カテゴリー: お知らせ・ブログ・思うこと

    田無北口鍼灸院の連絡事項やお休みのお知らせニュースのまとめ制度について思うこと・・・などまとめていきます。問い合わせがある場合は院に直接連絡くださいますようお願いいたします。

「施術を受けた後の過ごし方、注意点」~西東京市で鍼灸やマッサージを希望する方へ

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施術の効果をしっかりと出すために、

受けた後は以下のことに気を付けて過ごされるといいと思います。

 

①水分をたくさんとる

水分をたくさん取り、老廃物を尿で流します。

②アルコール、カフェイン等は控える

興奮作用があるものは避けましょう。

③早めに就寝する

ゆっくり休むことで、整体の効果の増幅を狙います。

④なるべくお風呂に入らない

お風呂に入ると、調整した血液循環などが元に戻りやすくなったりします。

どうしても入りたいという場合は、整体を受けた当日は

軽くシャワー程度にしておくことをオススメします。

 

★個人差がありますので詳しくはおたずねください。

 

テニス肘について

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◎テニス肘
テニス肘で悩む患者さんが増えています。テニス肘とはテニスのストロークを繰り返し行ったことで肘が痛くなる障害のことで、バックハンドストロークで肘の外側を痛めるバックハンドテニス肘と、フォアハンドストロークで肘の内側を痛めるフォアハンドテニス肘があります。
どちらもボールがラケットに当たる時の衝撃が、手首を動かす筋肉の肘への付着部に繰り返し加わることによって、微小断裂や損傷を来し発生するものと考えられます。

前者では手首を背屈する(甲側に曲げる)筋肉がついている上腕骨外側上顆(肘の外側のでっぱり)に、後者では手首を掌屈(しょうくつ)(手のひら側に曲げる)する筋肉がついている上腕骨内側上顆に発生するため、それぞれ上腕骨外側上顆炎、上腕骨内側上顆炎ともいわれます。バックハンドテニス肘(上腕骨外側上顆炎)の発生頻度については、若年層で少なく、30代後半から50代に多いことがわかっています。

ところが、近年パソコンが原因でテニス肘を患うケースも増えてきています。「かつてテニス肘は、テニス愛好家のほか、タイピストや調理師、SEなど、手首を酷使する人特有の疾患でした。ただ、家庭やオフィスにパソコンが普及してからは、誰もがかかる疾患になりました。患者数はここ10年で倍以上、もしくは3倍程度になっています」と指摘する整形外科医もいます。
「テニス肘は短橈側手根伸筋の炎症。この手根伸筋は、手首を固定したまま外側に反らせる動作を司っているため、キーボードをたたいたりマウスを操ったりしすぎると、酷使されて炎症を起こします。ただ、原因はパソコンだけに限らず、重いカバンや買い物袋を持つなど日常的な肘への負担との複合的なもので、これが患者数の広がりを招いています」と同医師は強調します。

【症状の現れ方】
バックハンドテニス肘ではバックハンドストロークのたびに肘の外側に、フォアハンドテニス肘ではフォアハンドストロークのたびに肘の内側に疼痛が現れます。また、テニス以外の日常生活でも、タオルを絞る、ドアのノブをまわすなどの手首を使う動作のたびに同部位に疼痛が現れます。

【検査と診断】
肘の外側または内側に圧痛が認められます。以下の3つの検査が一般に用いられています。いずれの検査でも肘外側から前腕にかけての痛みが誘発されたら、テニス肘と診断します。
1. Thomsenテスト
⇒肘を伸ばしたまま手関節の背屈に抵抗を与え、疼痛の誘発、増強を診る。
検者は手首(手関節)を曲げるようにして、患者さんには肘を伸ばしたまま検者の力に抵抗して手首(手関節)を伸ばしてもらう。
2. Chairテスト
⇒肘を伸ばしたまま椅子を持ち上げ、疼痛を診る。
患者さんに肘を伸ばしたまま手で椅子を持ち上げてもらう。
3. 中指伸展テスト
⇒肘を伸ばしたまま、中指の伸展に対して疼痛を診る。
検者が中指を上から押さえるのに抵抗して、患者さんに肘を伸ばしたまま中指を伸ばしてもらう。

