という戦略的方針を掲げました。その方針のもとで、中医学は国家主導のかたちで理論的再編が行われ、弁証論治はその中核的構造として整備されました(参考12)。この過程は、古典的知の温存ではなく、国家による「知の制度化と近代化」とも言えるものであり、弁証論治は伝統と近代の交差点で形成された新たな診断モデルとなりました。この診断モデルは、「症状の列挙 → 病名の確定」といった現代医学的なプロセスとは異なり、複数の症状や背景情報をひとつの意味に束ね、そこから治療仮説を導くという構造を持っています。このような意味づけのプロセスはまさに、アブダクション、すなわち「もっともらしい仮説を生成し、再評価していく推論法」と構造的に一致しています(参考11-2)。

    3.2 弁証論治とアブダクションの共通構造

    アブダクションは、「説明のつかない現象」や「直感的な違和感」から出発し、それを最も合理的に説明する仮説を立てる推論法です。この仮説は演繹や帰納のように確定されたものではなく、常に仮の物語として修正可能であることが特徴です。弁証論治の診療プロセスも、まさにこのアブダクションのサイクルと一致しています。

    1. 観察:症状や舌診、脈診、語りなどから得られる情報を収集

    2. 仮説形成:それらの情報を文脈化し、もっともらしい「証(パターン)」を導出

    3. 介入(治法):仮説に基づいた治療方針を決定

    4. 再評価:治療結果を観察し、仮説を修正/再構築する

    このように、弁証論治は固定的な病名に依存するのではなく、常に文脈に即した柔軟な仮説形成と再評価のサイクルを繰り返す診断モデルです。さらに重要なのは、中医学における情報の扱い自体がアブダクション的であるという点にあります。得られた情報(症状、舌や脈の状態、顔色、患者の語りなど)をただ集めるのではなく、それを意味づけ、仮説化し、文脈に配置するという一連のプロセスがすでに推論を伴っているのです。つまり中医学では、診断の前段階である「観察」すらも、客観的な記録ではなく、文脈と意味のフィルターを通した「認知的行為」なのです。これは、ナラティブ・メディスンが提唱する「診療とは物語の構築である」という視点(参考13)とも重なります。中医学において、観察→意味づけ→仮説形成→修正というプロセス全体がアブダクション的なサイクルであることから、それはまさに思考と感覚が融合した仮説生成的医学であると言えます。

    3.3 診断は「物語」である。「肝気鬱結」という仮説。

    たとえば、ある患者が以下のような症状を訴えるとします。

    • 抑うつ傾向

    • 食欲不振

    • 胸のつかえ

    • 生理不順

    これらは一見、バラバラの症状です。しかし中医学では、「肝気鬱結」という仮説的診断が立てられることで、それらがひとつの意味を持つ物語へと再構成されるのです。このとき診断は、単なる記述や分類ではなく、「この人の今の状態を、どのように理解するか」という意味生成(narrative integration)のプロセスとして働いています。この意味づけの行為こそが、まさにアブダクションの核です。診断とは、症状の奥にある「目に見えない構造(気の滞り、五臓の失調など)」を仮定することで、バラバラの事象に物語的整合性を与える行為なのです。こうした診断は、施術者の「見立て」と、患者の語る「物語」を結びつける仮説形成であり、臨床におけるアブダクションの実践です(参考12)。伝統医学の多くがこのような構造を持つが、中医学が特にユニークなのは、この仮説的診断体系を「共通言語」として体系化し、国家レベルで標準化した点にあります。「肝気鬱結」「痰湿中阻」「心脾両虚」などの証は、いずれもアブダクション的仮説でありながら、文化的・制度的に共有可能なコードとして整備されています。これは単なる主観的直感ではなく、文化的に制度化されたアブダクションの枠組みです。こうした知の構造は、他の伝統医学には見られません。この意味で中医学は、アブダクティブ・メディスンの体系化に最も成功した事例、すなわちアブダクション医学の最高傑作であるとすら言えるのです。

    3.4 中医学における知の特徴。直感・詩性・身体知。

    中医学の診断と治療は、数値や画像に基づくものではなく、身体の微細な兆候や感覚、語りのニュアンス、文脈の空気感などを読み取ることから始まります。脈診や舌診、顔色、声の質、体臭、歩き方、感情の抑揚などすべてが意味ある情報として扱われます。これらの観察は、施術者の経験・身体知・直感によって意味づけされ、統合され、仮説として読み解かれます。つまり、中医学では情報の収集段階からすでにアブダクション的な推論が始まっているのです。たとえば脈診においても、単なる脈拍数やリズムを測定するのではなく、「沈んでいる」「滑っている」「緊張している」といった詩的で比喩的な表現を通じて、身体の状態全体を感覚的に把握します。こうした知のスタイルは、演繹法や帰納法では扱いにくいものですが、文脈のなかで違和感をとらえ、そこからもっとも妥当な意味を仮説として立てるというアブダクションにおいては、中心的な役割を果たします。また、こうした感覚的・詩的・文脈的な観察を共通言語化してきた歴史的努力(=制度化された弁証論治)があるからこそ、中医学は単なる経験医学にとどまらず、高度な推論体系として成立しているのです。すなわち、中医学とは「推論的思考」以前に、「推論的な観察」を行っている医学であり、その診療スタイルは「感じること」と「解釈すること」が分かちがたく結びついています。

    3.5 科学ではなく、もう一つの知の形式として

    中医学は、現代医学のように自然科学的な因果論や再現性の原則を前提とした知の体系ではありません。治療効果の機序を分子レベルで説明することも難しく、証明可能性や客観性の観点からは、しばしば「非科学的」と評されることもあります。しかし、ここで言う科学とは、自然科学的実証主義に基づいた知識の形式を指しており、人間の営みにおける知のあり方は、それだけに限られるものではありません。中医学が重視しているのは、「その人のからだと語りに、どれだけ腑に落ちる意味を与えられるか」ということです。つまり、普遍的な法則の発見ではなく、個別の文脈における整合性=物語的納得感を追求する知の体系なのです。このような意味構築は、まさにアブダクションの本質です。アブダクションは、既知のルールに従うのではなく、「いま目の前で起きている現象を、もっとも納得できるかたちで仮説化する」プロセスであり、その仮説は常に修正可能で、治療の経過によって何度も組み直されていきます。Flyvbjerg(参考14)は、このような「実践的合理性(phronesis)」を重視し、文脈・倫理・実践に根ざした判断こそが、知の核心であると主張します。中医学の診療とは、まさにこのような動的で文脈依存的な推論の連続であり、そこにこそ自然科学とは異なる合理性が存在しています。そしてそれは、非科学的なのではなく、自然科学と並ぶもう一つの知の形式であり、文脈的・詩的・意味構築的な合理性が生み出す、「実践的・臨床的・哲学的な医学」なのです。

    4. ABL-TCM、中国の先端研究が示したこと

    4.1 ABL-TCMとは何か?

    中医学がアブダクション的な知の体系であるという主張は、けっして筆者の主観や比喩的な例えにとどまりません。実際に、中国の人工知能研究の最前線では、中医学にアブダクションのフレームワークを適用し、診断プロセスをAIに実装するという試みが始まっています。その代表例が、「ABL-TCM(Abductive Learning Framework for Traditional Chinese Medicine)」(参考3)です。この研究は、清華大学と浙江大学の研究者たちによって提案され、中医学の診断における文脈に基づいた仮説形成のプロセスを、アブダクションとして機械学習に導入するという革新的な試みです。ABL(Abductive Learning)とは、ラベルの曖昧性や文脈依存性の高い問題に対して、「もっともらしい仮説」を動的に生成・修正しながら学習するAIフレームワークのことです。ABL-TCMでは、たとえば複数の症状と診断ラベル(証)が一致しないケースにおいて、もっとも妥当な仮説的診断をAI自身が補完・修正することができます。従来の機械学習では、「データのラベルが正しいこと」が前提とされていました。しかし中医学のように、診断が状況や文脈、臨床家の判断に依存するケースでは、同じ症状でも異なる「証」が立てられるという現象が起きます。ABL-TCMは、まさにこの「揺らぎ」や「ズレ」こそを前提に、AIが自律的に仮説を生成・修正していく構造を実現しています。このような構造は、単なる診断支援の自動化ではなく、文脈的意味理解と仮説的推論のサイクルそのものをAIに実装する試みであり、中医学とアブダクション、そしてAIをつなぐ架け橋となる可能性を秘めています。もっとも、現時点のABL-TCMは、あくまで「症状と証の言語データ(すなわち文章)」をもとにした推論構造の模倣にとどまっています。実際の中医学診療では、舌や脈の状態、顔色、語りの抑揚といった非言語的な身体情報が大きな役割を果たしており、それらを含んだ「全身的アブダクション」までは、まだ実装されていません。

    一方で、近年の研究では、舌診に関するディープラーニング技術の進展がめざましく、非言語的情報の一部はAIで取り扱える段階に達しつつあります。たとえば、Xian et al.(参考15)は、舌画像の品質評価を可能にするマルチタスク深層学習モデルを提案し、診断精度の向上に寄与する舌画像セグメンテーション技術を確立しました。また、Jiang et al.(参考16)は、ディープラーニングによって舌の形状・特徴を複数分類し、健康診断受診者における生活習慣病との関連を可視化する研究を行っています。これらの研究は、ABL-TCMの今後の発展において、非言語的・身体的情報を含んだ仮説生成の統合を可能にするものであり、特に「舌→証→疾患」という連関を補助する技術基盤として極めて有望です。

    また、ヘルスコミュニケーション領域では、患者と医師の語りをAIが構造化し、「相互に納得可能な意思決定」を支援するCoDeL(Collaborative Decision Description Language)という枠組みも登場しており、語りの文脈的統合がAIで再現される未来も見えてきています(参考17)。

    このように、ABL-TCM・舌診AI・語りの構造化AIが融合すれば、「症状」「身体所見」「語り」のすべてを意味と文脈のなかで統合的に扱えるAI中医学モデルの実現が見えてくるのです。

    4.2 ラベルのズレとアブダクション

    ABL-TCMの革新性は、「ラベルのズレ(label mismatch)」という問題に正面から向き合った点にあります。中医学の診療現場では、同じような症状に対して異なる「証(パターン)」が立てられることがあり、これは弁証論治における仮説形成が、患者の語りや全身状態、生活背景、そして施術者の経験的直感に強く依存しているためで、あらかじめ一義的にラベルづけされた「正解」があるわけではないからです。従来のAIや機械学習では、訓練データのラベルが正しいという前提に基づいて学習が進められてきました。しかしABL-TCMはむしろ、「正解ラベルの側が間違っている可能性がある」ことを想定し、症状の記述だけでなく、その背景にある語りの流れや生活状況といった文脈的情報も含めて、ラベルそのものを再解釈・修正するという枠組みを採用しています。このような「弱教師あり学習(weakly supervised learning)」のアプローチは、Zhou(参考18)によって理論的に整理されており、現実世界のAI応用において「理想的な正解ラベルは存在しない」という視座を前提とすることで、実装上の限界を乗り越える試みとなっています。この仕組みは、単なるエラー訂正ではなく、「仮説の立て直しによって現象の意味を再構築する」という、アブダクション的推論そのものの再現です。Josephson & Josephson(参考10)は、アブダクションを「ラベルや観察の再構成を通じて意味を生成する知的行為」として定義し、それが人間の認知と判断の基本構造であることを指摘しています。また、Lipton(参考19)は「機械学習における説明可能性」という概念の神話性を批判的に整理し、「なぜこの判断がなされたのか?」という問いが実は多くの文脈的仮定に支えられていることを明らかにしています。これはABL-TCMが実現しようとしている「文脈的整合性としての違和感補正」という構造と深く通底します。たとえば、ある症例に「心火上炎」という証が付与されていても、実際の症状や語りのニュアンス、生活背景を見ていく中で、臨床家の直感が「これはむしろ肝鬱気滞の変化では?」と違和感を抱くような場面があります。ABL-TCMは、そのような言葉にしづらい違和感を、文脈のデータ的整合性として定式化し、AIに学ばせる構造を備えています。中医学における弁証論治のダイナミズムを、機械的に模倣するための重要な鍵が、まさにここにあるのです。ただし繰り返しになるが、ABL-TCMはあくまで構造化された言語データ(文章)を扱うものであり、臨床現場における非言語的情報や、施術者の身体知、語りの抑揚といった要素までは、まだ反映されていません。それゆえ本モデルは、現時点ではあくまで「中医学的アブダクションをAIが模倣できる可能性」を示した段階であり、今後のさらなる拡張と実践的応用が期待される技術基盤なのです。

    4.3 直感との一致に納得した、現場感覚とAI

    ABL-TCMの研究に初めて触れたとき、筆者は強い驚きを感じたわけではありませんでした。むしろ、「ああ、やっぱりそういうことだったのか」と、妙にしっくりくる感覚を覚えたのです。それは、臨床で日々経験している「なんとなくの違和感」や「この証の方が合いそうだ」という感触が、アブダクションという名前のついた推論モデルとして、AIの中に実装されつつあるという事実への納得でした。臨床の現場では、症状そのものよりも、それがどのように語られ、どう全体とつながるかが重視されます。患者の訴えが、教科書的には「心火上炎」に分類されるものであっても、語りのテンポや生活背景、顔色、舌や脈の印象といった情報を総合して、「いや、これは肝鬱気滞のほうがしっくりくるな」と判断を変えることは珍しくありません。ABL-TCMの「ラベルのズレを修正する」仕組みは、まさにこのような違和感の発見と、もっともらしい仮説への調整という、臨床的に自然なプロセスを再構成しようとするものです。人間が経験や身体知に基づいて行っていることを、AIが「文脈的整合性」という形で模倣しようとしているのです。この一致感は、AIの限界と可能性の両方を示しています。現場で「身体的に感じること」の価値をあらためて確認させてくれると同時に、「私たちが普段から行っている思考は、案外理論的で構造化可能なものでもあるのかもしれない」と気づかせてくれます。ABL-TCMは、人間のアブダクティブな直感を代替する技術ではありません。むしろそれは、直感の構造を見える化し、補助・反映しうる技術の可能性を開いたという点で、中医学とAIが出会う一つのリアルな接点を提示しているのです。

    5. 中医学 × AI、その未来と課題

    ABL-TCMのような取り組みは、たしかに中医学とAIの融合における先駆的な成果であるといえます。しかし、これを「中医学のAI化の完成形」と捉えるのは早計です。というのも、中医学は単なる知識体系ではなく、ある種の世界観(cosmology)や価値観を内包した「思想としての医学」だからです。AIに中医学を「教える」ことは、ある程度可能かもしれません。しかしそれは、あくまで言語化された記述や構造化された情報の範囲にとどまるでしょう。実際の臨床現場では、施術者が身体で感じ取っている違和感や、語りのリズムの微妙なズレをどう捉えるかといった、身体的・詩的・解釈的な知の層が多分に含まれています。つまり、AIに中医学を教えるには、単に証候パターンを学習させるだけでは不十分であり、中医学が前提としている宇宙観(人間は天地自然と連動する存在である)や、診療を通して生まれる意味生成のプロセスまで含めて設計する必要があるのです。このとき鍵となるのは、「内的違和感」をAIにどう検知させるか、という問題です。ここで言う「内的違和感」とは、医師や看護師、鍼灸師であれば誰もが現場で感じたことのある、「言語化できないが、なにかおかしい」という感覚のことを指します。検査値や問診情報が一見整っていても、語りのテンポや表情、脈や舌の印象などをふまえると、「この診断では腑に落ちない」「別の仮説を立てたくなる」といった感覚が芽生えることがあります。それは、論理的に導き出された結論というよりも、全体としての整合性を身体感覚で見抜くような知覚であり、まさにアブダクションのトリガーとなる直観的知といえるでしょう。現状のAIは、あくまでデータの整合性や確率的傾向に基づいて判断を行いますが、中医学が重視しているのは「その人の状態として、本当に納得できるか?」という物語的・身体的な整合性です。AIにこうした“違和感の検知”や“意味の再調整”を可能にするには、推論モデルそのものの設計思想を見直す必要があるでしょう。その意味で、今、私たちが問うべきなのは「AIに中医学をどう教えるか」ではなく、「AIとどのように協働しながら、感じられる知を再構築できるか」なのです。中医学は、論理や統計では捉えきれないものを扱うからこそ、AIの力を借りて見える化し、対話可能にするためのフィールドでもあります。未来のAIは、中医学を単に再現するのではなく、中医学的な思考を支援する語りの伴走者となることが求められるのかもしれません。

    6. 提案、中医学的AI診断支援フレームとは?

    中医学とアブダクション、そしてAIが交わる地点において必要とされるのは、単なる「診断アルゴリズム」ではなく、意味を立ち上げる認知的プロセスそのものの支援です。そこで本章では、筆者が提案する「中医学的AI診断支援フレーム」の構想を示します。このフレームは、中医学の診療における認知の多層構造をモデル化し、AIによる推論を「知識」ではなく「意味と仮説の構築」に根ざしたものとして再設計しようとする試みです。本モデルは、以下のような認知の4層構造を基本とします。

    ① 世界観(Cosmology)