【治療の方法】
症状の程度によっては、局所を安静にするためテニスを完全に休ませます。その一方で、前腕ストレッチング、筋力トレーニング、温熱、低周波、レーザー光線などの理学療法、テニス肘用サポーター、消炎鎮痛薬の内服や外用などを組み合わせて行います。場合によってはステロイドホルモンの局所注射をすることもあります。
また、手術については保存療法が無効な際に有効とされています。手術方法としては、伸筋腱起始部解離術、伸筋筋膜切開術、輪状靭帯や関節包の部分切除術、関節内の滑膜切除術などがありますが、成績にはっきりした差は認められていません。

【リハビリテーション】
(外側テニス肘)
前腕の手伸筋群のストレッチと筋力強化。
(内側テニス肘)
前腕の手屈筋群のストレッチと筋力強化。
注=アイシング、リストカール、テーピングを怠らないようにする。

【予防対策】
再発予防も含めたテニス肘の予防法としては、ラケットのガットを緩めにするなどのラケットの選択やフォームの改良、前腕のストレッチング、サポーターの活用、テニス後の肘のアイシングなどがあげられます。スポーツや手をよく使う作業をひかえて、湿布や外用薬を使用します。再発予防としては、両手でバックハンドストロークをすることや、スライスボールを打つのもお勧めです。
また、テニス肘を予防する、こういう方法もあります。親指と薬指の第一関節に輪ゴムをかけ、腰のあたりで約50回インナーマッスルを意識しながら輪ゴムを伸ばしたり、縮めたりするものです。輪ゴムの数を増やすなどして強度を調節することも可能ですので一度試していただくといいと思います。

田無で頭痛・片頭痛(偏頭痛)でお困りの方は・・・田無北口鍼灸整骨院の鍼灸(はり灸)で疼痛コントロール調整

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 <頭痛の分類>

ひとことで頭痛と言っても様々なタイプがある。

・ 緊張型頭痛

特徴 :

誰にでも起きる、締め付けられるような痛み、

頭の両側・後頭部に痛みが発生

・ 偏頭痛

特徴 : 若い女性に多い、

拍動性のずきずきした痛み、頭の片側が痛む

・ 群発性頭痛

特徴 : 男性に多い、

目の奥が痛む、アルコールで誘引、

一度痛むと1・2か月痛みが続く

 

その他、

三叉神経・自律神経が原因の頭痛もあります。

緊張型と片頭痛の混合型頭痛を持つ方も

多数存在します。

上記の疾患であれば鍼灸や

整体等の適用範囲です。

 

以下の疾患が疑われるような場合は、
すぐに病院に行くことをオススメします。

・ 頸部外傷による頭痛

(例:外傷後頭蓋内血腫による頭痛)

・ 頭頸部血管障害による頭痛
(例:くも膜下出血)

・ 非血管性頭蓋内疾患による頭痛
(例:脳腫瘍)

・ 物質またはその離脱による頭痛
(例:薬物乱用頭痛)

・ 感染症による頭痛
(例:髄膜炎)

 

 <頭痛の施術と対処>

一口に頭痛と言っても上記のように様々な原因が考えられるため

田無北口鍼灸整骨院では、より安全に施術を行うため

以下のことに注意しております。

(1)まずはじっくりカウンセリング

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(2)遠位である手足の調整。

手や足を温め、また経絡を使ってツボを刺激することで

疼痛がかなり緩和されることが多いです。(温灸使用)

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(3)骨盤の調整と肩甲骨の調整 

→ 首を強く揉むような施術はしない。

肩甲骨や骨盤を安定させるだけでも

首や肩にかかる負担がへり疼痛が減るケースも多いです。

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(4)最後に軽く首をけん引 

強い力でぐいぐい引っ張ることはしません。

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また鍼灸やマッサージ、各種調整には

神経の興奮を抑え安定させる作用がありますので

ゆっくりと施術を行い、とにかくリラックスしてもらいます。

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頭痛がひどいとき、ご自身でも首や肩を揉みたくなってしまうことがあると思いますが

症状によってはますます痛みが強くなる場合もあります。

田無北口鍼灸整骨院では一人一人に症状や、

いつからどんな時に痛むのかなどじっくりとお話を伺ったうえで

安全第一の施術を行います。

 

<改善までの目安>

一回の施術でも痛みは和らぎますが

慢性的に痛みがある場合は生活習慣などを良くお聞きし、

経過観察をしながら

「なぜ、頭痛が長年続いてしまっているのか?」

を確かめることが重要になってきます。

 

一回の施術でも効果を実感できると思いますが

まずはトータルケアコース

(約60分)5回試してみて

その後は症状が良くなってきたら

回数を減らしていくことをオススメします。

 

家でできるケアなどもお伝えしますので

自分自身で生活の中でできる

運動なども取り入れながら長年続いた痛みを

解消していくのが良いと思います。

 

また脳や血管・神経などの異常から

頭痛が起こっていることが

疑われる場合は脳神経外科等の

専門医をご案内します。

お気軽にご相談ください。

 

西東京市・「ささえあいネットワーク協力団体」にしていただきました。

西東京市の自治体がやっている「ささえあいネットワーク

の協力団体にしていただきました。

 

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ささえあいネットワークとは・・・

西東京市では、少子高齢化時代に向けて、

高齢者が地域の中で安心して暮らせるよう、

地域の住民(ささえあい協力員)、

事業所(ささえあい協力団体)、

民生委員や地域包括支援センターおよび市(高齢者支援課)が

相互に連携し合う仕組みとして「ささえあいネットワーク」をつくりました。
この「ささえあいネットワーク」によって、

緊急を要する場合の早期発見、連絡、対応をスムーズに行ったり、

高齢者や介護者および家族が持つ困り事や相談に応じたり、

あるいは閉じこもりがちな高齢者や要介護状態に陥りそうな高齢者などが

必要な支援やサービスが受けられることを目指しています。

 

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少しでも地域社会のお役に立てましたら幸いです。

こうした地域活動にはどんどん参加していきたいと思います。

西東京市 社会福祉協議会の団体会員にしていただきました。

2013年5月2日に一般社団法人 交通事故治療相談室として
「西東京市社会福祉協議会」さんの
団体会員にしてもらいました!!
この団体は本部が西東京市役所
保谷庁舎、東分庁舎内にあり
西東京市内での福祉、社会活動を行っています。

・・・

一般社団法人 交通事故治療相談室として
団体会員にしていただきましたので
何かお手伝いできることがあるといいなと、
思っていたところ
早速・院内での募金箱設置、パンフレット配布をお願いされまして
快諾いたしました。

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前々から地域社会に対し何かできることをしたいと思っておりましたのでうれしい限りでございます。

微力ながら、地域社会には積極的にかかわっていこうと考えております。

 

もしも、お年寄りや傷害のある方が交通事故に遭ってしまったら
力になれれば、いいなとも思います。

田無北口鍼灸院・リンク

他、サイトのご紹介です。

医療、施術所などを中心にリンクしております。

 

病院検索・診療所検索・施術所検索・

その他医療機関の総合情報サイト

「からだネット」

logo

 

西東京市田無町の皮膚科

コンタニクリニック」

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東京都府中市・オステオパシー整体

まるちゃん治療院」

 

整体.COM

プロフィールのこと

・・・少し長いですが
私の人生についてお話させていただきます。
興味がある方だけ読んでみてください。

<誕生〜幼稚園、小学生時代>
1979年2月11日
埼玉県の大宮市(現さいたま市)
宮原で生まれました。

大宮に住んでいたころの記憶はあまりないです。

幼稚園の頃家族で
所沢に引っ越してきました。

そこからの記憶は結構あります。
椿峰ニュータウンという
新興ベッドタウンに住んでいました。
小学校も椿峰小学校でした。

近所には
西武ライオンズの選手なども
たくさん住んでいました。

同じ小学校に
野球選手の息子さんなども
通っていました。

その時代は西武ライオンズ黄金期で
野球はとても盛り上がっていました。
私自身も少年野球に参加していました。

運動神経が鈍く
レギュラーは取れず
補欠選手でしたが楽しかったです。
デーブ大久保選手に
一緒に遊んでもらったり
伊●選手にサインをねだったら
怒られたり・・・

子供の頃の野球の話は
良い思い出ばかりです。

 