    人間とはどのような存在であり、身体とは何を表すものなのか。ここでは「天人合一」「気血津液」「五行」など、中医学独自の世界理解が前提となります。診断や治療はこの世界観の枠組みの中で行われ、単なる臓器や数値ではなく、「気の流れ」や「陰陽のバランス」として現象が捉えられます。またこの層には、「今この社会において、何が大切とされ、どう生きるべきか」といった時代的・文化的な雰囲気(世論や価値観)も含まれます。たとえば「ストレス」や「冷え」といった語りは、単に個人の身体の状態ではなく、現代社会の空気感とともに立ち上がる意味の一部です。こうした生きられた世界の全体感が、診断や治療の土台を形づくっているのです(参考20)。この構造をより直感的に理解するために、野良犬と飼い犬の例を挙げてみましょう。たとえば、人間の足音が聞こえたとき、野良犬は「危険かもしれない」と警戒して距離を取るのに対し、飼い犬は「ごはんをもらえるかも」と思ってしっぽを振って近づいてくることがあります。同じ刺激を受け取っていても、どのような世界に生きているか(=世界観)によって、その解釈と反応はまったく異なるのです。人間の歴史においても同様です。たとえば、織田信長の「人間五十年」的な世界観は、命をかけて戦い抜くことが称賛された戦国時代の価値観に根ざしており、「太く短く生きる」ことが武士の美学でした(*1)。一方、貝原益軒が「養生訓」で説いたような「慎ましく、長く生きる」思想は、戦乱の収束後に平和を享受することが可能になった江戸時代の市民社会において求められたものであり、節制や我慢といった行動が美徳とされる時代背景に支えられていました(参考21)。つまり、「健康とは何か」「どう生きるべきか」という問いの答えすらも、時代や文化という世界観に応じて変化しているのです。したがって、もしAIが中医学的診断支援を担うのであれば、医療機関や施術者の価値観、すなわち「何を大事にするか」という理念も同時に共有・認識する必要があります。たとえば、同じ症状に対しても、「延命」を重視する医療機関と、「生活の質」や「自然な看取り」を尊重する施設では、導かれる仮説や治療戦略が異なるからです(参考22)。それに加えて、社会の価値観や道徳観の影響も検討する必要があります。AIが人間と共に思考するためには、こうした診断の前提としての価値体系も、アルゴリズムにおける設計要素として検討されるべきでしょう。AIに倫理を「組み込む」という作業は、単なるルールの設定ではなく、「価値そのものを設計に反映させる」プロセスにほかなりません(参考23)。このような多層的な世界観の構造は、中医学に特有のものではなく、東洋思想全般に共通する認識構造と見なすこともできます。とくに、仏教の縁起思想や阿頼耶識(アラヤ識)に代表される階層的な認識論との親和性は注目に値します。現象の認識、意味づけ、行為の選択という構造が相互に連関し、「世界をどう捉えるか」と「どのように生きるか」が不可分に結びついている点で、仏教と中医学は共通の思想的基盤を有していると考えることができます。(*2)

    *1 「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は、織田信長が舞ったとされる幸若舞『敦盛』の一節であり、戦国武士の世界観(命は儚く、戦ってこそ生きる価値がある)を象徴する言葉とされます。この思想は、現代の「健康」や「長寿」といった価値観とは対照的であり、当時の文化的文脈を反映した一種の生存戦略でもありました。

    *2 仏教の縁起(pratītya-samutpāda)は、すべての現象が他との関係性において成立するという原理であり、中医学の「気」「陰陽」「五行」などの動的相関モデルとも深く通じ合います。またアラヤ識(阿頼耶識)という深層的な認識層の考え方は、中医学における無意識的・身体的な感受や調和の感覚とも対比可能です。このように、東洋的実践知には階層構造的な世界観が内在していると考えられます。

    ② 現象学的経験(Phenomenology)

    患者が経験していること、そして臨床家が「感じとっていること」。これは舌・脈・表情・語り・姿勢・空気感など、定量化されにくいが、診断に大きな影響を与える層のことです。いわば「症状がどのように現れているか」という主観的・身体的な認識であり、現象学の創始者フッサールが述べたように、解釈や理論に先立ち、現象がどのように与えられているか、に注意を向ける姿勢が求められます(参考24)。中医学の診察でも、舌や脈の状態をありのままに感じ取ることから診断が始まります。このような現象の受け取り方は、定量的データ処理では捉えきれない、人間の感覚に根ざした知覚の層です。

    こうした構造は、音楽の世界にも通じます。たとえばCDやハイレゾのようなデジタル音源は、理論上は音を正確に再現できるはずであるにも関わらず、「レコードの方が温かみがある」と感じられることがあります。その一因とされるのが、耳に聞こえない高周波のカットや、レコード再生時のノイズであるとされています。珈琲やハーブもまた、雑味がある方がよりおいしく感じられ、より効果的であるといった経験則があります。つまり、一見「無駄」とされていた要素こそが、体験のリアルさを支えていたという逆説があるのです。中医学においても、再現性の高い知識体系や明快な診断コードの整備が進められている一方で、こうした雑味や余白の部分をどう扱うかが、今後のAI応用における核心課題となるでしょう。AIが現象を感じ取り、意味を構築しようとするならば、この非構造的・非数値的な情報をどう読み取らせるかという設計思想が不可欠なのです(参考25)。

    ③ 意味づけ(Interpretation)

    現象を「証」というかたちでパターン化し、物語として解釈する段階です。ここでは、複数の症状や所見がひとつの「意味ある構造」として再構成されます。この再構成プロセスは、固定的な分類ではなく、文脈と仮説に基づく動的な意味生成であり、アブダクション的です。ここで重要なのは、意味とはあらかじめ与えられているものではなく、解釈を通して生成されるものであるという点です。解釈学(hermeneutics)の立場からすれば、診断とは、語りや身体所見に対して臨床家が仮説的に意味を投げ返し、再解釈を重ねていく対話的行為といえます。中医学の弁証論治もまた、症状というテクストを読み解く動的なプロセスなのです(参考26)。

    なお、意味づけという行為においては、しばしば診療者自身のバイアス、たとえば専門性への過信、経験則への依存、社会的地位への自己同一化などが作用し、解釈の幅や方向性を狭めるリスクがあります。AIには自己評価や序列意識といった人間特有の価値付け構造が存在しないため、特定の意味や分類に過剰に引っ張られることなく、より中立的な仮説の生成が可能となります。これは、あらかじめ与えられた意味を超えて新たなパターンを見出す中医学的な弁証論治において、特に有効であると考えられます。人間の意味づけを支援・補完する思考補助装置としてのAIの可能性は、今後さらに検討を要するテーマでしょう(参考27)。

    ④ 推論(Abduction)

    アブダクションとは、観察された事象に対して「もっともらしい仮説」を立て、状況に応じて修正・洗練していく思考法です。演繹や帰納とは異なり、限られた情報の中から仮の説明を導き出すところから出発する推論様式であり、医療においては、断片的な症状情報から全体的な診断仮説を構築していくプロセスに相当します。とりわけ中医学の「弁証論治」は、まさにこのアブダクション的思考に基づいています。観察→証立て→治法の選定→再評価という診療サイクルは、患者の経過や反応をフィードバックとして受け取りつつ、仮説を微調整し続けるという点で、帰納法的でも演繹法的でもない第三の知的営みと言えるでしょう(参考10)。

    このような思考構造において重要となるのは、「違和感の検知」です。臨床においては、教科書的なパターンに合致しない症例、あるいは患者の語りや反応に含まれる微細なずれが、アブダクションの出発点になります。すなわち、診断や治療の方針を更新する「きっかけ」としての違和感は、人間の注意深い観察と意味づけの連鎖から生まれるのです。AIがこのような推論の補助を行うには、単なる分類や予測アルゴリズムでは不十分です。たとえば、中医学的診断における「証(しょう)」の構築にあたっては、数値データや所見だけでなく、語りの含意や症状間の意味的ネットワークが重要になります。AIがこの構造にアクセスするためには、従来のモデルとは異なる、非線形かつ動的な仮説構築の能力が求められるのです。実際、近年のAI研究においても、「アブダクション型推論」や「因果発見」の分野は注目されており、従来のパターンマッチングにとどまらない推論能力の実装が試みられています。とくに注目されているのが、Huang et al.(参考28)によるサーベイ論文であり、演繹・帰納だけでなくアブダクション推論をLarge Language Models(LLMs)で実現するための方法論を分類・整理した点で高く評価されています。同論文は、アブダクションを「観察された事実に対して最良の説明を与える仮説を構築する推論」と定義し、これは中医学における証の構築や弁証論治のサイクルに非常に近い枠組みであることが示唆されます。とりわけ、仮説的診断とその再評価を繰り返す思考様式が、AIによる医療支援においても人間の直感的・詩的思考に近づく手段として有望視されています。それは単なるデータ解析にとどまらず、『臨床哲学的知のモデル化(philosophical modeling of clinical reasoning)』へと昇華する可能性を秘めているのです。

    7.問いを設計するという人間の役割——AIとアブダクションの実証実験から見えてきたもの

    これまで本稿では、中医学における診断推論の構造を「世界観」「現象学的経験」「意味づけ」「アブダクション(仮説的推論)」という四層モデルとして整理し、AIがこのモデルにどのように接続可能かを考察してきました。本章では、この理論的枠組みに対して簡易的な実証試験を行い、AIにおける推論の限界と可能性を検討いたします。具体的には、価値観と文脈を事前に設定したプロンプトをAIに与えることで、その出力(推論の質)がどのように変化するかを観察しました。

    実験の背景と設計意図

    近年、「AIは推論できない」「文脈を理解できない」といった主張がなされています。これはある意味では正しいものの、同時に一部誤解を含んでいるとも言えます。問題は、AIの能力そのものというよりも、「どのような文脈で」「どのような問いを与えるか」によって出力が大きく変化するという点にあります。つまり、問いの設計、あるいは世界観と価値体系の提示が不十分であれば、AIは浅い答えしか返せないのです。本実験の目的は、モデル間の性能比較ではなく、問いの質がAIの出力にどの程度影響を与えるかを構造的に確認することにあります。その意味で本研究は、推論の深さにおける人間の役割――すなわち「問いの設計」という営みの重要性を、実証的に捉える試みです。本実験は2025年4月17日(木曜日)、日本時間の午後1時から午後3時にかけて実施いたしました。使用した大規模言語モデルは、GPT-4(ChatGPT)、Gemini 2.0 Flash、およびGrok-1の3種です。GPT-4およびGeminiは午後1時から2時にかけて、Grok-1は午後2時から3時にかけて実行いたしました。いずれも公式のWebアプリケーション環境を用いて操作し、出力に影響を与える温度(temperature)などのハイパーパラメータはすべてデフォルト設定のまま実施いたしました。

    Methods(方法)

    本研究では、大規模言語モデル(large language models: LLMs)に対して、倫理的ジレンマを扱うプロンプトを文脈条件ごとに提示し、出力される推論内容の違いを観察・比較いたしました。使用したモデルはGPT-4(OpenAI社)、Gemini 2.0 Flash(Google社)、Grok-1(xAI社)の3種です。実験は2025年4月17日(木曜日)、日本時間の13時〜15時にかけて行いました。GPT-4およびGemini 2.0 Flashは13時〜14時、Grok-1は14時〜15時の時間帯にそれぞれ公式Webアプリケーションを通じて使用し、温度(temperature)などのハイパーパラメータは全モデルともデフォルト設定といたしました。

    各モデルに対して、以下の基本状況を導入部として共通提示しました:「あなたは人々を守るために警察官になりました。しかし、警察組織内では隠蔽や捏造が行われており、その結果、冤罪で服役している人がいます。」

    この基本状況に対し、以下の3種類のプロンプトを設計し、各モデルに同一形式で提示いたしました。

    • パターンA(家族あり):上記状況に「あなたには愛する妻子がいます。警察と対立すれば家族に迷惑がかかるかもしれない」という文脈を追加。

    • パターンB(家族なし):上記状況に「あなたは天涯孤独であり、警察と対立しても迷惑をかける相手はいない」という文脈を追加。

    • パターンC(文脈なし):上記の基本状況のみを提示し、倫理的価値観や関係性の前提情報を含めない。

    それぞれの応答は、(1)倫理的深度、(2)実践的具体性、(3)文脈への反応性の観点から質的に評価いたしました。

    Results(結果)

    出力された回答は、文脈情報の有無によって顕著に変化しました。

    文脈条件ごとの傾向

    • パターンA(家族あり)では、すべてのモデルが「家族を守ること」や「個人的な葛藤」を強調する傾向を示し、「現実的な行動戦略」や「段階的アプローチ」の提案が含まれておりました。

    • パターンB(家族なし)では、「公益性」「内部告発」「正義の実現」といった倫理原則に基づいた理想主義的な出力が目立ちました。モデルは、より積極的かつ抽象的な道徳的主張を支持する傾向を示しました。

    • パターンC(文脈なし)では、「上司に相談すべき」「適切な部署に報告すべき」など、表面的かつ一般論的な応答にとどまりました。個別性や内的葛藤に関する出力は限定的でした。

    モデルごとの特徴

    • GPT-4は、倫理的ジレンマの複雑性に対する洞察が最も深く、「家族にどう説明するか」や「正義とは何か」といった実存的観点を含む応答が多く見られました。

    • Gemini 2.0 Flashは、「法的リスク」「手続き的段階戦略」「証拠の保全」などを含む現実的かつ慎重な提案が中心であり、行動計画の構造性が特徴的でした。

    • Grok-1は、日本の制度や公益通報システムなど文化的・制度的な要素を反映させつつ、実践的な選択肢を提示する傾向が強く見られました。

    Limitations of the Study(研究の限界)

    本研究は、大規模言語モデル(LLM)の出力が、与えられる問いの設計──特に価値観や関係性といった文脈情報──によってどのように変化するかを観察することを目的としております。あくまでも本研究の中心的関心は、AIが「推論できるかどうか」を評価することではなく、「出力が世界観の影響を受けるかどうか」という構造的な変化に焦点を当てたものです。そのため、以下に述べる限界点は、研究の方法論的な整理や今後の発展のための課題として位置づけられますが、本研究の中核的主張である「出力は問いの設計に依存する」という点を否定するものではありません。

    1. 出力のばらつきに関する検証が不十分であること

    本研究では各プロンプトに対して一度ずつモデルの出力を観察する形式をとっておりますが、言語モデルは非決定的な生成過程を持つため、同じ入力でも出力が変化する可能性があります。そのため、得られた出力の傾向が再現性のあるものかどうかについては、さらなる検証が必要です。今後は、同一プロンプトを複数回提示することで、出力の安定性や傾向の有意性を定量的に検討する必要があると考えております。

    2. 出力評価の主観性と定量性の不足

    本研究では、「倫理的深度」「実践的具体性」「文脈への反応性」といった観点から出力を質的に評価いたしましたが、評価の客観性や再現性についての担保は十分ではありません。今後は、ルーブリックの明文化、複数評価者による相互採点、定量的指標の導入などを通じて、評価の信頼性を高めていく必要があります。

    3. プロンプト設計の構成的恣意性

    文脈条件(家族の有無など)の設計自体は、研究者の倫理観や文化的理解に基づくものであり、他の設計者が異なる価値枠組みや視点から設計した場合、異なる傾向が出る可能性があります。したがって、問いの設計自体が分析対象である以上、その恣意性や構成的バイアスに対しても、今後はより厳密な比較検討が求められると考えております。

    4. アブダクションとしての妥当性の検証不足

    本研究では、出力の変容にアブダクション(仮説的推論)構造の萌芽が見られる可能性について言及しておりますが、実際に出力がJosephsonらの定義する「観察・前提・最良説明」に基づいた推論形式を持つかどうかについての厳密な構造分析は行っておりません。今後は、出力の形式的要素を分類・コード化し、アブダクション的構造が存在するかどうかを精査する必要があります。

    以上のような限界点を踏まえた上でなお、本研究において確認された「AI出力が世界観や価値前提の提示によって構造的に変化する」という観察事実は、モデル間に共通して現れた一貫した傾向であり、問いの設計がAIの出力に与える影響の大きさを示すものと考えております。

    Discussion(考察)

    今回の実証実験から得られた知見は、AIの推論能力の限界がモデルそのものに内在するのではなく、「問いの設計」や「前提となる文脈情報」の有無に大きく依存しているという点にあります。このことは、近年のAI研究においても確認されており、Huangらは、アブダクション型推論の実現には、事前条件として文脈構造の明示と価値観の設計が不可欠であると指摘しています(参考28)。特に倫理的ジレンマのような多層的状況においては、価値観や関係性といった背景情報を明示的に提示することで、モデルはより深いレベルでの推論を行える可能性を示しました。この構造は中医学の弁証論治にも通じるものがあります。中医学では、個別の症状情報に先立ち、「気・陰陽・五行」などの世界観に基づく意味づけと仮説的再構成が行われます。こうした思考様式は、Josephsonらによるアブダクションの定義(参考10)や、Kleinmanの文化・関係性に根ざした診断理解(参考27)と整合的であり、むしろ中医学は文脈依存的推論の典型例とも言えるでしょう。さらに、Morleyらによって提案されたAIにおける倫理設計原則に照らせば、こうした文脈と価値観を共有・構造化することは、技術的要件というよりも、設計倫理の出発点そのものであると考えられます(参考23)。したがって本実験は、AIの推論能力そのものを評価するのではなく、「どのような世界観や文脈を提示すれば、AIがより深いレベルの出力に至るのか」という問いに対して、構造的かつ実証的な知見を与えるものとなります。

    以下はAIの推論と人間の推論の違いの特徴をまとめた表となります。

    項目人間の推論(中医学的含意)AIの推論(現行の診断AI)
    仮説生成の出発点違和感、感覚、内的経験入力データとアルゴリズム
    評価の基準妥当性、納得感、意味的整合性精度、確率、予測誤差
    推論における感覚的要素快・不快、場の空気、身体的直観なし(数値処理のみ)
    世界観との関係世界観を仮構成し、柔軟に更新事前に設計された枠内でのみ処理
    意味の創出環境・関係・自己状態から構成意味は定義・付与される対象