<中学校~高校>

中学校では柔道をやっていました。
それなりに一生懸命やっていて
県大会に出場したり
近隣の高校からスカウトが
きたりもしましたが

「一生懸命やっても県大会レベル
しか出せなかった」

ということを感じてしまい
柔道は中学までで
やめてしまいました。

「上には上がいる」

ということもよく理解できましたし

「たとえ一生懸命取り組んでも
かなわないこともある」

ということもよくわかりました。

けれども

「一生懸命何かに取り組むことで
ある一定の成果は出せる」

ということ学べました。
中学校の頃にそうした体験をして
本当によかったと思います。
子供の頃から運動が苦手で
少年野球でも補欠、
持久走でもびりから3番目
くらいのどんくさい子供だったのに

柔道に真剣に取り組み

50メートル走も7秒台
1500メートル走も5分台

と人並みの運動成績が

取れるようになったのです。

しかしながら
部活に集中しすぎてあまり勉強に集中できず
希望の高校に進学できませんでした。

ここから少し暗黒時代に入ります(笑)

 

<高校時代~暗黒期>
・・・この時代は
希望の高校に行けなかったショック
から暗黒時代に突入しました。

よって写真もないですw
★勉強しなかった自分が悪いのですが、、、

高校時代は
本当にやる気を失っていました。

成績はぎりぎり
遅刻欠席当たり前
友達もろくに作らない

「今の自分は本当の自分でない」

と妄想ばかりしていました。

、、、そのころ
東京ストリートニュース
という雑誌が流行っていて

高校生の分際で自分でパーティーを
主催し、DJなどもやり
雑誌の特集も組まれてしまう
という、いま考えると無茶苦茶な
カリスマ高校生が出現し
衝撃を受けたのを覚えています。

「自分は埼玉の片田舎でつまらない

高校生活を送っているのに
何だこれは・・・!!!」

と。

まあ、こんな考え方してるから友達も
できなかったし
暗い青春になってしまったのですが

自分もDJになったり
パーティーを主催したい
と考え

大学デビューし
華やかな一発逆転を目指し計画を立て始めます。

勉強はそこそこやるふりして
大学に潜り込んでしまえば
自分もdjの活動などできるのでは?

と考えて大学進学することにしました。

<大学時代とさらに暗黒時代>
大学には

渋谷のレコード屋さんに行きやすいから

という理由で
世田谷区にある某大学に進学しました。
なぜ某大学か、
名前も明かさないかと言いますと
なんとその大学も一年で
退学してしまうことになるからですw

そもそも

djをやりたいから
何となく大学に行くフリをする

何というふざけた動機でしょう。(⌒-⌒; )
こんなんで大学生活が続くわけもなく
一年で退学をしてしまいました。
退学してからは
フリーターとしてアルバイトをしながら
djをやり有名になることを目指すという
いま思うと夢のような

バイトと
音楽活動をするだけの生活

をしていました。
しかしながら
ずっと遊んでいては
人間不安になるもので
将来について悩み出し

21歳の頃、ふたたび手に職をつけるため
鍼灸の学校に行こう、と思い立ちます。
なぜ鍼灸の学校だったのか?
正直人に語れるほどの
立派な理由はありませんが

接客する仕事が好きだったから
それに就きたかった。
・・・
いろんな接客業があるけど

医療系ならば
なんか将来安泰なんじゃないか?