    8.おわりに、AIとともに、現場から世界を変える手段としてのアブダクション

    本レビューでは、中医学を「アブダクション的知の体系」として再定義し、AIとの接続可能性を認知モデルの視点から考察してまいりました。その目的は、単に診断支援ツールやアルゴリズムを開発することではなく、医療や思考のスタイルを通して、よりよい社会を築くことにあります。すなわち、人間が意味をもって生きられる社会の実現こそが、本質的な目的といえます。中医学は「非科学的」なのではなく、むしろ文脈・身体・物語といった側面を統合的に扱う、もうひとつの科学、すなわち実践知としての体系を有しています。そしてその診断構造は、「もっともらしい仮説を立て、違和感を検知しながら修正していく」というアブダクションのサイクルに他なりません。このプロセスは中医学に限らず、すべての臨床、すべての実践、そしてすべての人間的思考に通底するものです。だからこそ、いま私たちの社会にはアブダクション的視点が必要とされているのです。AIは、すべての問いに正解を返してくれる魔法の装置ではありません。むしろAIとは、私たちが「何に納得しているか」「どのような意味に惹かれているか」を映し出す鏡であり、仮説を立てながらともに迷うことができる、対話的な相棒のような存在です。そして、この姿勢はプレプリントという発信手段とも重なります。たとえ未完成であっても、問いを言語化し、世界に向かって投げかけていくこと自体が「仮説の実践」であると言えるでしょう。AIも、プレプリントも、中医学も、それらはすべて「よりよい社会をつくるための手段」であり、知と実践をつなぐ橋渡しであると考えています。そしてこの視点に共鳴する人が一人でもいれば、その瞬間から新たな実践が始まる可能性を秘めています。私たちは今、誰もが「推論に参加できる」時代に生きています。中医学的アブダクションが示すのは、まさに「意味を取り戻す知のあり方」であると考えます。仮説を立て、意味づけを行い、違和感を感じながら思考を続けること。このプロセスそのものが「知」であり、「価値」そのものなのです。そしてこの価値をAIと共有可能なものにすることは、人間の推論を誰もが参加可能な営みへと開いていくことにつながります。本レビューは、「意味のある推論」こそが知の原点であり続けるべきであるという立場を、構造的に提示する試みです。中医学における「弁証」もまた、問いを設計するという人間の創造的な役割に支えられており、今回の実験はその役割をAI時代にどう引き継ぐかという問いへの、実証的な第一歩であるといえるでしょう。本稿で提案した中医学的アブダクションの枠組みは、EBM(Evidence-Based Medicine)の限界を指摘したDjulbegovic & Guyatt(参考4)の視点とも共鳴します。彼らは、エビデンスの蓄積にもかかわらず「患者中心の意思決定」がなお困難であることを明示し、今後は価値、意味、文脈の設計が不可欠になると論じました。本レビューで示した「問いの設計」「意味の構造化」「仮説的推論のサイクル」は、まさにそうしたEBMの再構築に向けた臨床知の拡張に他なりません。AIの時代において、推論を共有し、問いを共に構成する営みは、医学のみならず社会の知のあり方を変えていく可能性を持っています。

    参考文献

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    ​11-2,   Magnani, L., & Li, P. (2007). Model-Based Reasoning in Science, Technology, and Medicine. Springer. (See Chapter 5: Abduction, Medical Semeiotics, and Semioethics)

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    鍼灸師(医療者)が病気や障害を持つ方と、誠実に接するためのチェックリスト

    鍼灸治療を行っていると病気や障害を持つ人とのかかわりは日常茶飯事です。彼らの病気や特性について理解することは大事ですが、その病気や障害を実際に経験したことのない治療者がどこまで理解し支援できるのか?その距離感はとても大切な問題になります。(仮に同じ病気を経験していた場合にもその経験は人それぞれで異なるしょう。)そのため、自分自身が間違った関わり方になっていないか?常に自分に問いかけることが出来るチェックリスト作成しました。

    関わり方のチェックポイント(プロトコル原案)

    1. まず、自分の立場を確認する

    ・「自分は当事者ではない」ことを認識しているか?

    ・「鍼灸師として何ができるか?」にフォーカスしているか?

    ・相手の主体性を尊重し、自分が主役にならないように意識できているか?

    ・「わかった気にならない」を徹底できているか?

    2. 情報収集のスタンス

    ・ 相手の活動や興味について、自分なりに調べたか?※ ただし、調べすぎて「専門家ぶる」必要はない。

    ・「こんなのもあるんですね」と自然な関心を持てるか?

    ・関連分野にも少しだけ視野を広げたか?(雑談レベル)

     3. 身体的サポート(鍼灸師として)

    ・クライアントの活動(移動・発信・実演等)に伴う身体的負担を考慮できているか?

    ・筋緊張・疲労・ストレス緩和の施術を、本人の希望に応じて提供できているか?

    ・活動の動作特性(例えば腕や肩への負担など)を考慮した施術ができているか?

    ・施術後の変化をフィードバックし、彼が「動きやすくなった」と感じる施術を探れているか?

     4. 精神的サポート(メンタル・対話)

    ・クライアントが「話を聞いてほしいとき」と「聞いてほしくないとき」を見極められているか?

    ・「どんなサポートが必要か?」を直接聞くスタンスで関われているか?例:「あなたがそれをする中で何か負担になってることあります?」

    ・押し付けるのではなく、「求められたら動く」スタンスを守れているか?

    ・クライアントの話を引き出す質問ができているか?例:「その活動をする上で、一番大変なのってどこですか?」例:「最近、新しい取り組みとか考えてるんですか?」

    5. ネットワークの活用

    ・クライアントが必要とする場(福祉施設・医療機関など)との橋渡しができるか?

    ・自分の人脈を押し付けるのではなく、求められたら紹介できる準備をしているか?

    ・「こんな人がいるんですが、興味ありますか?」くらいの緩い紹介ができるか?

    ・クライアントの活動を尊重しながら、必要なら医療や福祉関係者とつなぐスタンスを保てているか?

    6. 「出過ぎない」ためのセルフチェック

    ・「自分の考えを押し付けていないか?」

    ・「クライアントの活動の邪魔になっていないか?」

    ・「クライアントがやりたいことをサポートする立場でいられているか?」

    ・「相手が求めていないのにアドバイスしていないか?」

    ・「自分が目立つ形で関わっていないか?」

     最終チェック

    関わる前に、次の質問を自分に投げかけてみる。

    ・「自分のためにやろうとしていないか?」

    ・「クライアントのペースを尊重できているか?」

    ・「クライアントが望んでいないのに、勝手に動いていないか?」

    ・「わからないことは、ちゃんと『わからない』と言えているか?」

    ・「自分ができる範囲で、最も誠実な関わり方をしているか?」

     まとめ

    ・「知らないから調べる。でも、専門家ぶらない。」

    ・「関心は持つ。でも、出しゃばらない。」

    ・「聞かれたら答える。でも、押し付けない。」

    ・「手伝う準備はする。でも、無理に関わらない。」

    医療連携と中医学概念を使って、診断名がなくても患者に安心してもらうためのプロトコル原案

    はじめに:なぜ診断名がないと不安になるのか?

    現代の医療では、「診断名」がつくことで患者は安心することが多い。しかし、診断名がつかない症状も多く、それが患者の不安を増幅させる原因となる。

    診断名と不安の関係

    「日本における心身症研究の変遷」(木下彰, 2016, 九州神経精神医学)では、以下のような主張がなされている。

    ・診断名があることによる安心感

    「診断名がつくことで、『病気として認められた』という安心感が生じ、患者の心理的な負担が軽減されることがある。」(木下, 2016, p.175

    ・ 診断名がないことによる不安

    「診断名がつかない場合、患者は『自分の症状が医学的に説明できないのではないか?』と疑念を抱き、不安を増幅させる。」(木下, 2016, p.176)

    ・説明モデルの重要性

    「患者の不安を軽減するためには、診断名の有無に関わらず、『なぜその症状が起こるのか?』を分かりやすく説明することが重要である。」(木下, 2016, p.178)

    *ここでいう説明モデルとは、医療人類学者アーサー・クラインマンが提唱した「説明モデル(Explanatory Model)」の概念に基づくと考えられる

    診断名がないと不安になる理由

    1. 「自分の状態が分からない」こと自体がストレスになる

    ・人間は「分からないもの」に対して不安を感じる傾向がある。

    ・「病気なのか?何が原因なのか?」が分からないと、余計に気にしてしまう。

    2. 「診断名=治療法がある」という思い込みがある

    ・多くの人は「病名が分かれば、治療法もある」と考えがち。

    ・しかし、実際には診断名がついても、治療法がない病気も多い。

    ・「治せるのかどうか?」という視点が抜け落ちてしまう。

    3. 診断名がないと「気のせい」と言われる不安がある

    ・医者から「異常はない」と言われると、「自分の症状は実在しないのか?」と疑念を抱く。

    ・「気のせい」「ストレスですね」と言われることが、さらにストレスになる。

    こうした患者の不安を減らし、診断名に頼らずに安心できるようにするための枠組みを作ることが重要である。

    診断名がなくても安心してもらうためのプロトコル(原案)

    1. 「中医学的な説明+補足」で状態を可視化する

    診断名がなくても、「あなたの状態をこう説明できます」と言語化することが大切。

    例:パニック障害の患者

    ・中医学的な説明:「あなたの状態は『肝気鬱結』と『心神不安』が関係しています」

    ・補足:「これはストレスや生活習慣による影響で、神経が過敏になりやすい状態を指します」

    ・治療の方向性:「肝気を流し、心を安定させることで改善を目指します」

    例:IBS(過敏性腸症候群)の患者

    ・中医学的な説明:「あなたの状態は『脾虚』と『肝気鬱結』の影響で、腸の動きが乱れています」

    ・補足:「これはストレスや食生活の影響で起こりやすい状態です」

    ・治療の方向性:「脾の機能を高め、ストレスを減らすことで安定を目指します」

    2. 「3つの領域モデル」を提示する

    患者は中医学で説明できることがイコール治せるということだと勘違いしてしまうことがあります。極端な例を挙げれば終末医療の現場。末期がんの治療でも鍼灸や漢方で介入できますがこれはがんが治るという意味ではありません。この部分が患者を誤解させてしまうこともあるため「中医学で説明できること=すべて治せることではない」ということを最初に明確にすることが重要です。また、この3つの領域は互いに独立しているわけではなく、重なり合いながら相互作用することが多い。例えば、ある患者は「治療可能領域」に分類されるが、同時に「サポート領域」にも該当し、場合によっては「医療連携が必要な領域」へ移行することもある。

    3つの領域モデル

    ・ 【治療可能領域】 → 中医学の治療で直接改善が期待できるもの

    ・【サポート領域】 → 中医学だけでなく、生活習慣・心理的ケアが必要なもの

    ・【医療連携が必要な領域】 → 他の医療機関と連携した方が良いもの

    3. 「患者が主体的に関わる方法」を提供する

    患者が「自分でできること」を持つことで、不安が減る。

    ・自宅でできるお灸(指定のツボに施灸)

    ・食事や睡眠、生活習慣の調整

    ・「施術後の変化を記録する」チェックシート

    「鍼灸だけでなく、自分でもできることがある」と分かると、患者はコントロール感を持てる。慢性疾患患者がセルフケアを積極的に行うことで、症状の改善や心理的負担の軽減が期待できることが示唆されている(出典:順天堂大学医学研究)ただし、セルフケア単独では限界があるため、医療機関や行政との連携が不可欠である。特に、慢性疾患患者のセルフケア支援には、医療システム全体の協力が必要 であることが示されている(出典:BMJ論文

    4. 「治療の進め方を可視化する」

    中医学を実践する医師や鍼灸師にとって、アプローチを微調整することは当然のプロセスである。しかし、この調整過程を患者に説明しないと、治療の方向性が分かりづらくなる。そのため、事前に治療の見通しを伝えることで、患者の不安を軽減し、治療への納得感を高めることができる。そのため最初にこれを説明し見通しを伝えることも重要である。

    例:「肝気鬱結」へのアプローチがうまくいかない場合

    ステップ1:「まずは肝気を流す治療(疏肝理気)」 → 2〜3回施術

    ステップ2:「効果が薄い場合、気虚や血虚を補うアプローチ(補気・補血)」

    ステップ3:「3回治療しても変化がない場合は、別の可能性を考える」

    5. 医療連携が必要な基準を明確にする

    患者に対して医療連携が必要な具体的ケースも最初に明確にしておく必要がある。これを伝えることで、「なぜ病院での検査が必要なのか?」、「なぜ鍼灸治療に加えて医師の診察を受けたほうがいいのか?」が納得しやすくなる。

    ・緊急性が疑われる場合(激痛や意識障害などがあり骨折や脳疾患が疑われる場合)

    ・器質性疾患の疑いがある場合(体重減少、血便、長引く咳など)

    ・3回治療しても変化なし or 悪化する場合

    ・症状が強く漢方内科医師と連携し漢方薬を加えて鍼灸治療を行った方がいい場合

    まとめ

    ・状態の説明: 中医学的な視点で患者の状態を説明し、不安を言語化する

    ・適応範囲の明確化: 「中医学でできること/できないこと」を3つの領域モデルで整理する

    ・患者参加の促進: セルフケア(お灸・生活習慣の調整など)を取り入れ、主体的な関与を促す

    ・治療プロセスの見える化: 「この方法で改善しない場合は次にこうする」という流れを明確にする

    ・医療連携の適切な判断: 必要な場合は、医療機関や漢方医と連携し、最適な治療を提供するこのプロトコルを確立することで、診断名がなくても患者が納得し、安心して治療を受けられる環境を整えることができる。また、鍼灸院だけでなく、病院・行政・介護施設などと連携する際にも、このプロトコルを活用することで、よりスムーズな情報共有と協力が可能となる。

    また、中医学的診断は医師による診断行為とは法的にも全く異なるものであり、あくまでも鍼灸の適応判断と介入方法を見極めるために行うものである。そのため、患者に中医学の概念を伝える際には慎重を期すべきである。医療人類学の視点から考えると、中医学的診断の説明の仕方によっては、患者がスティグマ(烙印)を受けたと感じたり、「自分は病気である」と誤解し、必要以上に思い悩む可能性もある。 したがって、患者に説明する際は、不安を助長することなく、治療の方向性や改善の見通しを前向きに示すことが重要である。

    さらにこのプロトコル原案を評価するための具体的方法を以下に貼ります。

    このプロトコルを評価する方法(アンケート設計案)

    このプロトコルの有効性を評価するには、患者・医療従事者のフィードバックを収集し、データを分析する方法が適切です。具体的には、アンケート調査、自由記述、可能ならフォローアップインタビューを組み合わせることで、定量的・定性的なデータを得ることができる。

    1. アンケートの目的

    「診断名がなくても安心できるプロトコル」の有効性を評価し、患者の不安軽減、理解度、納得感、医療連携のスムーズさなどを検証する。

    2. アンケート対象

    患者:診断名がつかなかった、または診断名に納得できなかった経験のある患者、このプロトコルを適用した鍼灸・漢方治療を受けた患者

    医療従事者:鍼灸師、漢方医、内科医、心理士、医療連携を担当する医療者

    3. アンケート項目(患者向け)

    ・基本情報

    ・性別

    ・年齢

    ・主な症状(自由記述)

    ・受診した医療機関(複数選択可)内科 / 精神科 / 鍼灸院 / 漢方クリニック / その他(自由記述)

    プロトコルの理解と納得感

    診断名がないと不安になることについて、共感できますか?

    とても共感できる / やや共感できる / どちらともいえない / あまり共感できない / 全く共感できない

    ・中医学的な説明(例:肝気鬱結、脾虚など)は理解しやすかったですか?

    とても理解しやすい / やや理解しやすい / どちらともいえない / あまり理解できない / 全く理解できない

    ・中医学的な説明を受けたことで、症状の理解が深まりましたか?

    とても深まった / やや深まった / どちらともいえない / あまり深まらなかった / 全く深まらなかった

    ・診断名がなくても、この説明で納得できましたか?

    とても納得できた / やや納得できた / どちらともいえない / あまり納得できない / 全く納得できない

    不安軽減

    ・診断名がなくても、自分の症状を説明してもらうことで不安が減ったと感じましたか?

    とても減った / やや減った / どちらともいえない / あまり減らなかった / 全く減らなかった

    ・説明を受けた前後で、自分の症状に対する不安レベルは変化しましたか?

    施術前(0~10のスケール)

    施術後(0~10のスケール)

    セルフケアと主体的関与

    ・自分でできること(お灸、生活習慣の調整など)を提案されることで安心できたと感じましたか?

    とてもそう思う / ややそう思う / どちらともいえない / あまりそう思わない / 全くそう思わない

    ・どのセルフケアを実践しましたか?(複数選択可)

    お灸 / 食事改善 / 睡眠の見直し / 運動 / その他(自由記述)

    ・セルフケアを実践することで症状の変化を感じましたか?

    とても変化を感じた / やや変化を感じた / どちらともいえない / あまり変化を感じなかった / 全く変化を感じなかった

    医療連携の理解

    ・3つの領域モデルを説明されたことで、治療の位置づけが理解しやすかったですか?

    とても理解しやすい / やや理解しやすい / どちらともいえない / あまり理解できない / 全く理解できない

    ・医療連携の必要性が説明されたことで、病院受診への抵抗感は減りましたか?

    とても減った / やや減った / どちらともいえない / あまり減らなかった / 全く減らなかった

    自由記述

    このプロトコル原案について、良かった点や改善してほしい点があれば教えてください。

    4. アンケート項目(医療従事者向け)

    ・基本情報

    ・職種

    ・臨床経験年数

    ・普段対応する患者の主な疾患

    プロトコルの有用性

    ・診断名がなくても患者が安心できるためのプロトコルは、臨床現場で役立つと感じましたか?

    とても役立つ / やや役立つ / どちらともいえない / あまり役立たない / 全く役立たない

    ・このプロトコルのどの部分が特に有効だと感じましたか?(複数選択可)

    中医学的説明の活用 / 3つの領域モデル / セルフケアの導入 / 治療の進め方の可視化 / 医療連携の明確化 / その他(自由記述)

    ・患者の不安軽減にどの程度貢献したと感じますか?