くらいの軽い動機でした。
こうして21歳の頃ふたたび学生になりました。
行った学校は新大久保にある
東洋鍼灸専門学校という学校です。

 

<鍼灸学校に入学。しかし、、、、>

鍼灸学校に入学してからは
心を入れ替え
トップで卒業ししっかりと
手に職をつけよう

と心に誓いました。

、、、がその夢はすぐに終わり
また音楽活動を始めてしまいました。
理由は

少し落ち着いたら暇になってしまったこと

知り合いの先輩と一緒に

ファッションや音楽を巻き込んだ

イベントを企画しよう
という話から始まり

また音楽活動を始めてしまったところ
意外とうまくいってしまった
というのが原因でした(⌒-⌒; )
たぶん一度、
音楽やdjの道を
諦めたのがよかったのでしょう。

肩の力が抜け活動がうまく行きました。
鍼灸学校に在学中は
バンドに参加したり、

音楽制作の現場スタジオに顔を出したり
するようになりました。
本当に楽しい時代を過ごしました。
鍼灸はどうした??
という感じですが

さすがに鍼灸学校まで
ドロップアウトしてはまずい
と思い

何とか卒業し
鍼灸の国家資格も取りました。

<卒業後、治療院で働きながら音楽活動>

卒業後もそんな感じで
治療院で働きながら
音楽活動をする

というなんとも
ふざけた生活を送っていました。

★こんな社員を雇ってくれた
当時の社長には本当に頭が上がりません、、、

音楽活動は順調で
自分の名前でメジャーレコード会社から
CDが3枚でたり
有名な音楽ゲーム(音ゲー)

に楽曲参加させてもらったり、、、
・・・なんか
今こうして振り返ってみると
本当に何をしているのか?
という感じですね。

しかしながら
30歳になった時に初めて気がつきました。
自分自身好きなことや
やりたいことをやって生きてきたけど
全然お金もかせげていないし
何をしているのか??

と。

要するに、
音楽活動をやり続けてみて
一生それで生活したりする
実力もない事に
また気がついてしまったのです。

柔道でもそうでしたが
これもひとえに
一生懸命やったからこその気づきであり
だからこそ諦められたわけですが
まずは

自分の仕事を真剣にやってみよう

と決意します。
★ちなみに今でも音楽製作の仕事は
年に一曲ほどありいまでも
たまに製作しています。
近年は携帯アプリの音楽ゲームに
楽曲提供しました。

またその頃から

周囲のクリエイターで

体調の不調・メンタルの不調に

悩む人が多くいて

よく相談に乗っていました。

 

クリエイターは感性を酷使するため

とくに不調になりやすいです。

 

そういった方の力になりたい

メンタル面で悩む方の力になりたい

という気持ちはその頃から

強く芽生えるようになりました。

 

<34歳で独立を決意する>

仕事を真剣にやり始めてからは

いろいろな方にお世話なり
務めていた会社も自分がやっていた仕事も
順調に大きくなっていました。
・・・
しかし
34歳の頃転機が訪れます。

社内で仕事をするよりも
会社の外に出て

医師や弁護士の先生、

保険会社の方々など
仕事をする機会が増えたのです。

そこで
様々な方と知り合いになりました。

そうして

「治療家」

だけではなく
様々なことに携わっていきたい
思いが強くなっていきました。

また

「治療」も大切だがその前の
「相談」(カウンセリングや説明)が
大切だと思いはじめ

何とかそれを形にするような
会社や組織が作れないか???
という思いが大きく
なってきました。

そこで今までお世話になった
会社を辞めて
自分で仕事を始めることを決意しました。
その当時、

交通事故や労災などに遭ってしまった後、
治療をどう進めるか?

という相談に
数多く応じていたので
会社の名前は

「交通事故治療相談室」
にしました。

★からだ相談室

と迷いましたが

最終的に上記の名前にしました。

様々な場所を調査しましたが
実家から近くなんとなくピンと来た

田無で開業することにしました。

 

<開業してからは相談活動・治療活動・
読書に励む>

開業してからは

月に最低5冊は本を読み、

また治療活動や相談活動に精を出す

という幸せな日々を送っています。

 

紆余曲折遭ったこれまでの人生でしたが

それは多分私だけの経験でなく

皆さんの人生もいろいろあるのだと

感じます。

 

一人一人の人生に寄り添えるような

施術や相談を行いたいと

心から思っています。