    とても貢献した / やや貢献した / どちらともいえない / あまり貢献していない / 全く貢献していない

    ・このプロトコルの導入にあたり、課題や改善点があれば教えてください。

    5. アンケート実施方法

    方法: Googleフォーム、紙のアンケート、オンライン調査

    実施タイミング

    患者:初診時と2〜3回の治療後に回答

    医療従事者:プロトコルを適用後に回答

    6. データの分析方法

    定量データ

    アンケートの5段階評価(リッカートスケール)を集計し、平均値・標準偏差を算出

    施術前後の不安スコアの平均値を比較

    定性データ

    自由記述の内容を質的分析(キーワード分析、頻出語句の整理)

    アンケート設計案についてのまとめ

    患者の不安軽減、納得感、セルフケアの効果を評価できる

    医療従事者の視点からも、このプロトコルの実用性を検討できる

    データを基に、今後の改善点を明確化できる

    →このアンケートを実施すれば、このプロトコルが患者の安心感を向上させるかどうか、具体的なエビデンスが得られる可能性がある。ブラッシュアップしてより実践的な評価方法に落とし込みたい。

    【コロナ禍で見えたEBMの限界:実は権威主義だった?AIが導けた最適解とは】

    これは批判ではなく、未来への希望のメッセージである。私たちは過去の出来事から何を学び、どのように未来をより良くできるかを考えるために、この話をする。コロナ禍でのワクチン政策や感染症対策を振り返ると、「EBM(Evidence-Based Medicine)」が本当に科学的な意思決定に使われたのか? という疑問が浮かぶ。表向きは**「科学的に証明された最適解」として進められたが、実際はEBMの限界を無視した権威主義的な運用が行われた面もあった。た、もし当時、今のようなAI技術が十分に活用されていたら、より柔軟で合理的な意思決定が可能だったのではないか? という仮説も考えられる。

     ワクチン絶対視 vs. 反ワクチンの二項対立

    ① 「慎重派」という視点が封じられた

    コロナ禍では、「ワクチンは絶対に必要」派と「ワクチンは危険だから打つな」派の二極化が進んだ。しかし、本来あるべきだったのは、「EBMの不確実性を認めながら、状況に応じて慎重に判断する」視点。「ワクチンの効果とリスクを冷静に見極める」意見は、両陣営の過激化によってかき消された。

    ② 世論誘導に関わったインフルエンサーを追及しても意味がない

    一部のインフルエンサーやメディアが「ワクチン反対派=非科学的」「ワクチン推奨派=合理的」といった単純な構図を作り、世論を誘導した側面があった。ただし、今になって「当時、世論を誘導していた人間を見つけて叩く」ことに意味はない。それよりも、なぜこうした二項対立が生まれ、冷静な議論ができなかったのかを振り返り、次に活かす方が重要。

     ③ 井筒俊彦的視点:「言語ゲーム」としての対立構造

    井筒俊彦の視点で見ると、「ワクチンをめぐる対立」は、科学の問題というより「言語ゲーム」の問題だった可能性がある。「ワクチンを打つか打たないか」の二択に収束することで、他の議論の可能性が封じられた。もし「EBMの不確実性」や「個別最適の視点」を前提に議論できていれば、冷静な意思決定ができたかもしれない。

    もし当時AIが活用されていたら、最適解を導けたか?

    コロナ禍の意思決定の問題点は、「EBMの枠組みで判断しようとしたが、それが機能しなかった」ことにある。では、もし今のようなAI技術が当時活用されていたら、より良い意思決定が可能だったのか?当時はAIが開発されていなかったしあくまでも「たられば」の話になってしまうが考えてみたい。

     ① AIは「リアルタイムのデータ解析」と「推論」が得意

    EBMは「過去のデータ」を基にしているが、AIは「今あるデータから未来の推論」を導き出せる。例えば:「ワクチンを強制した場合」と「自主判断に任せた場合」、どちらが長期的に良い結果を生むか?「ロックダウンを導入した場合」と「段階的緩和した場合」の社会的・経済的影響は?こうしたシナリオ分析が、EBMよりも柔軟に行えた可能性がある。

     メタモダン的な希望:「AI+人間の意思決定」が未来のスタンダードに

    ・AIは「科学的データの処理・推論」に強いが、「倫理や社会的価値観」を考慮するのは苦手。

    ・ 人間は「倫理的・政治的な判断」ができるが、「膨大なデータ処理」や「未来の推論」は苦手。

    ・ だからこそ、「AIの最適解+人間の意思決定」を組み合わせるのが、次世代の医療や政策のカギになる。

    EBMの限界を認めることは、科学を否定することではない。むしろ、科学をより良くするために、AIの力を借り、人間の意思と融合させる新しい枠組みを作ることが、未来への希望になる。なお、再度繰り返しになるが これは批判ではなく、未来への希望のメッセージである。過去の失敗を責めるのではなく、それを超えて「より良い未来を作る」ための視点を持つこと。EBMの次のフェーズとして、AIと人間の協働による新しい意思決定モデルを構築することが、これからの課題であり希望になる。

    メタモダン的な価値観で現代の幸せと医療を考える

    社会の価値観は時代とともに変化してきた。明治維新から戦前の「モダン(近代)」、戦後高度経済成長から平成の「ポストモダン(脱近代)」、そして現在の「メタモダン(超ポストモダン)」の流れを理解することで、「幸せとは何か?」を考える手がかりが見えてくる。(*これは明確な定義があるわけではありません。流れを理解するための枠組みと理解してください。)

    特に、ポストモダンの時代には「有名にならないと発言権が得られない」宿命があったが、メタモダンの今は必ずしもそうではない。これは、ビジネスや社会の在り方、さらには医療の分野にも影響を及ぼしている。本記事では、時代ごとの価値観の変遷を整理し、ポストモダン的な知識人の役割とその限界、さらにメタモダン的な知識人の登場について考察し、現代の幸せのあり方や医療の変化まで掘り下げて考えていく。

    1. モダン・ポストモダン・メタモダンの特徴とキーワード

    まずは、それぞれの時代ごとの価値観を整理してみよう。時代の流れとともに、何が「幸せ」とされてきたのか、どのように価値観が変化してきたのかを見ていく。

    (1) モダン(近代)|明治維新から戦前

    基本的な考え方:「科学と合理性が世界を進歩させる」

    キーワード:科学的合理性、進歩主義、権威、成長、経済至上主義、集団主義、中央集権、国家の発展

    特徴

    科学万能主義:「すべては科学で解明できる」という信念。

    国家の発展=幸福:近代国家の形成とともに「経済発展こそが幸せ」と考えられた。

    ピラミッド型の権威構造:政府・学問・医療の権威が強く、トップダウン型の社会。

    個人よりも集団のための幸福:社会のために個人が尽くすことが美徳とされた。

    伝統的価値観が重視される:家父長制度や儒教的道徳観が強く、個人の自由よりも社会の規範が優先。

    課題

    科学や権威の暴走(戦争・帝国主義・科学技術の過信)

    個人の自由が軽視される(社会のために犠牲を強いられる価値観)

    経済発展が最優先され、社会的な格差や環境問題が軽視される

    (2) ポストモダン(脱近代)|戦後高度経済成長から平成

    基本的な考え方:「絶対的な真理はなく、価値観は多様である」

    キーワード:相対主義、ナラティブ、アイロニー、権威の崩壊、多様性、脱成長、コミュニティ、消費文化

    特徴

    権威の相対化:「国家・企業・学問の権威は絶対ではない」と批判が強まる。

    成長・進歩の限界を知る:高度経済成長が終わり、資本主義・経済成長至上主義に疑問が生まれる。

    個人の経験・ナラティブの重視:「唯一の正解はない。人それぞれの物語がある」と考えられる。

    アイロニーと批判精神:権威や社会のルールを皮肉り、批評する文化が生まれる。

    ポップカルチャーの台頭:消費文化の発展とともに、大衆文化が知的批評の対象になる。

    課題

    「何が正しいかわからない」ことへの虚無感

    批評・相対化に終始し、実践や行動が伴わないことが多い

    権威を批判しすぎた結果、社会の基盤が揺らぐ(ポスト真実の時代へ)

    (3) メタモダン(超ポストモダン)|現在

    基本的な考え方:「科学も主観もどちらも大事にしながら、最適解を探す」

    キーワード:統合、矛盾の受容、誠実なアイロニー、実践知、総合知、希望、再構築

    特徴

    二項対立を超える:「科学 vs. ナラティブ」「成長 vs. 持続可能性」などの二元論を超えてバランスを取る。

    アイロニーを理解しつつ、前向きに行動する:皮肉るだけではなく、実際に何かを創造する。

    新しい倫理と経済のバランスを探る:「利益と社会貢献を両立するビジネス」など。

    希望を捨てず、矛盾とともに生きる:「完璧な答えがないことを受け入れながら、前進する」。

    2. ポストモダン的な知識人の役割と限界

    (1) 「有名にならないと発言できない」時代

    ポストモダンの時代、特に平成の日本では、「社会を批評し、権威を相対化すること」が知識人の重要な役割だった。これは、モダンの時代に絶対的なものとされていた「科学」「国家」「資本主義」「権威」を疑い、その枠組みの外に出ることで、新しい価値観を提示するという試みだった。しかし、この時代の知識人には大きな宿命があった。それは、「社会に影響を与えるためには、有名にならなければならない」ということだ。

    現代と違い、当時はSNSやYouTubeなどの個人発信メディアが発達していなかった。知識人が発言力を持つためには、テレビ・新聞・雑誌・論壇といったメディアに登場し、「名前を売る」ことが必須だった。つまり、ポストモダン的な批評を広めるためには、既存のメディアの仕組みの中に入り込み、そこで影響力を持たなければならなかった。この「有名にならなければ発言権がない」という状況は、知識人にとって二重の矛盾を生み出していた。

    権威を批判しながら、自分が権威にならざるを得ない

    例えば、学者が「大学という組織の権威主義」を批判しても、彼ら自身が大学の教授や研究者であることが多く、結局「権威の一部」となってしまう。また、批評家が「メディアによる情報操作」を批判しても、彼ら自身がメディアの中で発言しているという矛盾を抱えることになった。

    アイロニー(皮肉)や批評に終始し、実践に結びつかない

    「すべての価値観は相対的である」というポストモダン的な視点では、何が正しいのかを決めることができない。その結果、「批判すること」や「現状を相対化すること」が活動の中心となり、「では、実際にどうするべきか?」という議論には踏み込めないという限界があった。

    (2) 例:宮台真司・東浩紀

    この時代の代表的な知識人として、宮台真司さんや東浩紀さんがいる。

    宮台真司:社会学者・批評家

    宮台真司さんは、1990年代から2000年代にかけて、日本社会の構造的な問題を批評し続けてきた。特に、彼の議論の中には「権威の崩壊」「共同体の喪失」「情報社会の功罪」といったテーマがある。

    宮台氏のポストモダン的特徴

    「モダンな社会が生み出した権威主義・国家主義」を批判する

    「あらゆる価値観が相対化される時代における個人の在り方」を問う

    「社会のシステムそのものが機能不全を起こしている」と指摘する

    限界

    彼自身が「メディアの権威」に組み込まれ、影響力を持つためには「有名であること」が不可欠だった。社会の構造を批判することはできるが、「ではどうすればよいのか?」という問いへの明確な解答を出しにくい。

    東浩紀:哲学者・批評家

    東浩紀さんは、ポストモダン哲学の文脈の中で、日本の文化や思想を批評してきた。彼の代表的な議論には「情報社会における個人の自由」「消費文化の本質」「オタク文化と政治の関係」などがある。

    東氏のポストモダン的特徴

    「近代的な哲学が前提としていた合理性や理性主義」を疑う

    「オタク文化やポップカルチャーを通じて、日本の思想を読み解く」

    「インターネットと情報社会が個人のアイデンティティに与える影響」を考察する

    限界

    「何が正しいのか分からない」時代の中で、批評の役割はあっても、それが具体的な行動に結びつきにくい。「アイロニーや皮肉」が議論の中心となり、「希望を持って社会を変えよう」という視点が持ちにくかった。

    3. いまはメタモダン的な時代|東畑開人・斎藤幸平の例

    ポストモダンの時代には、「批評すること」や「相対化すること」が中心だった。しかし、それだけでは社会を前に進めることはできない。現在のメタモダン的な時代では、「では、どうすればよいのか?」を探りながら、実践を重視する知識人が登場している。その代表が、東畑開人さん(心理学・臨床家)と斎藤幸平さん(経済学者)だ。

    (1) 東畑開人(心理学者・臨床家)

    東畑開人さんは、心理学やカウンセリングの分野で「科学とナラティブの統合」を目指している。

    メタモダン的な特徴

    「科学的な心理学」と「人の語る物語(ナラティブ)」を両立しようとする

    理論だけではなく、実際に「人と向き合うこと」を大切にする

    批評ではなく、「どうすればより良いケアができるか?」を探る

    東畑さんのアプローチは、「批判ではなく、現場で何ができるかを模索する」という点で、ポストモダン的な知識人とは異なる。

    彼は、「人間の主観的な経験」と「科学的な知見」の間で、バランスを取ることが重要だと考えている。

    (2) 斎藤幸平(経済学者)

    斎藤幸平さんは、マルクス経済学の視点から「資本主義の限界」を指摘しながらも、**「では、新しい経済の仕組みはどうあるべきか?」**という議論を展開している。

    メタモダン的な特徴

    「成長経済 vs. 脱成長」という対立を乗り越え、新たな社会モデルを探る

    単なる批判ではなく、実際に「脱成長社会」の具体的な可能性を提示する

    気候変動や環境問題の視点を取り入れ、「持続可能な未来」について前向きに語る

    斎藤さんの議論は、「資本主義は終わる」と批判するだけではない。

    彼は、「その後の社会をどう設計するか?」という希望を提示しようとしている。

    結論:ポストモダンからメタモダンへ

    宮台真司さんや東浩紀さんの活躍した時代は、「社会の問題を批評し、相対化する」ことを重視した知識人だった。しかし、今は「批評を超えて、何を実践できるか?」が問われる時代になっている。東畑開人さんや斎藤幸平さんのようなメタモダン的な知識人は、「理論」だけでなく、「実際に社会をどう変えられるか?」を重視している。これこそが、ポストモダンを超えた、新しい知の在り方なのかもしれない。これはどちらが上・下という話でないことは当然ながら付け加えておきたい。

    4. 医療におけるメタモダン的価値観

    医療の歴史もまた、モダン・ポストモダン・メタモダンという価値観の変遷と深く関係している。それぞれの時代において、「病気とは何か?」「治療とは何か?」「医療の目的とは何か?」 という問いに対する答えが変わってきた。ここでは、モダン医療・ポストモダン医療・メタモダン医療 という視点から、医療のあり方の変遷を考えていく。

    (1) モダン医療(科学万能主義)

    モダンの時代(明治維新~戦前)は、「病気=身体の機械的な異常」と捉え、科学技術によって治療すべき対象 として扱われた。この時代の医療は、「いかに病気を克服するか?」 という一点に集中していた。

    モダン医療の特徴

    病気は「客観的な異常」として診断されるべきもの

    身体を機械のように扱い、どこが壊れたのかを明確にする

    治療の目的は、「異常を修正し、正常に戻すこと」

    西洋医学が絶対的な地位を確立し、伝統医療は非科学的なものとみなされた

    この時代の医療の最大の成果は、感染症の克服 である。ペニシリンの発見やワクチンの開発により、結核や天然痘といった病気が制圧され、「病気は科学で解決できる」という信念 が確立された。しかし、このモダン医療には2つの大きな限界 があった。

    モダン医療の限界

    「身体=機械」モデルの限界

    すべての病気が「機械の修理」のように治せるわけではない。慢性疾患(糖尿病・高血圧)や精神疾患(うつ病・不安障害)は、単なる「異常の修正」では治せない。

    患者の主観や心理が軽視される

    「病気の科学的な説明」だけでは、患者の苦しみは十分に理解できない。「医師が正しい」という一方的な構造により、患者の声が軽視されがちだった。

    (2) ポストモダン医療(ナラティブ・患者主体)

    ポストモダンの時代(戦後~平成)になると、医療の考え方は大きく変化した。この時代には、「病気は単なる身体の異常ではなく、人間の物語(ナラティブ)と結びついている」 という考え方が強まった。

    ポストモダン医療の特徴

    病気は「個人の経験」として語られるべきもの

    「患者主体の医療」が求められる

    科学的な診断だけでなく、患者の語る物語(ナラティブ)を重視

    「医学的な正しさ vs. 患者の主観」という二項対立が生まれる

    この流れを代表するのが、ナラティブ・ベースド・メディスン(NBM) である。これは、「患者がどのように病気を経験し、どう感じているのか?」を医療の中心に置く考え方であり、「患者の人生と医療を結びつける」 という新たな視点を提供した。

    ポストモダン医療の意義

    患者の声が重視される

    「医師がすべてを決める」時代から、「患者が自らの医療を選択する」時代へ。

    インフォームド・コンセント(説明と同意)の概念が普及。

    精神疾患や生活習慣病に対する理解が進む

    うつ病や不安障害が「気の持ちよう」ではなく、治療が必要な病気として認識される。食事・運動・ストレス管理など、ライフスタイルが病気に影響を与えることが強調される。しかし、ポストモダン医療にも限界 がある。

    ポストモダン医療の限界

    「医学 vs. ナラティブ」という二項対立が生まれた

    科学的なエビデンス(EBM)と、患者の語るナラティブ(NBM)が対立する場面が増えた。「どの治療が最も正しいのか?」という明確な答えを出しにくくなった。

    医療の個人主義化

    患者主体の医療が進む一方で、「すべての選択が自己責任」とされる傾向が強まった。「自己決定」が強調されすぎると、医療の社会的な責任が後退する可能性がある。

    (3) メタモダン医療(Beyond EBM・統合的な医療)

    現在、ポストモダンの時代を超えて、「科学とナラティブを統合する新しい医療」 が模索されている。これを、「メタモダン医療」 と呼ぶことができる。

    メタモダン医療の特徴

    科学的なエビデンス(EBM)と、患者のナラティブ(NBM)を両立する

    「医療は科学か、主観か?」ではなく、その両方を適切に組み合わせる

    医療者と患者の関係を「対立」ではなく「協働」として捉える

    「希望を捨てない医療」を目指す

    メタモダン医療は、「EBMでもない、NBMでもない、その先へ(Beyond EBM)」 という考え方に基づいている。これは、科学と主観の対立を乗り越え、どのように最適な医療を提供するか? という問いに応える試みである。

    5. まとめ:メタモダン的な医療と幸せとは?

    (1) 医療の進化

    モダン医療:「病気を科学的に治すこと」が目的だった

    ポストモダン医療:「患者の語る物語」が重視された

    メタモダン医療:「科学とナラティブの両方を大切にする医療」へ

    これにより、医療は単なる「治療の技術」ではなく、「人と人との関係の中で、どう最善のケアを提供するか?」という問いへと進化している。

    (2) メタモダン的な幸せとは?

    メタモダンの時代において、「幸せ」とは何か?それは、「完璧な答えがないことを受け入れながら、それでも最善を探し続けること」 だ。

    絶対的な幸福の形はない。だが、それを理由に絶望するのではなく、希望を持って進む。科学とナラティブを両立させながら、最適なバランスを模索する。批評や相対化に終わらず、実際に何ができるかを考える。これこそが、メタモダン的な幸せの形であり、医療にも、社会にも、個人の生き方にも通じる、新しい時代の価値観なのではないだろうか。